第117話 支配のない国

「ゴットフリー、よすんだ!! そんなに乱暴に扱うとラピスの傷が余計に開く」


 おおい、いくら何でも、これはないぞ!!


 怪我人に対するあまりの所業。タルクは慌ててゴットフリーを止めようとした。

けれども、


「レインボーへブンの欠片”樹林”! こそこそとラピスの中に隠れるのは止めて、今すぐに俺の前に出て来い!!」


 絶叫したゴットフリーの声が、部屋の空気を凍りつかせた。 ”レインボーヘブンの王”であり、”闇の王”の属性まで持ち合わせた彼を怒らせてしまったのだ。ベッドの上に突っ伏した青年の体が、ぴくりと動いた。

 

「ひどいな……こんな風に扱われるなんて思ってもみなかった。まったく、本当にラピスが死んでしまったらどうする気なんだよ……」


 血に濡れた腹を押さえながら、体を起こした盲目の青年。そのかたく閉じられた瞼が、ゆっくりと開いてゆく。


 花緑青の瞳。

 レインボーヘブンの欠片“樹林”の証。


「そう思うのなら、さっさとラピスの傷を閉じろ! 俺に自分の存在を思い知らせたいなどと、幼稚な考えを持つ前に!」


 冷ややかな灰色の瞳を向けながら、ゴットフリーは、"表"に現れたレインボーへブンの欠片“樹林”を睨めつけた。


「だって、こうでもしないと、お前たちは俺の言うことを信じないから……」


「そんなことのために、ラピスの傷を放っておいたのか。自分が支えないと、こいつの命が尽きる? そんな傲慢な台詞がよく吐けるな。それに、俺はラピスの命を捨ててまで、レインボーへブンを手に入れると言った覚えはないぞ!」


 樹林はゴットフリーに、腑に落ちない顔を向ける。


「いいか、よく聞け。レインボーヘブンの伝説は、もう、ほとんどが歪められてしまっている。そして、レインボーへブンの豊穣の女神、アイアリスの心は、どうしようもないほどにうみ鬼灯ほおずきに蝕まれてしまっている。そんな邪神のために、俺たちが苦労して島を蘇らす必要があると思うか」


「……蝕まれている? レインボーヘブンの女神が海の鬼灯に?」


「そう。レインボーへブンを海に沈めた時に、持ってしまった悔恨の思い。それを紅の邪気につけこまれた女神アイアリスは、今では、住民たちに至福の島を返す約束を忘れて、蘇るレインボーヘブンを己が欲望の巣にせんと暗躍する邪神になりさがっている」


「で、でも……もし、レインボーヘブンを蘇らせなかったら、アイアリスに、ばらばらにされてしまった七つの欠片たちは? 俺はいいとしても、ジャンやBWブルーウォーターは、元の姿に戻ることを願って、お前と一緒に旅を続けてきたんじゃなかったのか」


 黙りこくって、二人の話を聞いていたタルクが、一言、言いたげに口を開こうとした。

 だが、それを目で制して、ゴットフリーは言った。


「女神アイアリスによって分けられた七つの欠片が集結した時、レインボーヘブンは蘇る。確かに伝説には、そう記されているな。けれども、俺は気づいてしまったんだ。至福の島にこだわりさえしなければ、七つ集まらなくても、欠片たちは元の姿に戻れることに」


「ゴットフリー、俺、お前が言っている意味がさっぱり、分からないんだが……」


 元々の渋顔を、もっと渋くしたタルクに、ゴットフリーは薄く笑みを浮かべた。


「よく考えてみろ。人の姿を捨てたBWは、すでに海の姿に還っている。それは、欠片たちは、人や物の姿を捨てさえすれば元の姿へ戻れるということではないのか。ジャンは”大地”に、霧花は”夜風”、そして、伐折羅ばさらの黒い鳥と、天喜あまきの白い鳥は”空”に」


「それはそうかもしれないが……」


「ただ、レインボーへブンの欠片”樹林”がラピスの中に留まり、まだ、見つからない残り一つの欠片が欠けたまま復活させた島は、緑に満ち溢れた幸せの島とは、ほど遠い痩せた場所かもしれないな。けれども、ガルフ島、黒馬島、グラン・パープル。海の鬼灯に蝕まれて、崩壊し、焼き尽くされ、海に沈んだ、それらの場所を見届けるうちに、俺はそれでもいいと思えるようになってきた」


 言葉の見つからないタルク。だが、ゴットフリーは、


「何の苦労も知らぬ人間が、レインボーへブンのような豊穣に満ち溢れた場所に放り込まれても、それは、人を堕落させるだけなんだ。迷い、考え、働き、生み出してゆく。その過程の繰り返しが頑強な国を創り上げる……俺たちは、”至福の島”に固執しすぎた。だから、俺は、今、ここに集まっているレインボーへブンの欠片たちと、その意思のある住民とともに、レインボーへブンとは違うまったく新しい国を興す。女神アイアリスの支配を受けない、俺たち自身の国を」


 だからと、ゴットフリーは灰色の瞳を”樹林”に向けた。研ぎ澄まされたその視線は、彼の中で眠り込んでいるラピスをも見つめているようだった。


「レインボーへブン”樹林”の姿に還るか、ラピスの中に留まるかの、その選択は、お前自身が決めろ。俺は何も無理強いはしない」


「でも、そんなことが本当にできるのか? それに、女神アイアリスが、そんなことを黙ってみているはずがないじゃないか」


「それでも、あの女の手元から離れないと、俺たちは何時までも、“歪められたレインボーヘブンの伝説”に翻弄され続ける。あの女がすべての元凶なんだ。アイアリスは、きっと、近いうちに俺の元にあらわれる。あの女神の呪縛から逃れ、あの女神が作りだした悔恨の連鎖 -海の鬼灯- を断ち切らないことには、俺たちに安息の日々が訪れることはないんだ」


 女神アイアリスの支配を受けない国を作り出す? レインボーヘブンの伝説を無視して……そんなことを真に受けてもいいのだろうか? 他の欠片たちが黙っているはずがないのに。


 そんな樹林に、ゴットフリーは人の悪い笑みを浮かべた。


「どうしても、至福の島を蘇らせたいというのなら、ラピスが人としての生を全うし、七つの欠片が集まるまで、お前たちは待てばいいんだ。俺たち人間の命は短いが欠片たちの命は長い。その場合にでも、俺は女神アイアリスと海の鬼灯との決着はつける。たとえ、“闇馬刀”で再び“闇の扉”を開くことになろうとも」

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