第116話 邪心の女神

「リュカ? ……あなたって一体?」


 その時、不意に王女の脳裏に、建国記念祭の前の日に、ラピスから聞いた話が浮かび上がってきた。


“リュカは……女神アイアリスの化身だったんだ。けれども、今のアイアリスは“うみ鬼灯ほおずき”に心を狂わさせた邪神になりさがっていると、ゴットフリーは言っていた。奴が王宮の温泉場でリュカと戦った時、彼女はアイアリスの姿に戻りこう言った。“私は至福の島を手に入れる。ゴットフリーと自分、二人きりの至福の島を”


「あなたは……まさか……レインボーヘブンの女神、アイアリス!?」


 そんな王女の問いを無視して、青い瞳の乙女はきつく言う。


「グランパス王国を作り直すためですって? あなたがゴットフリーをこの国に留めておきたい理由はそうではないでしょう? ゴットフリーは私が選んだレインボーヘブンの王。それなのに、彼に色目を使う不届き者! お前は売女よ! その女がグランパス王国の王女とは、聞いて呆れるわ!」


「お前っ!! 王女さまに向かって何て不遜な口を!!」


 突然、現れた見知らぬ女のあまりの言い様。それに堪りかね、リリーの後ろに控えていた侍女がリュカに掴みかかっていった。けれども、リュカは片手を上げただけで、侍女を岩壁の隅まで吹き飛ばしてしまう。

 リリーは唖然と、リュカの手の中で輝き続けている銀の光に目を向けた。


 目が痛くなるほどの荘厳な輝き……あれはジャンの蒼の光と同種のもの……やはり、この女は女神アイアリス……けれども、あの銀の光の残酷な輝きは一体、何?!


 大きな不安が心に広がってゆく。それでも、脳裏に刻み込まれてゆく、どうしようもない真実。


 あの弓使いラピスが言ったように、この女神は”邪神”に成り下がっている……。


 侍女の元に駆け寄っていった王女をあざ笑いながら、銀の髪の乙女は、畳み掛けるように言葉を続けた。


「水晶の棺に入り、未来永劫、グランパス王国の守護神となると私に誓った前王妃。あの女は命を落とし、朽ちてゆくばかりの自分の身を憂いていた。そんな彼女の願いを叶えてやった私への恩を忘れ、守護神の座を投げ捨てた罪を誰が償う? おまけに、ゴットフリーまでも、この国に留めおこうなどと不埒な考えを持つ始末だ。お前たちは許せない。グランパス王国は、私にとっては目障りなゴミ。この国は私が滅ぼす!」


「待って!! あなたは、レインボーへブンの女神”アイアイリス”なのね!? 母の魂は、私がレイピアでこの世から消し去りました。母はもう、どこにもいない。だから、母と私があなたの怒りに触れたとしたなら、その償いは私がします! 国民には何の罪もないわ。彼らは今、グランパス王国を復興させるために懸命に生きている。後生ですから、この国を滅ぼすのだけは止めて!」


 すると、銀の髪を風になびかせた女神は、鮮やかな笑みを顔に浮かべた。


「ならば、母の代わりにお前が水晶の棺に入りなさい。このグランパス王国の生きた”守護神”として」


 その純白の衣は空の青に透け、姿は天空に咲く白百合のように美しい。けれども、青の瞳は冷たく、頬に浮かべる笑みは氷の女王のように残酷だった。銀の光を溢れさせながら徐々にその姿は神々しさを強めてゆく。

 天空に浮かびあがり、真の姿を現した乙女に、王女リリーは愕然と紫暗の瞳を向けた。


 「やはり、あなたは……レインボーへブンの女神、アイアリス」


 ……そして、この世で一番残酷で邪気にまみれた”幸せの女神”。


*  *


 壊れた壁を板塀で修理した一軒家。


 ココと天喜あまきの白い鳥が、西の空へ消えてゆくのを見送ってから、ゴットフリーは家の中へ入っていった。居間に人の姿はなく、テーブルには飲みかけの珈琲カップが残されていた。


「確か、ここにラピスがいると王女たちが話していたが……」


 怪訝な顔をして、とりあえず居住区の娘たちがら預かったハイラスの果物籠をテーブルに下ろす。その時、ふと隣の部屋に人の気配を感じて、ゴットフリーは居間を通り過ぎ、そちらの扉を開いてみた。すると、ベッドの横の椅子に座ったタルクがはっと振り返ったのだ。


「ゴットフリー! 目を覚ましたのか」


「もっと早く来れるはずが、うるさい侍女たちの見張りがきつくて、なかなか外に出れなかった」


 なるほどなと、肩をすくめた巨漢に少し表情を和らげたが、


「ラピスは?」


 ゴットフリーがそう尋ねたとたんに、顔を曇らせたタルク。


「今、やっと眠ったところなんだが……」


 彼の視線の先に目を向けてから、ゴットフリーは顔をしかめた。

 ベッドに横たえたラピスは浅い呼吸を苦しげに繰り返していた。王宮で白蛇に流し込まれたエターナルポイズンの毒が体に回ってしまっているのだろうか。それにしても……

 あの時に致命傷を受けたとしても、こいつの中に同居しているレインボーヘブン欠片”樹林“は、癒しの力を持っている。あの力を持ってすれば、ここまで、ラピスの具合が悪くなることはないだろうに。


 エターナル城が海に沈んだ跡の海岸で聞いた“樹林”の告白。それが、脳裏によぎってゆく。

 すると、


「なぁ、ゴットフリー、俺は思うんだが」


 と、タルクが言った。


「レインボーヘブンの欠片“樹林じゅりん”は、ラピスの体から出るのが嫌で、あの海岸での言葉をそのまま、実行しようとしてるんじゃないのか? ラピスが生きてゆくには、自分の力が必要だってことを俺たちに見せつけるために」


「……そのようだな」


 ちっと唇をならすと、馬鹿なやつと呟きながら、ゴットフリーはラピスの枕元に近づいていった。


「ラピス」


 そう言って、彼の肩に手をかけようとした時、


「ううっ、あっ」


 突然、ラピスが声をあげたのだ。背を丸め、握り締めたシーツが、血で真赤に染まっている。


「まさかっ、白蛇に食いつかれた腹の傷が今頃になって開いたんじゃないだろうな!?」 


 焦って立ち上がったタルクにゴットフリーが言う。


「医者は?! こいつ以外にも生き残った奴がいるんだろう!」


「スカーが呼びに行ってるんだが……でも、俺も行って急かしてくる!!」


 血相変えて扉の方へ向かった大男を横目に見ながら、ゴットフリーは、痛みでベッドから転げ落ちそうになったラピスを支えようと、彼の体に手を伸ばした。揶揄するような声がゴットフリーの頭の中に響いてきたのは、その時だった。


― 放っておけば? どうせ、お前たちにとって、ラピスの命なんてどうでもいいんだろ ―


 灰色の瞳に怒りの色が湧き上がる。腕で支えたラピスを斜めに睨めつけると、ゴットフリーは彼の襟元を握り締め、自分の方へぐいと引き寄せた。


「いい加減にしろ!!」


 胸倉を掴み上げられたラピスの下で、見る見るうちに血で染まっていくシーツの色に、タルクは顔を青くしてしまった。何が起こってんだ? さっぱり分らないが、たまりかねて二人の間に入ってゆこうとした時、


「……ゴットフリー?」


 目を覚ましたラピスが、腑に落ちぬ声でその名を呼んだのだ。


「ラピス、お前はいいんだ。お前は眠っていろ」


「……」


 その言葉に青年はがくりと頭を下に落とした。その瞬間、ゴットフリーは、ラピスの体を思い切りベッドに叩きつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る