第85話 ディアナリス・ボウ(月の矢)

「騙されないからっ! まさか、あんた、ラピスの体をのっとっちゃたんじゃないでしょうね! そんなことになってるんなら、私は絶対に許さないんだから!」


「えーと……でも、ココがどう思おうと、俺は本当にラピスなんだよ」


「なら、あんたは “樹林じゅりん”じゃないって言うの。ラピスの傷を消し去った緑の光と、その緑の瞳! そんなのって、レインボーヘブンの欠片 “樹林” 以外にはありえないじゃない!」


「そう言われても、困る……」


 ごまかさないでっと、食って掛かってくるココを制止してから、彼は前方を指差した。


「そんな話より、俺は視界に入ってきたあの目障りな白蛇を仕留めてたくて、うずうずしてるんだけどな」


 見えるって言うのは、見たくない物でも、見ろってことなんだよな。


 迷惑そうに眉をしかめながら、少し先に落ちている弓矢に手を伸ばす。ココを白蛇から助けようとした時に、ラピスが落としてしまった弓矢だ。すると、それらは、ひゅうと宙を飛び、青年の手の中に納まってしまった。


 目をぱちくりさせたココ。それには気もとめず、青年は弓に矢をつがえて、瞳の焦点をぴたりと狙いの的に合わせた。


 白蛇の尾先が、しゅうしゅうと不気味な音をたてている。

 血祭りにしたはずの天敵 -ラピス- の無傷な姿を目の当たりにして、白い怪物は焦り、怒る。その激情を向きだしにして、体を大きく上へしならせた。

 すると、切断されたはずの白蛇の頭が、黒い影となってぬるりと体から浮かび上がってきたではないか。

 白蛇の怨念が作り出した鎌首の虚像。その頭が咆哮をあげると、空に恨みのこもった紅の炎が吹き上がった。


「その血塗られた紅の色、禍々しい光! やはり、白蛇をあやつっていたのは、お前たちだったんだな!」


 その紅の光は、すべての生きとし生けるものを恨み、出会った物を破滅におしやろうとする。


うみ鬼灯ほおずき


 緑の瞳の弓使いは手にした弓を前に差し出し、声をあげた。



「ディアナリス ボウ(月の矢)!!」



 その手元から眩いばかりの銀の光が溢れ出した。すると、肩から腕に蔦のような緑の文様が現れた。手元の銀の光に触れるように、文様はするすると指先に伸びてゆく。……と、見る見るうちに小振りだったラピスの弓が、上下に長く伸び出した。


「え、ええっ!」


 目前で形作られてゆく巨大な弓。

 空から落ちた月の雫のように煌く銀の弓成りに、末弭うらはずから本弭もとはずにかけて、凛と一筋に張られた弦。

 夜明けの空に残された三日月が、地上に落ちてきたかと見紛うほどの精錬な輝き。彼の背中越しに見ていたココは、その様と弓使いの姿を交互に見合わせ、驚いた表情で目を瞬かせた。


 自分の前に立っている ― ラピスのような青年 ―


 だが、髪は、長弓の輝きを受け銀色に輝いている。


 肩から指にかけて現れた木蔦きづたの文様が瑞々しく、それは、至福の島、レインボーヘブンの樹木を現した枯れることのない緑。そして、永遠の友情や愛、不滅の生の象徴でもある。

 極めつけは、凛と開かれた花緑青の澄んだ瞳。


「レインボーヘブンの欠片 “樹林” ……」


 唖然と呟いた少女の方に涼しげな緑の瞳をむけ、


「まあ、そう呼んでくれても、今は構わないけど」


 意味深な声を出した弓使いは、背丈をとうに越えてしまった弓に矢をつがえ、それを思い切り後方に引いた。

 ……瞬間、ぴたりと敵に照準を合わせた銀の矢が、高速で飛んでいった。


 ギヤァァァッ!!

 

 断末魔の叫びが轟き、白蛇の頭の影が一斉に空に飛び散った。

 上空に澱んでいた紅の灯が嬉々としてそれらを飲み込んでゆく。だが、その紅の灯を生み出したのは、今飲み込まれようとしている鎌首の影だったのだ。


 我が身を、我が身が食らってゆく。


 残酷な紅がはびこりだした王宮の空を見上げて、ココはぞくりと身を震わせた。


 再び首を失った白蛇は、次の弓が飛んでくるのを嫌って、うねうねと王宮の居館の屋根に這い登ってゆく。


「樹林っ、あいつを逃がさないでっ!」

 思わず、彼の名を呼んでしまったココに、


「了解」


 緑の瞳を少女に向けた射手は、電光石火の早業で、逃げてゆく敵に向かって銀の矢を放った。


 狙った獲物に向かって数ミリの誤差もなく飛んでゆく矢。


 胴体を射抜かれた時、白蛇は大きく体を仰け反らせた。銀の矢の威力に耐えかねた白蛇は忌々しげに尾先を何度も床に叩き付け、轟音を立てながら居館の床へ倒れこんだ。


「やった! 仕留めた!」


 ところが、樹林は“まだだ”と、言わんばかりにココを手で制した。


 目前でうめき、身悶えながら身をもたげる白蛇。

 その攻撃圏内に身を置いている二人は、固唾を呑むように様子を眺めている。すると……

 白蛇の本体がめりめりとひび割れ、そこから、おびただしい数の紅の灯が湧き出てきたではないか。


「海の鬼灯!」


 白い体から漏れだすその紅の灯の数は、巨大に膨れ上がり、白蛇の抜け殻の上に徐々に物の形を作り出していった。


 一つの頭が、八つの蛇頭に分かれてゆく。

 胴体から伸びた紅の灯は、巨大な蝙蝠を思わせる尖った翼を生成し、

 炎のように燃えたつ尾は、しなりながら火の粉を辺りにまき散らす。


 紅の翼を大きく広げ、八つの頭から漏れ出した殺意に満ちた咆哮。


 「怪物モンスター……」


 ココは、あまりに醜悪な姿に体の震えを止められず、樹林に身を寄せると、彼の腕を強く握り締めた。


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