第81話 白蛇の攻撃
「畜生! 足をくじいた。動けねえっ」
王宮の二階は、東の一部分を残し、建物のほとんどが崩れ落ちていた。床に倒れた姿勢のままで、スカーは後方に迫ってきている白い化け物の姿に、唇を噛みしめた。
白蛇は苛立ちと怒りを隠そうともせず、大きく鎌首を振り上げて、獲物の方向を見定めている。
とにかく這ってでも逃げるんだ。時間をかせげ。そうすれば、ジャンが来てくれる……。
手を階段脇の手すりに伸ばし、片方の足だけをたよりに、スカーは階段へ向かう。
「転げ落ちてでも何でも、この階段を下りれば一階にたどりつける。クーデターの成功も見れずに、こんな所で死んでたまるか!」
だが、ちょうど階段の下り口にたどり着いた時、頭上に大轟音が響き渡った。振り上げられた白蛇の尾が階段を破壊したのだ。憎い反乱軍の首謀者を逃がしてなるものか。うねうねとしなりながら、白い大蛇は、狂ったように王宮の壁を壊しにかかった。
激音と炎と白煙の中で前に進むどころか、動くことさえままならない。
がらがらと降り注いでくる瓦礫の山を手で遮り、吸い込んでしまった塵灰に、スカーは強く咳き込んだ。すると、一瞬、時が止まったように辺りがしんと静まり返ったのだ。
「……」
背中に走るぞくりとした感覚。はっと頭上を見上げた瞬間に、スカーは、恐怖で瞳を大きく見開いた。
両側に裂けた大きな口が、すぐ頭の上にある。血色にそまった咽喉から吹き出てくる唸り声。地獄の雄叫びを真近に聞いてしまった獲物は、その呪縛から逃れることはできない。
血生臭い吐息が頬にふりかかる。
駄目だ……もう、これまでだ。
声もだせぬ恐れに震えあがり、スカーは万事休すと目を閉じた。
ジャン、タルク……後のことはもう、お前らに任せた……。
ところが、
「スカーっ! 危ないっ!!」
その声と共に
ギャアアアアア!!
断末魔のような白蛇の叫びが王宮の中に響き渡った。白蛇が仰け反りながら後方に崩れてゆく。その右の目には、一本の矢が深く突き刺さっていた。
「頭からかぶりつこうだなんて、何てお行儀の悪い奴なんだ」
スカーは、耳に自然に響いてくる聞きなれた声と、小振りの弓を構えた姿に全身の力が抜けるような気がした。
今風に立ち上がらせた銀の短髪、袖まくりのシャツ、そして、固く閉じられた両の瞼。
「ラピス」
やっと、喉から出すことのできた声で、スカーはその名を言った。
そうか……クーデター軍には、他にも頼りになる奴がいるってことを忘れてた……。
* *
「スカーっ、大丈夫っ?!」
ラピスの後ろから、飛び出してきた少女の茶色の瞳が、さらにスカーの張り詰めていた気持ちを軽くさせた。
「ココも一緒か。大丈夫……。足をくじいただけだ。それより、何でこんな場所にお前らがいるんだ」
「何でって? もっと有難い顔をしてよ。王宮がひどいことになってるんで、白い鳥に乗って来てやったっていうのに」
ふくれっ面のココに目をやり、スカーは少しだけ笑うことができた。それでも、後方では一旦倒れた白蛇が、目に突き刺さったラピスの矢を忌々しげに振るい落とし、鎌首だけを持ち上げていた。白蛇は……何かを察知したかのようにじっと、彼らの方向を伺っている。
ヤバイ……あの化け物、俺の位置を完全に見極めやがった。そりゃそうか、お互いさまだな……俺だって、さっきから神経がびんびん引っ張られるみたいに、王妃の殺気を感じてるんだから。
赤くはれ上がったスカーの右足にそっと手を触れ、ラピスは思った。
これじゃ、スカーは歩くのは無理だ。それに、王妃は俺を恨んでる。俺と一緒にいるとココやスカーまで王妃の毒牙の巻き添えにしてしまうぞ。
ラピスは一瞬、沈黙する。そして、言った。
「ココ、お前とスカーは白い鳥に乗って先にここから逃げろ。そして、王宮近くの丘に避難した王女の所へ飛んでゆけ」
「えっ、でも、ラピスは?」
「いくらなんでも、あの鳥は三人は乗せれないだろ。ココたちを丘に降ろしたら、また迎えに来てくれればいいから。俺のことなら大丈夫、何とか持ちこたえてみせる。それに、ジャンだって、そのうちに来てくれるだろうから」
「でもっ」
「早くしないと、また白蛇がおそってくるぞ! ココ、手を貸してくれ、スカーを白い鳥に乗せるんだ」
「おい、本当に大丈夫なのか……?」
ラピスに持ち上げられ、翼をひろげて待っている巨大な白い鳥に乗せられながらも、スカーは不安な気持ちを隠しきれない。
「大丈夫だ。あの大蛇の攻撃も防御もすべて、お見通しさ。それに、どういうわけだか、あいつは俺の矢が苦手らしい」
さらりとそう答えると、ラピスはココにスカーの後ろに乗るように指示を出した。
「さっさと行け! そして、白い鳥をなるべく早くここへ戻してくれ!」
ラピスの声が聞こえたのか、“
* *
白蛇は宿敵のラピスを見つけ、興奮した様子で紅の瞳を輝かせた。
― やっと見つけた……。目障りな弓使いめ、子憎たらしいリリーを始末する前に、お前を血祭りにあげてやるわ ―
殺戮の喜びに、楽しげともとれるリズムでがらがらと尾を鳴らしだす。
ひどい悪寒を体全体に感じながら、ラピスは弓を持つ手をぎゅっと握り締めて、白蛇の方向に精神を集中させた。敵も警戒しているのだろう、微妙な距離をとりながらラピスの出方を覗っている。
ところが、その時、
何かが、つんと彼の腕を引っ張っるのだ。
「ココっ! お前っ、何でスカーと一緒に行かなかったっ!!」
ラピスは、慌てて腕の方向に顔を向ける。
紅の髪を陽光にきらめかせ、くるりとした茶色の瞳を輝かせた少女。
たとえ、それが見えなくても、体中からほとばしる元気なオーラはすぐに判る。だが、
迂闊すぎた。普段なら、ココならすぐにわかったのに……今回ばかりは、まるで察知できなかった。
「私がこっそり、白い鳥から降りたことすらわからなかったなんて」
ココの口調は半分は心配そうで、後の半分は相当に怒っていた。
「そんなんで、ここからどうやって逃げるって言うの? だいだい、そんな頼りないラピスを私が置いて行くなんて本気で思ってたの! 私はラピスの“眼”なんでしょ! そうなってくれって言ったのは、いったいどこの誰でしたっけ?!」
「今となっては、そんなもの、余計なお世話なんだよ! あいつが狙ってんのは、俺一人なんだ。むざむざ、危険に飛び込む馬鹿がいるかっ!」
ラピスが叫んだとたん、轟音がとどろいた。白蛇の長い尾が、二人のいる、すぐ横の床を打ち砕いたのだ。
王妃が化身した白い化け物は、先手を取ったとばかりに鎌首を大きく空にもたげ、獲物に向かって毒の唾液を吐きかけてきた。
ココをぐいと自分の方に引き寄せ、ラピスは、それこそ全身を目にして敵の位置を見極める。正直言ってココがいないと、他の物は勘に頼るしか知る術がなかった。それなのに、王妃の一挙手一投足だけは手にとるようにわかってしまう。
毒で溶けた床からは、硝煙めいた焦げた臭いが漂ってくる。ココは、大破した階段を見つめて、焦った声でラピスに言った。
「駄目! 一階へ行く階段は壊されて、下にはゆけない」
「なら、とりあえず上へ逃げろ!」
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