第74話 建国記念祭②

「王妃様? どうかなさいまして」


 王宮の大広間へ続く回廊。

 その天井に備え付けられた豪奢なシャンデリアに食い入るように目を向けたまま、じっと動こうとしない王妃の姿に、お付の侍女は軽く眉をしかめ、彼女の視線の先に目をやってみた。

 ダイヤモンドで形づくられたシャンデリアの繊細な星細工が、最高級の絹で織られた天井の月模様の壁紙に光を添えている。


「本当にこの王宮は素晴らしくて……」


 だが、口から思わず零れだした言葉に同意を求め、王妃の顔を覗き込んだ時、


「……!」


 侍女の足は知らず知らずのうちに二・三歩ほども後ずさっていた。


 死んだ魚のように濁った王妃の眼。その中央から天井を凝視している水銀色の瞳。毒々しい紅色の唇は微妙に歪んでちろちろと、口の中で紅い舌先をうごめかしている。


「お、王妃様……!?」


 ところが、ゆっくりと振り向いた王妃が微笑みかけた瞬間、侍女は急に無表情に膝を折り、しゅんと王妃の足元にひれ伏した。


「なんでもないのよ。ちょっと、ぼうっとして……シャンデリアのダイヤモンドの輝きが眩しすぎて、私らしくもなく、それに心を囚われてしまっただけ。それより、そろそろ建国記念祭の演説の時間よ。陛下をバルコニーにお連れしなくてはいけないわ」


「は……い」


 王妃は先ほどとはうって変わった華やいだ表情で、夢遊病者のように彼女を見つめている侍女の頭に軽く手をのせ、くくくっと笑ってみせた。

 棘をはらんだ魔毒の触手でエターナル城の中身を撫で回す。それが楽しくてたまらない……といった風に。


*  *


 王妃がいる回廊の屋根の上。

 しばらくの沈黙の後で、ラピスはココの口元を押さえた手をゆっくりと離し、ほっと安堵の息を吐いた。


「危なかった……あのバケ物、今、一瞬、こちらの気配を感じやがった」

「お、王妃にバレちゃったの? 私たちのいる場所が!」


「今はなんとか誤魔化せたみたいだ。でも、雑念だらけだったココを無視したところを見ると、あいつの意識はどうやら俺だけに集中しているようだ。あいつ、水磔すいけつの時のことで相当、俺を恨んでいるな……畜生! やっかいなことになってきた。王妃にこちらの気配を悟られないように、一時も気を抜くなっていうのか」


「水磔の時のことって? タルクが泥のお化けにひきずりこまれそうになって、それを操っていた王妃にラピスが矢を打ち込んで助けたって話?」


 深くため息をついてラピスは頷いた。

「あの時放った矢のことを恨んで、王妃の意識は常に俺を探してるんじゃないのか。何てったってあれは“蛇のバケ物”だもんな。執念深さも相当なものだろうよ」

 

 足元から生暖かい風が吹いてくる。それがまるで、


 ― おのれ、あの弓使い……私の正体を見破ったからと、いい気になるなよ。次にあった時はひきさいてやる……お前の五体をばらばらにしてやる…… ―


 王妃の裂けた赤い唇からの吐息のようで、ココは背中に思わず、ぞくりと悪寒を感じずにはいられなかった。


「蛇の王妃なんか、蒲焼にしちゃえばいいんだあっ!」


 不安が頭のてっぺんまで上り詰めてしまいそうで、それを払いのけようと、ココは悪態をついてみた。すると、その声に合わすかのように王宮の中庭から高らかなファンファーレの音が響いてきたのだ。


「王様の建国記念の演説が始まるよ! ……でも、あれは……」


 回廊の屋根からバルコニーを覗き込んだココは驚いたように目を見開き、ラピスの腕をぎゅっと握り締めた。


*  *


 今や名ばかりの“グランパス王”は、酒の吐息とおぼつかない足腰を連れ添わせ、バルコニーに用意された玉座から立ち上がろうとしていた。

 開門の後、一目でも王族を目にし声を聞きたいと、中庭に走りこんできた国民たちが王を呼ぶシュプレヒコールを巻き起こしている。

 ところが、全身をアルコールに侵された王はどうしても立ち上がることができない。そんな王の体たらくを予測していたかのように王妃はほくそえみ、お付武官を傍らに呼んだ。


「王はお疲れのようだわ。仕方がない、今年の演説は中止ということに致しましょう。ちょうど王宮の酒蔵で仕込んだ新酒があったわね、集まった民衆たちに振る舞い酒を出しましょう。彼らも毎年、変わり映えもしない演説を聞くより、その方が喜ぶんじゃないかしら」


だが、


「駄目よ!」


 そんな王妃を遮る声が、彼らの背後から響いてきたのだ。


 後ろで一つに編みこんだ黄金の長い髪、足元まである白い一枚絹の布地でできたドレスを身にまとい、両肩を“ソード・リリー”の紋章、グラジオラスを型どったブローチで止めている。ウエストベルトで腰を絞ったイオニア風の出で立ち。まだ、少女らしさを残した薔薇色の頬とは対照的に、大きく開いた右側の布地の間から、すらりと伸びた足が見えている。


 王妃は、鋭く自分を睨めつけてくる王女リリーの紫暗の瞳に、一瞬、たじろぎを見せた。


「建国記念祭を祝うために来てくれた人々をお酒で誤魔化すなんてとんでもない話だわ。王ができないというのなら、その演説、私が代わりにやりましょう!」


「馬鹿を言わないで! 王女が王の代わりに建国記念祭の演説をやるなんて、聞いたこともないわ」


「私は第一皇位継承権を持ったグランパス王国の王女よ。いくら王妃といえども、あなたに私の邪魔はさせないわ。どうしても、私の演説を聴くのが嫌だというなら、そこで耳をふさいでいればいいでしょう?」


 きりと唇を結んでから止める王妃の手を振り切り、リリーは毅然とした態度でバルコニーに進み出た。


「ソード・リリー!!」


 普段より大人びた王女の姿がバルコニーに現れたとたん、王宮の中庭を埋め尽くした人々から、歓喜と憧憬の声が渦となって巻き上がった。

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