第73話 建国記念祭①

 建国記念祭当日の空は胸がすくほどの澄み切った蒼天だった。

 天上からエターナル城を祝福するように眩しく降り注いでくる朝日は、一片の汚れもないほど清らかだった。それに臆することもなく魔毒の城は、相も変わらず白亜に輝いている。


「クーデターなんかやめて、ハイキングにでも行けよって天気だな」


 薄暗いトンネルから顔を出したスカーは、皮肉な笑みを浮かべてエターナル城の主塔にあるバルコニーに目をやった。


 あのバルコニーで王と王妃を捕らえ、この国を制圧する……本当にそんなことができるんだろうか。

 失敗すれば、今日が、俺たちにとって最後の日になるかも知れねえ。

 

 だが、脳裏に浮かんだ考えをすぐに打ち消し、スカーはトンネル内の仲間たちに、こっちだと手招きした。

 結局、最初に予定していた二本のトンネルのうちの一本は完成できず、あきらめざるを得なくなった。スカーが率いるクーデター軍は残りの一本のトンネルを通り、近衛兵の警備が手薄な温泉場の方から王宮に侵入するルートを選んだ。

 クーデター軍の面々は、全員、近衛兵の制服を身につけている。相当に緊張している顔つき以外は、部外者と疑われることはないだろう。この制服の調達は王女がすべて整えたのだ。


 “クリーニングに出された近衛兵の制服をちょっと、失敬してきただけよ”


 リリーは事も無げに言ってのけたが、昨晩から今朝の短時間にすべての準備を終えてしまえる手際の良さだ。それには、切れ者で名を馳せているスカーでさえも舌をまいてしまうほどだった。


「王の建国記念祭の演説まであと一時間ほどだ。俺たちはこれから王宮に入って近衛兵たちに紛れ込み、別行動をしているタルクたちからの合図を待つ。配置の位置は打ち合わせ通り、変更はなし!」


 スカーは、張り詰めたクーデター軍の空気をほぐすように笑って言った。


「まずは深呼吸! 大丈夫、俺の計画通りにやれば、必ず上手くゆく!」


 了解と小声で囁きながら、クーデター軍はそれぞれの位置に散らばっていった。仲間の背中を見送りながら、スカーは晴天にもかかわらず白い靄に包まれたままの北の尖塔に目をやった。


 人と人との戦いは俺が請け負う。だが、ジャンとタルク、人外境のごたごたは、もうお前たちに任せたぞ!


 そして、スカー自身も小型爆弾を詰め込んだ袋を小脇にかかえ、エターナル城の中へ侵入していった。


*  *


 城門の外には、王の建国記念祭の演説を聞こうと、早朝から人々が長い列を作っていた。ほぼ一ケ月を費やして行われた建国記念祭のクライマックスを見逃すまいと、島のあちらこちらからエターナル城を目指して、国民たちがぞくぞくと集まってきているのだ。



「へえっ、まだ、城門も開いてないのに人がいっぱい集まってきてる。あんなアル中の王とバケ物の王妃を見たいなんて、グラン・パープルにはずいぶん馬鹿が多いんだね」


 エターナル城の回廊の屋根で、悪態をつきまくるココにラピスは苦笑する。


「彼らの目当てのほとんどはソード・リリーじゃないのか。王女はここでは、アイドル的な存在だものな」


 ココとラピスにスカーが与えた指示は、“監視と連絡”あとは、“好きにしろ”。それならば、上からが一番やりやすい。二人は、まだ人々が動き出さない明け方に“天喜あまきの白い鳥”の背に乗り、王族の居館へと続く回廊の屋根の上まで、密かに飛んできていたのだ。

 居館の隣にある主塔の中ほどに王が演説を行うバルコニーが見えていた。ココたちが降り立って隠れていた回廊の屋根からは、王宮武芸大会が行われた中庭も見渡すことができたし、城壁の外に並ぶ人々の様子も覗うことができた。


 敵兵が侵入してきた時に、矢を放つための矢狭間やざまの影に移動してから、


「ここが城門の外と王宮の中が同時に見渡せる一等席だってスカーは言ってたが、見晴らしはどんなもんだ?」


 ラピスは、そう言って、彼の肩にとまった小さな白い鳥の背を軽くなぜる。それから、ふと足元に顔を向けた。


「絶景、絶景! 王宮のバルコニーの中までバッチリ見えるよ。でも、スカーって本当に凄いね、晩餐会の時にちょこっと城の中を覗いただけで、そんなことまでわかってしまうなんて」

 だが、

「確かにな」

 と、ぽつりと気のない返事をしただけのラピスに、ココは、


 あれ? 何だかさっきまでと様子が違う……と、戸惑いの目を向けた。まさか、ラピスに限って、ここにきて怖気づいたなんてわけはないと思うけど……。


 固く閉じた瞼、背にしょった愛用の弓矢。盲目であるにもかかわらず、それらを自在に操る彼が、ただの青年ではないことは重々承知していた。けれども、


「俺には何も見えないんだ」


 ココの不安な気持ちを代弁したかのようにラピスは言う。


「だから、監視といわれても、俺には何もできないんだよ」


「だって、ラピスは見えなくても心で感じることができるんでしょ? この世のものがすべて頭に浮かんでくるって、いつもそう言ってるじゃない」


 ラピスはその言葉を打ち消すように首を横に振った。


「この城だけは別なんだ。だから、この城には近づくだけでも嫌だったんだが……ここからは何も感じない。俺にとってはエターナル城は虚無の空間以外の何物でもない。ただし……」


 ひどく緊張した様子で回廊の屋根の下に気を配りながら、ラピスは言う。


「ただ一人だけ、嫌になるほど俺の五感を引きつらせるあの女を除いては」


「あの女?」


「いや、女ではなく! 胸をつかえさせるとてつもなく邪悪な気が、この屋根の下でうごめいている。ちょうど、この下……大広間の入り口あたりにあの王妃はいるぞ。禍々しすぎるその動きの一つ一つが、今も手にとるように伝わってきて、俺は怖くてたまらないんだ。その反動なんだろうか、王妃以外の物が今の俺にはさっぱりわからなくなってしまっている。それでも、今回だけは逃げちゃいけない気がするんだ」


 守らなきゃいけない何かがある。


 まだ、ラピスは心の奥でおぼろげに感じていたその言葉を、はっきりと意識できないままでいた。


「だから、頼む。ここでは、ココ、お前が俺の眼になってくれ」


「うん……」

 と、うなずいてみたものの、一番頼りにしていたラピスに反対に頼りにされてしまうなんて……ココの心臓は“どうしよう?”と不安げに鼓動を早めていった。


 ここに来る前に護身用にとスカーからもらった小刀を懐中に忍ばせてはいるが、そんなに頼られたって使いこなす自信もない。やっぱり、“眼になる”なんて、前言撤回してしまおうかと、


「ラピス、あのね……」


 ココがおずおずと声を出した、ちょうどその時、

「しっ、しゃべらないでっ!」

「……!」


 いきなり口元にあてがわれた長い指に、ココは目を白黒とさせた。


「ココっ、何も考えるなっ! あの女にこちらの居場所を知られるぞっ」

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