第68話 闇の王

 ジャンは投げやりな態度のゴットフリーに声を荒らげる。


「興味がなくなったって? 馬鹿なことを言うな! よく考えてみろ。“うみ鬼灯ほおずき”はなぜ、偽 ”樹林” をお前に仕向けるような罠を仕掛けてきた? ゴットフリー、黒馬島でも同じ罠にはめられかけたお前にならわかるだろう。奴らの望みはこの世を破滅させることだ。だから……奴らには、闇の扉をこちらに開く、“闇の王”が必要なんだ」


「破滅……崩壊。おあつらえ向きの台詞ではないか。この世が壊れてしまっても俺は構わない。この世は腐りきっている。壊してしまえ、壊さぬことには浄化もできぬ。壊さぬことには今の俺の気持ちは治まらない!」

 

 その声に呼応するかのように、新たな“闇の戦士”がジャンの回りに沸きあがってきた。徐々に人の形を成してくる“戦士”たちの姿に、ジャンは目をみはった。


“闇の戦士”が人の形をとるなんて……そんなことがあるのか? こいつら、ただの闇の塊だと思っていたのに。


 漆黒の闇の鎧を身にまとい、必殺の呪をこもらせた長槍を携える……七億の夜叉たち。

 だが、その兜の下には目もなく鼻もない。およそ顔と呼べる物は存在しなかった。鎧の下にも体はなかった。そして、その中から聞こえてくる、ほら貝を吹いたようなぼうと響く彼らの声は、虚無の中の住民が持つ危なげな殺意に満ち溢れていた。


 闇……鎧兜の下にあるのは無限の空洞。人の型をとってはいても、やはりこいつらは闇でしかない……。


 ぐるりと周りを取り巻かれ、無数に湧き上がってくる闇の戦士の攻撃に神経を尖らせながらも、ジャンのとび色の瞳はゴットフリーから目を離そうとはしなかった。


 見え隠れする荒涼とした心


「ゴットフリー、……何があった?」


 無表情なゴットフリーの声音。

「俺が殺した」


「……」


 BWブルーウォーター……?


「……礼拝堂で首を吊って」

「やめろ! その先はもう言うな!」


 突然、怒濤の波となって苦々しい思いが湧き上がり、ジャンは叫ぶような声でゴットフリーを制止した。


 だから、BWはあんなに哀しい歌を歌っていたのか。だから、お前は心を闇に向けてしまったのか。


「BWはきっと“海の鬼灯”の悪意に飲み込まれないように……」


 だが、ジャンがその言葉を言い切らないうちに、ぐるりと回りを取り巻いた闇の戦士たちが、長槍の切っ先を一斉に向けてきた。


「ゴットフリー! 闇に心を捕らわれるな!」


 ジャンの体からほとばしる蒼の光。その光に触れた瞬間、闇の鎧は悉くかき消され元の闇に戻ってゆく。だが、ジャンを取り巻く闇の戦士の輪の内側、それが消えたとたん、輪の外側にまた新たな戦士が浮かび上がってくる。永遠に続く水の波紋のように彼らは止めどなく消滅と再生を繰り返すのだ。


 闇の戦士……夜叉王、伐折羅の制御をはずれた! だが、こいつら……


「相変わらず甘い奴」


 黒馬の背から見下したように自分を見つめているゴットフリーに、ジャンは鋭い視線を送った。


「たとえ七億の夜叉であろうとも大地の力をもってすれば、一挙に消し去ることもできるはず。それなのに、お前はいつも手加減する。それが事を悪くしていることにも気づきもしないで! ガルフ島でお前と俺が戦ったあの時も、なぜ一思いに俺を殺してしまわなかった? そのおかげで、俺はアイアリスの思惑にせられ、レインボーへブンを探すはめになった。嘘だらけの伝説に嫌気がさし、この世を破壊したくなった。心を闇に向けるな、闇の王になるなといいながら、そのレールを引いているのは、お前、レインボーへブンの欠片たち、そして、女神アイアリスではないのか!」


 滅ぼされてしまった方が幸せな時もある……それをお前も知るべきなんだ。


 冷たい灰色の眼光が、その言葉とともに胸の奥を突き刺してくる。それでも、ジャンはゴットフリーから決して視線を離そうとはしなかった。


「だから、お前は闇の王になるのか」


 僕にはわからない。ゴットフリー、今のお前は


 “闇の王”……なのか?


「駄目だ! どんな理由をつけようとも、お前はレインボーへブンの王。闇に心が届いても、それを闇に奪われることなどありはしない!」


 ジャンの体から蒼の閃光が弾け飛んだ。

 その瞬間、“闇の戦士”も、かき消されるように消滅した。深い闇に閉ざされた東の海岸に突然明るく差し込んできた太陽の光に、黒馬は驚いて嘶き、両の前足を高く上にふりかざした。

 黒馬の姿が薄れてゆく。それが消える前に、ゴットフリーは黒馬の背から飛び降り、東の海の浅瀬の中でジャンと対峙した。


「それでも、まだ手ぬるい。まだ足りない……」


 口角をかすかにあげて皮肉な笑みを浮かべると、ゴットフリーは右手を前に差し出した。新たな闇が再び海上に渦を巻きだした。

 すると、

 ゴットフリーの右手の中が、暗黒色に輝きだしたのだ。


 闇馬刀やみばとう


 目前に漆黒の剣を真一文字に構え、灰色の瞳でぴたりと標的に視線をあわせる。その背後には彼を援護するかのように再び、浮かび上がってきた人型の“闇の戦士”が陣形を作る。


「手を出すな。こいつ……ジャンにはガルフ島での借りがある。俺がそれをきっちり返すまで、お前たちは一歩たりともその場を動くな」


 ゴットフリーの命令に、ぴたりと動きを止めてしまった“闇の戦士”


 その様にジャンは愕然と見入った。


 夜叉王 ― 伐折羅ばさらが制御できなかった“闇の戦士”を今のゴットフリーは完全に服従させている。そんなことができる者はこの世に一人……


 闇の王。

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