第67話 折られた矢

「王妃様、王妃様っ、どうなさいましたっ?」


 右肩を押さえながら王宮の回廊コリドーに姿を現した王妃。肩からぼたぼたと流れ出しているどす黒い血を目の当たりにして、王妃付きの侍女はわななくように声をあげた。


「王妃様、血が……」

「うるさい! 誰も来るな、近づくな! それ以上近づくと、全員、首を掻っ切るわよっ!」


 睨めつけてきた瞳の中にぞくりとした狂気があふれ出している。


 おのれ、あの弓使い……妙な力で私の魔力を弱らせたな。だが、私の正体を見破ったからと、いい気になるなよ。次にあった時はひきさいてやる……お前の五体をばらばらにしてやる……。


 その時、王妃の首もとで透明な水の輪がきらりと輝いた。それは礼拝堂でBWブルーウォーターに仕掛けられたウォーターリング。その輪は首の肉に深く食い込んでしまっている。王妃は忌々しげに首をもたげ低く嗚咽をもらした。


 その光景のおぞましさに、一歩も動けなくなってしまった侍女を残し、血まみれの妃は王宮のコリドーを駆けていった。

 だが、その跡を追いかけてゆく者が一人だけ王宮にいたのだ。


 ソード・リリー 


 王妃が自室に駆け込み扉を固く閉じた時、王女リリーは床に残された王妃の“忘れ物”に目をおとして、ぞっと身を震わせた。


 血にまみれた右腕……


 そこには、王妃の右腕が残されていたのだ。

 無残に二つにへし折られたラピスの矢とともに。


*  *


 水磔すいけつでの大騒動が嘘のように、人気のなくなってしまった東の海岸。

 津波を恐れ逃げていった人々と衛兵たちが再び集められることもなく、姿を消した囚人たちを捜索する動きもなく、砂浜には、まだ片付けられていない磔台の残骸とゴミの山が無残な姿で残されていた。


*  *


 ラピスの実家からグラン・パープルに戻って来たジャンは、空を滑空する天喜あまきの白い鳥の背から、いぶかしげに目を瞬かせた。


「海岸がやっと見えてきた。でも、あの砂浜のゴミの山は何だ。建国記念祭は明日のはずだろう?」

 

“樹林”を追って、僕が、グラン・パープルから離れているうちに何かあったのか……。

 心に芽生えた不安な気持ちが、胸に広がってゆく。


 そういえば……どうしただろう?


 僕が水晶の粉に変えてしまった西の尖塔。尖塔の最上階がなくなってるだけでも、とんでもない話なのに……

 ジャンは少しだけ笑うと西の方向に目をやった。


 それが僕の仕業だって分かったら、また、ゴットフリーの機嫌が悪くなるぞ。


 だが、西の尖塔には深く白い靄がかかり、その姿を見ることができなかった。

 ふと、下に視線を移した時、


 「……!」


 海の浅瀬を駆けてゆく黒馬。そして、その背に揺られる黒装束の男。


「待てっ、そんな所で何をしてるっ!」

 ジャンは驚いた様子で白い鳥を急降下させた。


 あいつ、具合が悪くてサライ村の宿営地にいるはずじゃなかったのか?


 黒馬が向かう方向に黒い靄がかかっている。黒い靄……? いいや、違うぞ。

 あれはだ!


「ゴットフリー!!」


 声を荒げて呼びかけても振り向こうともしない。


 まさか、また、あいつ……


「待てと言ってるのが聞こえないのかっ!」


 多少、手荒でもそんなことにかまってはいられない。ジャンは黒馬がいる手前の海に向かって素早く手を差し出した。

 海面の波を砕きながら蒼の走光が駆け抜けてゆく!

 突然、立ち上がった水壁。それに驚いて後ろ足で仰け反った黒馬をなだめながら、ゴットフリーはかすかに笑った。


 背に強く感じる大地の気配。


 そのまま、振り返りもせず言う。


「ジャン、どこに行っていた?」

 

 明けることのない夜を見たかのような低く陰鬱な声音。


「僕のことより、ゴットフリー、お前こそ、どこに行くつもりだ!」

「どこにも……ただ、時が経つのを待っているだけだ」


 海を凍りつかせてしまいそうな研ぎ澄まされた空気が、ゴットフリーの周りを取り巻いている。それが見えない壁となって陽の光を退け、集結する闇を彼の元に呼び込もうとしている。


“闇の王?!”


 ジャンの背中にぞくりと冷たいモノが通り過ぎてゆく。


 いや……黒馬島でゴットフリーが“闇の王”になりかけた時には、僕の声など一言だって届かなかった。それでも、今のこいつはいつもと違う。明らかに心は闇を向いている。


 白い鳥の周りに湧き上がってきた闇の戦士を、ジャンは鋭い瞳で睨みつけた。


 あからさまな攻撃態勢。こいつら僕と一戦やろうって腹か?


「時が経つのを待っている? へえ、待っているだけのわりには、やる気満々じゃないか。ゴットフリー、いつの間にこいつらを手なずけたんだ? “闇の戦士”は夜叉王の配下だと思っていたが……それとも、お前まで、おかしな輩に操られているのか」


 ようやく後ろを振り向いたゴットフリー。それを見たジャンは天喜の白い鳥から飛び降り、黒馬の近くまで駆け寄っていった。

 ところが、刺すような灰色の瞳が向けられた時、どうしても前に進めなくなってしまった。呪縛の魔法にかけられたように足が止まってしまう。苛立だしげにジャンは言った。


「僕の言うことをよく聞けよ。お前が迷宮で見つけたレインボーヘブンの欠片“樹林”は、“うみ鬼灯ほおずき”が変化した偽者だ! これは確かな話だぞ。奴を追って僕が、本人から直接聞いたんだからな」

 だが、


「レインボーへブンの欠片 “樹林”? そんな物には、もう興味がなくなった」


 ゴットフリーは冷めた表情を崩そうとはしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る