第66話 消えた尖塔
グランパープルの東の海岸で大立ち回りをするタルク、ラピス、スカー。
だが、そろそろ、それが通用するのも限界がやってきていた。王宮中の兵士という兵士が全員、彼らの元へ集結し始めたのだ。ぐるりと回りを取り囲まれては、さすがに身動きがとれなくなる。
苦々しい顔をして、タルクは彼の横に戻ってきたラピスに囁いた。
「さて、お次はもう、ソード・リリーに天命を任せるだけか?」
「とりあえず、捕まっていた仲間たちは煙にまぎれて逃がしておいた。今頃、他の仲間が保護してくれてる」
ラピスと同時に、もどってきたスカーが、タルクの背中に背中をぴたりとくっつけて言う。
「でもな……、どうやら助かるのはタルク、お前一人のようだぜ」
近衛兵の長らしい男が叫んでいた。
「王妃様の命令だ。大男は生け捕れ! あとの奴らはなぶり殺せ!」
ラピスとスカーは顔を見合わせ苦笑する。
「すごくアグレッシブな命令だな。俺とスカーは殺せってか?」
「そう。逃げなきゃ、死ぬな」
でも、どうやって……?
……が、万策つきちまったと、つぶやいたのと同時に、スカーは、
「おかしいぞ」
「おい、おかしがってる場合かよ」
「そうじゃなくて! 今は潮が引く時間じゃない。それもこんなに急速に」
その言葉にラピスは、去ってゆく足元の冷たい感触に注意を向けた。
満ち潮になろうとしていた海の水が、突然、潮を引き出したのだ。
海の水が引いてゆく。東の海岸に集まった観客たちは、遠くに逃げ去ってゆく波を呆然と眺めていた。
鉄砲水が押し寄せる前には、急激に水位が下がることがあるが……
その考えが頭をよぎった時、スカーは即座に大声をあげた。
「津波だ! 津波が来る! こんな風に海の水が急激に引くのはその証拠だ。みんな早く高台へ逃げろっ。さもないと、引いた海水が一斉に押し寄せて来るぞ!」
「津波が来るって?」
「何で急に?!」
「迷ってる暇があったら、とっとと逃げろーっ!」
「うわああ、逃げろ、津波が来るぞ!」
スカーの一言をスタートの皮切りに、観客も衛兵も貴族たちも海岸に居合わせた全ての人間が、高台の方へ駆け出した。
去ってゆくパニックの群れ。
後に残されたのは、お菓子に弁当、双眼鏡、海岸に残された膨大なゴミの山。
それらをあきれ顔で眺めながらタルクが言った。
「あいつら、本当にピクニック気分で集まってやがったんだ……」
すると、ラピスがスカーに、
「……で、本当に来るのか、津波」
「わかんねえ。咄嗟に思いついただけだから。でも、奴らを追い払うにはいい手だっただろう? 集団心理てえのは、ちょっとくすぐってやると、恐ろしいほど統率がとれるもんなんだ」
スカーは、皮肉な笑いを浮かべ、足元に落ちている弁当の箱をぐしゃりと踏み潰した。
* *
水が引いた海岸には、爆破されてなぎ倒された磔台の木片があちらこちらに転がっている。誰もそれに繋がれていないところを見ると、どうやら、仲間は上手く逃げおおせたらしい。ほっと息をついてから、タルクは、
「何だぁ? 津波っていうのは嘘だったのか。そういえば、また潮が満ちてきた。でも、津波にしては、えらくお上品だ」
ゆるやかに海の水が三人の足元に戻ってきた。その時
「……」
ラピスは、小波に紛れて流れてきた気配に、ふと首をかしげた。
― 少しは私にも感謝してくださいよ……彼らを追い払う手助けをしてあげたんですからね ―
そんな波の囁きが聞こえた気がして。
首をかしげたままの盲目の弓使い。そんな様子を見ていた大男は、
「まあ、いいじゃないか。ともかく、今のうちに俺たちも逃げてしまおうぜ」
ところが、
「タルクっ!!」
足元のぬれた砂が、突然、ぼこぼこと膨れだし、タルクの巨体を浅瀬の中に引きずり込みだしたではないか。
崩れかけた声が砂の中から響いてくる。
“おらあ、天のお
タルクの背筋に走る悪寒。
「お前、キャリバンか! 武芸大会でジャンに土に還されたはずの!」
“おらあ、何度でも生まれてくる。死んでも、死んでも、あの方がおらを作り直す”
土くれが、触手を伸ばしながら足元から上に這い上がってきている。獲物を逃がすまいと悲壮な決意がみなぎらせて、それはタルクを土の中へ引きずり込んでゆく。
「タルクっ、どうにか振り切れっ!」
「無理だ! 足元が不安定で、ちっとも力が入らねえ!」
スカーとラピスはなす術がなく立ち尽くしている。底なし沼に落ちてゆくかのように浅瀬に沈んでゆくタルクを助けようとも、ぼこぼこと湧き上がってくる土くれが二人を妨げた。ところが、タルクの体が腰元まで沈んでしまった時、
「……?」
突然、ラピスは首元に刺すような感触を覚えた。そして、“ここを狙え”とばかりに呼びかけてくる誰かの思念。
くるりと振り返ると、ラピスは半ば無意識にその方向へ弓矢を
ギャッ!
王宮のバルコニーの方向から小さくうめく声が聞こえた。
「やっぱり王妃か? いや、あれは白蛇の化け物だ! あいつ、向こうからこっちに変な力を送りこんでやがった」
まだ、弓を構えたままのラピスが声を荒げた。そのとたん、タルクを拘束していた土くれはしゅんと浅瀬の中に姿を消してしまった。
「畜生、あの女! どこまで人をコケにしたら気がすむんだ」
タルクは、四苦八苦しながら砂泥の中から這いずり出し、王宮の方向をぎろりと睨めつける。だが、その方向にもう王妃の姿はなく、やけに明るく輝いているバルコニーの後方の空に腑に落ちぬ様子で目をやった。
「お、おい。あれは何だ!」
そういえば、王宮のあの辺りにはいつも白い靄がかかっていた……
その靄が風に流され消えてゆくのだ。差し込んでくる太陽光とともに、ゆっくりと姿を現すエターナル城の尖塔。城に備えられている他のどの尖塔より高くそびえていたであろうその姿。
あれは、西の尖塔だ。ゴットフリーとココが攻略した迷宮の出口があったという……だが、
スカーは、その先端を見すえ驚愕の声をあげた。
「西の尖塔の先がない?! 尖塔の最上階はどこへ行った?」
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