第64話 もう何も望まない
その背中を見すえて、
“闇の王”
それにかしづく、レインボーヘブンの欠片 “夜風”
いいえ、もうその島は、暗黒の島。それでも、私は……
だが、突然高く打ちあがった波が、海岸の岩場に激しく砕け散った。その音に驚かされ、霧花は、はっと思考を止めた。
すると、海の波間が漆黒に揺れた。
海の浅瀬に姿を現した黒馬。
その姿を見て、ゴットフリーはかすかに微笑んだ。
「シャドウ……おまえの行く先は、いつも俺の心が望む方向だ。お前の背に乗れば、俺はこんな理不尽な思いから解放される。そうだろう?」
黒馬の方に、ゆっくりと歩き出したゴットフリー。その灰色の瞳は、朧がかかったように暗く沈み、胸のすくような以前の輝きはほとんど、見ることができなくなっていた。
ところが、彼の手が黒馬の背に掛かった時、
「駄目よ、ゴットフリー!」
黒馬の姿をかき消し、突然、目の前に現れた見知った顔に、ゴットフリーは、驚いたように目を見開く。
淡い金の長い髪、透き通ったスミレ色の瞳。少女と乙女のちょうど、狭間にいるかのような繊細な顔立ち。
「
ゴットフリーは信じられない面持ちで、浅瀬の中に立ち尽くした。
ガルフ島の館から姿を消してしまった後も、ずっと、探し続けていた……それなのに、なぜ、こんなにも唐突に俺の前に現れた……?
子供時代、唯一、心を開いた人。島主リリアの恩に早く報いたいと焦り、周りから孤立した自分を諌め、支えてくれた姉のように慕った人。
「ゴットフリー、あなたは私が言ったことを忘れてしまったの」
きつい口調で水蓮は、ゴットフリーに問いかける。
「もともと、この世界を善にするか悪にするかは人の心次第。その心を正しい方向へ導くことこそが、上に立つ者……ゴットフリー、あなたの役目。それなのに、なぜ、あなたは闇に心を向ける?」
「上に立つ者? ガルフ島の島主としてか? それとも、俺がレインボーヘブンの王だとかいう戯言のことか。それを決めた女神アイアリスは、今、どういう有様だ? あれは、もう邪神だ。至福の島の伝説も今となっては、まがい物の御伽話だ」
ゴットフリーは、上目遣いに水蓮をねめつけて言った。
「レインボーヘブンを探すことは、もう、俺にとって苦痛以外の何物でもないんだ。ガルフ島では、住民、部下、そして、誰よりも幸せになってもらいたかったリリアを失い、グラン・パープルでは、BWを亡くした。次はタルクかジャンか? こんなことを繰返して、至福の島にたどり着いた時、俺の手元には一体、何が残るというんだ」
「ガルフ島にもまだ、生き残った住民たちがいる。黒馬島にも……、それにレインボーヘブンの欠片たち。みんな、あなたに自分たちの運命を託している。その人たちのことを忘れないで!」
水蓮の言葉にゴットフリーは、せせら笑うように口を開いた。
「水蓮……いや、どこぞの満たされない魂の抜け殻か? わかっているぞ。お前も“
「違うっ! 私が“海の鬼灯”であるならば、あなたが闇に心を傾けるのを止めるはずがないでしょう」
一瞬の沈黙。その合間を縫うように、小波の音が響いていた。
手を伸ばせば届きそうな二人の距離を大きく隔てるように、波が水蓮の腕を引いた。
「水蓮……なぜ、俺の前から姿を消した……」
そう問いかける間もなく、薄れ出した水蓮の姿に、ゴットフリーは声を荒げた。
「待て! もう少し、話を聞かせてくれ。俺はずっと考えていたんだ……お前は、俺たちがまだ、見つけていないレインボーヘブンの欠片なのでは……」
けれども、水蓮は海の色に溶け込みながら、小さく横に首を振った。
「これでお別れです。二度とあなたに会うこともないでしょう。私は、幻影にしかすぎません。私はもうどこにもいない……けれども、BWが……多分、彼の力が一瞬だけ、私の姿を呼び戻してくれた……」
「BW……」
「姿を亡くしてしまっても、彼の願いは、あなたに託されているんです。レインボーヘブンを探してくれと」
そして、BWは私に芽生えそうになった
そう、私の思いは変えようもない。
“闇の住民”……レインボーヘブンの欠片 “夜風” -霧花- と名を変えた今でも、
私は、ゴットフリー
― あなたの幸せを願っています ―
何もかもがわからなくなってしまっていた。水蓮の姿が完全に消えてしまった後、ゴットフリーは浅瀬に力つきたように膝をついた。
誰に呼びかけるでもなく、引いてゆく波に向かって消え入りそうな声で言う。
何もいらない。
もう、俺は何も望まない。
だから……
ただ、そばに
俺のそばにいてくれ。
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