第62話 黒い旋風

 宿営地のゴットフリーがいる部屋。

 突然、舞い上がった旋風に目覚めされられ、ココは、ベッドの足元であっと声を上げた。


 急に小屋へ戻ってしまったゴットフリーを心配して、その後を追ったココ。


 その時、“もうテントに帰れ”というタルクの命令を無視して、小屋の中に居座ろうとするココをラピスは敢えて、ゴットフリーから引き離そうとはしなかった。


「なら、ココ、お前はゴットフリーのそばで寝てろ。俺らはとなりの厨房で寝るから、何かあったら教えるんだぞ」


 ラピスには“うん”と強く返事をしたが、今、目の前に起こっていることをどう伝えたらいいんだろう。


 ココの頭上に浮き上がった黒刀の剣が、黒い旋風を吹き上げている。


 “闇馬刀やみばとう?!”


 吹き付けてくる風を手で遮りながら、ココは、はっとベッドに目をやった。


 ゴットフリーがいない?!


 遠くに去ってゆく馬の蹄の音に、ココはぎょっと、宙に目をやった。


 まさか……そんなことって。


 ベッドに飛び乗り、こわごわ、闇馬刀の柄に手をかけてみる。その刀身を覗き込んだ時、ココはあらん限りの声で叫んでいた。

 

「ゴットフリー、もどって来て! あっちに行っちゃ駄目っ!」


 蹄の音が消えるとともに、薄れてゆく黒刀の剣。ココの叫び声に驚いたタルクとラピスが、部屋に飛び込んできた。だが、宙を見つめながら、ココはベッドの上に突っ立っていた。


 部屋の空気が異様に密になっている。ラピスは、焦った顔をして言った。


「おいっ、何があった? ゴットフリーはどこだ?」

「黒い馬に乗って行っちゃった! 闇馬刀の中に……あの一本道の向こうに!」 

「何っ!」


 どういうことだと、眉根を寄せるラピスとは反対に、タルクには事の次第が手に取るようにわかった。


 それは、ゴットフリーとタルクが黒馬島の萬屋で、闇馬刀を見つけた時のことだった。


 闇馬刀の刀身には、暗黒の闇が広がっていた。だが、ゴットフリーの灰色の瞳には、闇馬刀の奥へと続く一本の道が見えたのだ。


― 黒馬だ! この黒剣の中を黒馬が駆けてくる! ―


 ゴットフリーの声に、タルクが半信半疑で覗き込んだ刀身。そして、蹄の音と共に巨大な黒馬が闇馬刀の中から、外の世界に飛び出してきた。


「あれは黒馬島のご神体だ。そして、闇の世界とこの世界の間を行き来する馬だ。まさか、今度はゴットフリーを闇の中へ連れていってしまったのか!」


 タルクがそう声をあげた時、


「大変だ、奴ら水磔すいたくの刑の日を変更しやがった!」


 勢いがかって、小屋に飛び込んできたのは、スカーだった。


「刑の執行は今日だ! それも今朝の干潮から満潮時に合わせて。もう1時間も時間がねえ。ラピス、タルク、俺と一緒に来てくれ! 王女と必死で王宮を探し回って、やっと捕まった仲間たちの居所を探り当ててきた」


「え……でも、ゴットフリーがいなくなってしまったんだ」


 ラピスの言葉にスカーは怒ったように言う。


「ゴットフリー? あいつには人の助けなんぞいらねえだろ! それより急げ。お前たちが必要なんだ。大人数だと、かえってまずい」

「じゃ、俺だけが行くよ。タルクは無理だ。肩の骨が折れちまってる」

「いいからタルクも一緒に来い! お前は授与式の時、王宮でかなり悪名を轟かせたそうじゃないか。それが、かえっていいんだ。考えても見ろ。王宮側は、まだ、つかまった仲間たちのことをただの盗賊だと思ってる。ここで、俺たちクーデター軍がしゃしゃり出ていったら、計画が丸バレだ。だから……」


 タルクは、合点がいったように苦い笑いを浮かべた。


「わかったぞ。俺とラピスに盗賊の仲間を演じろというんだな。捕まった仲間を助けに来た、極悪人という設定で」


「わかってんなら、さっさと来い!


 二人の顔を見もしないで、スカーは再び外に飛び出していった。ラピスとタルクは一瞬、顔を見合わせ、


「仕方ないか……、ココ、お前はここで待っていろ! ジャンが帰ってくるかもしれないから」

 と、大急ぎで、スカーの後を追いかけていった。


*  *


 エターナル城の回廊、礼拝堂の手前で、近衛兵の一人は、不満げに口をとがらせた。


「いきなり、今朝の満ち潮に合わせて、水磔すいたくの刑をやるだなんて、準備する俺たちのことも考えてくれよな。しっかし、何で王妃は急にこんな無理を言い出したんだ」

「さあ、ここんところ、えらく体調が悪そうだったから、気晴らしがしたかったんじゃないのか」

 同僚の近衛兵は、苦い笑いを浮かべながら言う。

「あの大男が大立ち回りをやって、王宮武芸大会の授与式を台無しにしちまったからな。それより、貴族たちへの連絡は万全か。見逃しでもしたら、代わりに俺たちがはりつけの刑にされかねないぞ」

 まったくだと、もう一人の近衛兵が笑みを返そうとした、その時


「……!?」


 少し先の回廊の空間がぐらりと揺れた。異変を感じた近衛兵たちは大きく目を見開いた。

 どこからか、馬の蹄の音が響いてくる。それが、大きく耳に届いた瞬間、


「うわあっ!」


 回廊に黒い旋風が巻き上がった。そして、唐突に引き裂かれた空間から、巨大な漆黒の馬が飛び出してきた。


 黒馬が空中から飛び出してきた? そんな馬鹿な!!


 回廊を礼拝堂の方向に駆けて来る黒馬。近衛兵の一人は、その背に乗っている黒装束の男に、見覚えがあった。あの男だ! いつかリリー様に、剣を献上するのだと言って、城に乗り込んできた……。確か……ゴットフリー・フェルト。


「ま、待て! き、宮中に馬で乗り付けてくるなんて、一体、どういうつもりだっ!」


 渾身の勇気を振り絞って、叫んでみる。だが、

 近衛兵たちは馬上から、彼らに向けられた灰色の瞳に、凍りつかされたように身を竦めた。


 地獄の闇を映すような陰鬱な光。


「俺の邪魔をするな!」


 ゴットフリーの声に合わせるかのように、黒馬は大きく嘶き、礼拝堂の扉の前で前足を高々と差し上げた。たじろぎ、後ずさりする近衛兵たちを尻目に黒馬は、振り上げた前足で礼拝堂の扉を蹴破った。


 その一瞬、扉からあふれ出た海の気配。


 ええっ……


 目の前が蒼に染まり、息がつまるような感触に顔をしかめる。

 だが、近衛兵たちが、瞬きした間に礼拝堂の扉は固く閉ざされ、黒馬もゴットフリーの姿もその中に消えてしまった。


「ま、待て! この扉を開けろ!」


 どんどんと、その場しのぎに扉をたたいてみる。だが、“やめておけ。さわらぬ神にたたりなしだ……”と、もう一人の近衛兵に袖をひっぱられた。

 震えた二人は、礼拝堂の扉の前で、とりあえず、中の物音に聞き耳をたててみるのだった。

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