第34話 霧花とゴットフリー

 この靄は……夜叉王の配下、”闇の戦士”!


 突然、自分のまわりに広がった闇の中で、アイアリスは戸惑いの表情を隠しきれなかった。

 闇の戦士の目に見えぬシールドが、ゴットフリーのまわりに張り巡らされていた。月も星も林の木々の間から見えていたエターナル城の尖塔も、もはや、アイアリスの目には映らない。ただ、光沢を失い白濁した自分の光だけが、夜空に浮かび上がっているのだ。


「夜叉王! たかが人間の分際で、私に逆らおうというの!」


 青の瞳を凍りつかせて叫ぶ。その一瞬に、闇の中から一陣の風が吹き付け、アイアリスの体を真っ二つに切り裂いた……いや、正しくはその純白の衣を。


「……!」


 白い女神とあまりに対象的な漆黒の乙女が、アイアリスの真正面に浮かび上がっていた。だが、闇の中で白い光を受けたその姿は、凛として美しく、彼女よりはるかに清涼な佇まいをもっていた。


霧花きりか! レインボーへブンの欠片、“夜風”。夜叉王だけでなくお前もかっ、レインボーへブンの守護神である私にこんな無礼なまねをしてただですむと思うの!」


 だが、霧花は怖気づく素振りもみせはしない。


「私は、レインボーへブンの王にかしずく者。あなたが何であろうと、ゴットフリーに害をなすなら排除するだけです」


 夜の帳をめくる仕草で右手を空にひるがえす。その手先に現われた巨大なアゲハ蝶のような黒い影。それは、旋風で空を切裂く夜扇やせん


「輝きを失った貴方を私たちは、もう女神とは認めない。この夜の中にいる無数の闇の戦士と、夜扇の攻撃を受けたくないのなら、立ち去ってはいかがですか?その誤ったプライドが切り刻まれる前に」


「何をこしゃくなっ!」


 アイアリスは、全身から白い光をほとばらしらせる。だが、その光の上に覆いかぶさるように更なる闇が湧き上がってきた。朧月夜の月のごとく薄められてゆく自分の姿に、白濁した女神は唇を震わせた。


 愚かな者たち……私にたてつこうなどど……


 霧花が振るった夜扇の旋風が空を走る。だが、それが体に届く前に、アイアリスの姿はかき消すように見えなくなった。


*  *


 熱気を帯びた空気が急速にさめてゆく。

 夜空には星々が瞬きだした。漆黒の闇はいつの間にか月明かりに照らされた静かな宵にもどっている。

 熱さと、ランカの蔓でがんじがらめに括り付けられた痛みから解放されたものの、苦しさにあえぎながらゴットフリーは、ようやくの思いで岩場の上に這い登っていった。

 そのまま、死んだように草原に突っ伏す。すると、涼しい夜風が体を冷やしてきた。じりじりと焼けたような感覚が治まると、ようやく、生きた心地がしてきた。


「ゴットフリー、大丈夫?」


 頭上から響いてくる不安げな声。


「霧花か……、俺を助けてくれたのはお前と闇の戦士だな」

「闇の戦士をここへよこしたのは、伐折羅ばさらの意志よ。きっと、あなたが彼を思い出したから」

「伐折羅……助けてくれるのはあり難いが、相変わらず容赦がない」


 きりきりと右胸の傷跡がひどく疼いた。闇の戦士のシールドに隠してくれたは良かったが、体の中まで、深い闇が流れ込んでくるようで息が苦しくてたまらない。

 熱湯地獄の責め苦よりはましかと、痛む胸を押さえながら、ゴットフリーは後にあった木にもたれかかるように体を起こした。


「あの子の心は、幼すぎて自分の力と感情をコントロールすることができない。夜叉王の本質は破壊者。あなたを助けようと闇の戦士を放つことはできても、それらを制御することができないの。その胸の傷もそう……あの子はあなたに忘れられたくないがために、その傷を痛ませる。もう、少し時間が経てばあの子も大人になれるでしょうに」


 月明かりに照らされた木々の隙間から響いてくる美しい声。目を凝らして、自分がもたれかかった木の上を見つめてみると、その主のおぼろげな姿が垣間見える。ゴットフリーは、その声の方向を見すえて言った。


「霧花、そんな木の上にいないで下りて来い」


 一瞬、とまどったように木々が揺れた。


「俺が怖いわけでもないんだろう?」


 ゴットフリーは、彼にしては珍しく気を使って言った。


 ガルフ島の館では、自分を怖がって近づかない輩がけっこういた。だが、まがりなにりも霧花はレインボーヘブンの欠片 “夜風” だ。まさか、そんなことはないとは思うが。


「怖いだなんて、そんなことはないけれど……ただ……」

「ただ、何だ」


 訝しげなゴットフリーの声。


「最低限のものは身につけていただかないと……やはり、困るんです」


 それと共に彼のいた木の上からどさりと落とされたシャツとズボン。それらは、王女リリーがゴットフリーのために衛兵の屯所から持ち出してくれた物だ。

 深くも考えずに、霧花に声をかけたが、そういえば温泉につかっていた自分は何も着衣を身につけていない。一言でいってしまえば、裸のままだった。


「まだ、体が熱いんだ……このままが気持ちがいいのに……」


「なら、絶対、私はあなたの傍にはゆきません」


 仕方がないかと、ゴットフリーはしぶしぶ、手元に落ちてきた衣服を身につける。すると、ふわりと冷たい風が頬を通り過ぎてきた。


 

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