第33話 蔦の責め苦

 白銀の髪が月明かりに輝き、唯一、色をなしている青い瞳が悲しげにゴットフリーを見下ろしている。空に浮かび上がった女神にゴットフリーは声を荒らげた。


「アイアリスっ、いつからお前は、守護神の座を降りることに決めたんだ! それどころか、今度はレインボーヘブンを自分の物にしたいというのか」

 

「愚かな人間たちを導くなんて、そんな面倒なことはもう止めました。幸福を与えてやれば、それに溺れ、試練を与えればやさぐれる。そんな者たちに至福の島、レインボーヘブンを返してやる必要などあるものですか。でも、あなたは別、あなたは私が選んだレインボーヘブンの王。それなのに……馬鹿なゴットフリー、素直に私についてくれば痛い目をしないで済んだのに」


「おあいにく様だったな、もともと神頼みはしない質なんだ。それも堕落した似非女神なら尚更だ!」


「そんな強がりを言っていられるのも今のうちよ」


 アイアリスから零れ落ちた一筋の光が、ゴットフリーの体を覆う。すると、後ろにあった岩場からするすると、緑の蔦が芽吹き出した。それは、急速に触手を伸ばし、一瞬のうちに彼の手足を岩場の上に縛りつけた。

 堅く蔦のロープに縛り付けられ、動くこともままならない。苦々しげに天空のアイアリスを睨めつけ、ゴットフリーは言った。


「この蔦はランカだな。エターナル城で俺とゴキブリ娘を襲ったのと同じ。あの尖塔で眠っている、レインボーへブンの欠片”樹林”。あれに呪いをかけたのは、やはりお前だったのか!」


「呪い? 女神である私がなぜそんなことをする必要がある。けれども、ゴットフリー、あなたには、少し眠っていてもらうわ。その間に邪魔な連中は全部、消してしまうから。そして、次に目覚めた時には見せてあげる。私とあなた、


 ゴットフリーは、あからさまに嫌悪の色を顔に浮べる。


「反吐が出そうな話だな。お前と二人きりの島ならば、俺は闇の王になって真っ先にその島を滅ぼしてやる」


「無駄よ。私の手中にある限り、あなたは闇の王にはならないわ」


 勝ち誇ったかのようなアイアリスの声が、夜空に木霊する。

 そのとたん、ゴットフリーに絡みついたランカの蔦から緑の蕾が芽を吹き出した。

狂ったように花開き、鋭い棘を捕らえたゴットフリーの全身に突きたてる。


「その棘の先から溢れ出るエターナルポイズン。それは、グラン・パープルで作られた毒じゃない。黒馬島でクロの話を聞いたでしょう。かつて、レインボーヘブンの住民が盗賊たちに盛った毒、それこそが、ランカから作られた元々の“エターナルポイズン”だったのよ」


 棘の激しい痛みに顔を歪めながらも、ゴットフリーは黒馬島で聞いたクロの言葉を思いかえしていた。


 ”薬を使ったんだ。それも徐々に効果を現す陰湿な毒薬を。でもね……それを食べて死んでしまったのは、罪のない、盗賊以外の黒馬島の住民たちだった……”


「大丈夫よ、命までは奪いはしない。その棘の毒はごくゆるやかに、あなたの体に入ってゆく。あなたには眠ってもらうだけだから。」


 だが、天空で微笑んだアイアリスの表情が、堅くこわばってゆくのに、そう長い時間はかからなかった。


「この時間は眠るには、まだ早すぎる。特に俺にとってはな」


 不敵に笑うゴットフリーは、少しも眠気を感じていないようなのだ。


「エターナルポイズンが効かない? こんなに大量の花の棘に刺されて、なぜお前は平然と笑っているの」


「忘れたのか。エターナルポイズンは、黒馬島の盗賊たちには効かなかった。俺はその長の末裔。盗賊たちの血を受け継いでいるとすれば、毒がきかなくても不思議でもなんでもないだろう。お前が蘇るレインボーヘブンの王に俺を選んだのは、そんな強さを見こんでのことではなかったのか」


 どうしようもなく、こみ上げてくる悔しさにアイアリスは唇を震わせた。女神と崇められたきた自分の意思。それを拒んだだけではなく逆おうとする、この男!


「やはり、少しは酷い目をしないと理解ができないようね」


 天空でアイアリスは再び白く輝いた。だが、その光に、神々しさを見つけることは難しくなっていた。

 揺れる温泉の湯のあちこちで、ぼこりぼこりと空砲が弾きだした。徐々に温度をあげてゆく湯の中で、一つの泡が砕ける度に熱風のような空気があたりに散らばってゆく。

 ランカの蔦に絡みつかれた体では身動きすらできず、徐々に上がってゆく温度の中で、ゴットフリーは熱さに喘ぎだした。


 畜生! このまま、俺を温泉の中で茹であげるつもりか!


 とめどなく汗が流れ落ちる。喉の乾きと心臓の鼓動が頭の芯まで伝わって、ひどい眩暈を引き起こす。


「そのまま、熱湯の中で気を失っておしまい。体が焼けただれてしまっても、あとで私が修復してあげるから」


 修復……? まるで、機械か何かのパーツみたいだな……


 思考が薄れてゆく。だが、突然、右胸に感じた鋭い痛みが、ゴットフリーの意識を再び目覚めさせた。


 伐折羅ばさら― 夜叉王がつけた傷。この傷が痛むほどに、俺はお前を思い出すと……。


 灰色の瞳が鋭く、夜空を睨めつけた。その時、

 漆黒の闇が、天空に浮かぶアイアリスの足元から、滲むように湧き上がってきたのだ。


「ゴットフリーの姿が見えない! それにまわりの景色も……この靄……まさか、これはっ?」


 夜叉王の配下……意に染まない物は容赦なく暗黒に引きずり込む ― 七億の夜叉……


 闇の戦士!



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