第30話 王女の依頼

 ほどなく、王宮のリリーの部屋に月の光が差し込んできた。


「すっかり日も暮れたようだ。そういえば、騒いでいた観客の声も聞こえなくなった。王宮武芸大会の結果はどうなったんだ?」


 多少、不安げにゴットフリーがリリーに問う。


「もう、終わってるわよ。お宅の護衛官……あの大男は、かなり勝ちあがっていたみたいよ。王妃がえらく気に入っていたもの」


「王妃が? タルクをか?」


「ちょっと、趣味が変わっているのよ。あの人は」


 リリーの遠慮無い物言いに、ゴットフリーは “……そう悪くもないと思うが”と、苦笑する。だが、武芸大会も終り、エターナル城の迷宮の潜入にも一応、成功した今、この場所に長居は無用だった。


「俺はそろそろ、帰らせてもらう。礼拝堂での約束は、確か夜明けまでは手を出さないはずだったな」


 リリーは、一瞬、戸惑うようにゴットフリーに目をやった。まだ、彼にエターナル城を離れて欲しくなかった。


 不安……そう、私はここに一人にされるととても不安。


 頼れる者など誰もいないと思っていた。でも、この男には、ただならぬ力を感じる。その気持ちが強く湧き上ってきた時、初めて、リリーは自分の心に気がついた。

 リリーは言いたかった。あらん限りの声で叫びたかった。


“誰か助けて!私はこの城が怖くてたまらない”


*  *


「そうだ。帰る前にお前に聞きたいことがあったんだ」

「聞きたいこと?」


 平静を装ってみたが、リリーは内心ほっと息をついた。今は、一時でも、ゴットフリーを城に留めておきたかった。


「エターナル・ポイズン……その原料になる花、ランカはこの城周辺にしか生息しないと聞いたが、それは嘘だな?」


「どういうこと? 質問の意味がよくわからないわ」

「生息しているのではなく、栽培しているんじゃないのか」


「……私は知らない」


「自分の国のことなのに何も知らないんだな。では、もう一つ聞くが、西の尖塔を管理しているのは、この国の誰だ?」

「西の尖塔には、誰も入れない。あの場所には誰も行きつくこともできない」


 ゴットフリーは、リリーの言葉に眉をひそめる。つい先ほど、彼はその尖塔からここへ降りてきたのだから。


「西の尖塔には、いつも白い靄がかかっていて、城の外から内からも近づくことができないの。でも、そんなの、エターナル城では常識的なこと」


「お前たちは、それを異常だとは、思わないのか」


「だって、私が小さい頃からそうだったから。お父様は、エターナル城に住むいにしえからの守護神が、番人の仙術をかけてるんだって言ってた」


 それも、グラン・パープルの伝説の一つか。そんな物を真っ向から信じて、平和の中に沈殿している。確実に近づいてくる崩壊に気付きもしないで……まったく、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。


 まあ、俺もその馬鹿の一人かもしれないが……


 レインボーヘブンの伝説を信じ、その道標を探し求めていたガルフ島での自分の姿が、今のリリーに重なりあう。歪められた伝説、それでも、人はその伝説を諦めきれない。


 ゴットフリーは苦い笑いをもらした。


「わかった、質問はこれで終りだ」


「待って。あなた、その格好で外に出れると思っているの。どう見ても挙動不審者にしか見えないわよ」


 それもそうだなと、鏡に映る自分の姿に目を移す。そんなゴットフリーの手を“こっちに来て!”とリリーが引いた。


「王宮の裏手に温泉があるの。私以外は誰も使わないし、誰も入らせない。そこを使ってもいいわ。汚れた服は……衛兵の着替えをこっそり、持ち出してきてあげる」


 温泉? それは、まあ、有り難いが……


「でも、なぜお前がそこまで世話を焼く?」

「お願いがあるの」


 訝しげなゴットフリーに、リリーは初めて笑顔を見せた。だが、すぐにきりと口元をひきしめてから言う。


「王妃を殺して……」


 私の願いはただ一つ



 あなたに王妃を殺して欲しい。



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