第29話 王宮武芸大会終了

 王宮武芸大会の会場で暴走し、怪物と化したキャリバンは、ジャンに投げ飛ばされた場所から、ゆっくりと体を起こし始めた。

 色は赤みがかった黄土色で、巨大なコブが重なったような胴体にはかろうじて、顔かと思われる頭部がついている。目や鼻は、膨れ上がった筋肉の下に埋もれてしまって、その機能が果たされているかは怪しいものだった。


「きゃああああっ!」

「逃げろっー! 踏み潰されるぞっ!」


 ぐるるるるっ……

 唸り声をあげて、キャリバンが観客席に向かって、ゆっくりと歩き出した。


*  *


「これじゃあ、まるで怪獣映画だ……ジャン、何とかならんのかっ! あいつ、観客を踏み殺してしまうぞ!」


 もう、これは俺がどうにかできるもんじゃない。


 請うような眼差しを向けてきた、タルクにジャンは、


「ちょっと待って! 今、大地の気を呼び集めているから」


 静かに目を閉じながら、ジャンは大地を踏みしめるように立っていた。どこからか伝わってくる小刻みな振動。すると、少年の体がぽうっと蒼く輝き出したのだ。


「へえ、そういうことだったのか、なら遠慮はいらないな……タルク、揺れるからっ! どこかに捕まるか、地面に伏せていて!」


 とび色の瞳の少年が、前に突き出した右手の掌を開けた瞬間、蒼の光が炸裂し、大地がごうっと唸りをあげた。そして、小刻みだった揺れが、立っていることもできないほどの揺れに変わった。


「きゃあああっ!」

「うあおお!」


 観客のパニック状態がさらにひどくなる。すると、巨大化したキャリバンの四隅の土が、徐々に盛り上がり出した。それは怪物の周りに四つの壁を作りながら大きく上に伸びてゆく。そして、土壁はその上をも覆い出したのだ。


 箱? ジャンは、巨大な土の箱の中に、あの怪物を閉じ込めようとしてるのか……


 揺れに耐えきれず、地面に這いつくばったタルクは、目の前に作り出されてゆく巨大な“箱”を食い入るように見つめた。


 うおおおおおおっ!


 出せえっ! とばかりに、箱の中のキャリバンの呻きが響いてくる。どんどんと壁を打つ音が、足元から伝わってくる。

 キャリバンの体は、完全にジャンが作り出した強靭な土の箱の中に入り込んでしまっていた。


「ジ、ジャン……あの箱に怪物を閉じ込めてどうしようってぇんだ?」


 ようやく、止まった大地の揺れ。冷や汗をかきながら、タルクがジャンの元へ駆け寄ってきた。


「箱? ……違うよ。あれはコフィンだ。水晶の棺をちょっと真似てみたんだ」


 珍しく小悪魔のように笑うと、ジャンは絶叫した。


「ゼロ・コフィン! 土の棺よ、大地に還れ!」


 ジャンは手前に差し出した手をぎゅっと強く握り締める。

 ……と、キャリバンを閉じ込めていた土の棺が、急速に縮みだしたのだ。唖然と見つめるタルクの前で、一軒家ほどのサイズがあった箱は、ほんの数秒のうちに……


 中にいるキャリバンとともに、影も形もなくなってしまった。


「ジ、ジャン、お、お前っ、何て技を使いやがるんだっ!」


 あの怪物を消し去ったって? ……おい、おい、こんなの有りかよ。


 タルクは、ジャンの力の大きさにただ、飽きれるばかりだった。……が、ジャンは少し照れたように言った。


「いくら僕でも、何もかもを消しつくすなんてできやしない。奴がいた場所をよく見て。小さな土の山ができているから。あのキャリバンって怪物は、もともとは土くれでできた泥人形だったんだ。大地の気がたまった時に僕にはそれがわかった。土を土に戻しただけ。だから、あんな技ができたんだ」


「泥人形? あのキャリバンが」

「うん、誰かの呪術で命を吹き込まれてたんだ」

「誰かがか? 何を今更って感じだな。俺の頭にはその答えがはっきりと浮かびあがっているぜ」


 ― 王妃だな ―


 ジャンは、目でそう語ったタルクに、こくんと一つ頷いてみせた。


「きっと、キャリバンだけじゃない。この王宮には、同じように邪悪な術をかけられた怪物たちが、あちらこちらに巣食っているに違いない」


「怪物が出場してる武芸大会なんて、まともに終わるわけがない。そんな大会に出場して、散々馬鹿な戦いをして、俺は猛烈に後悔してるよ」


 タルクは、はぁと息をつくと、うんざりとした表情でつぶやいた。


 たとえ、それに勝ったとしてもだ。



 王宮武芸大会終了。 優勝者、長剣のタルク(暫定)!



* * 


 エターナル城の回廊を早足に歩き、王女リリーは、止める衛兵の手を振り切って自室に戻ろうとしていた。


「うるさいわね! 私に話かけないで。王宮武芸大会がどうなろうと、かまわないわ! 毎回、最後はルール無視で、負けた者が血祭りになるだけの話でしょ」


 それが、王と王妃の楽しみなんだから……


「こ、今回はもっと大変なことになってるんです! このままでは王宮が壊されてしまいますっ」


 ずしんと、王宮の廊下に響いてくる轟音と、人々の叫び。だが、リリーは、驚いた風もなく追いすがる衛兵を手で退けた。


「何年か前にも、城門を壊した輩がいたじゃない。私は休みたいの。あんな武芸大会にこれ以上、付き合うのはもう、沢山っ」


 王女リリーは自分の部屋の大扉を開くと、衛兵を無視してそれをぴしゃりと閉めきった。……が、次の瞬間、顔をしかめた。


 泥と血で汚された絨毯じゅうたん、腐った魚のような嫌な臭い……この部屋に誰かいる……

 

 その誰かを自分のベッドの上に見つけた時、リリーの心臓は急速に鼓動を早めた。

 

 あの黒装束の男! まさか迷宮から出てきたの?


「起きなさいっ!」


 頬に鈍い衝撃を感じて、眠っていた男は重い瞼をゆっくりと開く。


「何だ……せっかく気持ち良く眠っていたのに……」

「無礼にもほどがあるっ、ここを誰の部屋だと思っているのっ!」


 頬を軽くゆがめると、ゴットフリーは、自分の正面で仁王立ちになっているリリーに、灰色の瞳を向ける。


「女にぶたれたのは初めてだ」


 妙に凄みのあるその声音と、ベッドに無造作に突き刺されたレイピア。ごくんと一つ唾を飲み込み、リリーは咄嗟に腰の剣に手をやった。だが、特に怒った様子もなく、ゴットフリーは静かにベッドから立ちあがった。


「あの迷宮を……通りぬけてきたの」

「まあな」

「レインボーヘブンの欠片を見つけて?」

「微妙だな」

「どうして、そういう物言いをするっ! もっとはっきりと私の質問に答えなさいっ!」


 くすと口元で笑うと、ゴットフリーは、自分がベッドに突き刺したレイピアを引きぬき、それをリリーに差し出した。


「約束だったな、お前の剣だ。優美な姿と裏腹に切れ味は鋭いぞ。マンプルよりは、はるかに実践に向いている」


 目前に輝く至極の宝剣。膝を折り両手を掲げて、それを受け取りたい衝動にかられて、リリーはぐっと唇を噛み締めた。


「私は、ひざまずいたりしないからっ! 絶対しないから」


 自分が言った言葉に自分で驚き、思わず口元を手で押さえる。


「何を馬鹿げたことを言っている。その手を伸ばして、このレイピアを受け取ればいいだけの話だろう」


 リリーを鋭く見下ろす灰色の瞳。心の奥底まで見透かされているようなその眼光。


 この男には逆らえない。私にはその技量もない。

 

 直立の姿勢のまま、リリーは両の手をレイピアに向けて差し出した。膝を折らなかったのは、最後に残した王女としてのプライドがそうさせたからかも知れなかった。


「ガルフ島警護隊隊長、ゴットフリー・フェルト。改めて、王女グラジア・リリース・グランパスに約束の宝剣、レイピアを献上させていただく」


 受け取った剣の輝きに目をみはる。そして、リリーはおぼろげにこう思った。


 警護隊隊長……そんな身分なんかじゃない。泥と血にまみれていても、生まれもった資質は隠せない……この灰色の瞳ははるか上から、私を見下ろしている。



 想像もできない遠い場所から。


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