第40話 黒馬島のクロ

 なぜ、なぜ、駄目なんだ? ジャンは、今にも心が張り裂けそうで、逃げ出すようにゴットフリーのいる部屋から隣の萬屋の方へ出て行った。


 ゴットフリーが気を使ってくれているのはわかってる。力を使いすぎて、僕が弱りきっていたから。でも、あいつが力を使わせないのは、それだけの理由じゃない……ゴットフリーは、あの傷をかばっている。あの傷が消えるのが嫌みたいに。


 ジャンは深くため息をつくと、店の椅子にしょんぼりと腰をかけた。


 あの傷をつけたのは誰だ?……多分……


 伐折羅ばさら


 二人の間に何があった? 本当に僕は馬鹿だ。BWブルーウォーターが警告をくれたのに、一番、ゴットフリーを守らなくちゃいけない僕が、何度も、奴を一人にした。


 その時、首をうなだれているジャンの肩を、ぽんとたたく者がいた。


「タルクか……ゴットフリーは?」

「とりあえず、血は止まったよ。今は眠ってるんで、天喜が見ていてくれてる」

「……で、大丈夫なのか」


 ジャンの問いにタルクは微妙な表情をする。


「何ともいえんな。血を流しすぎた。それに簡単な応急処置だけだからな、激しく動いたりしたら、また、出血して今度は本当に命取りだ。お前な、ゴットフリーが眠ってる間に、あの傷、閉じてしまえないのか」


「……駄目だ。ゴットフリーの意思が強すぎて、その命令に僕は逆らえない。僕の力は奴の言葉で完全に封印されてしまった」


「ゴットフリーの意思って、そんなに力があるものなのか」


 ジャンは、タルクの目を見て小さく笑う。


「それは、もう、絶大な力を持っている。奴は”レインボーへブンの王”。欠片である僕たちは、その心には逆らえない」


 タルクが、はぁとため息をついた時、天喜が足早にやってきた。


「大分、落ちついてきたんだけど、熱が出て来たの。冷やした方がいいわよね」


 店の冷蔵庫から、氷を取り出すとてきぱきとした手つきで、細かく砕く。それから、ジャンとタルクには目もくれないで、ゴットフリーのいる部屋へ大急ぎでもどっていった。


「なんだか、やけにはりきってるな」


 ジャンの言葉にタルクは、いささか、不満げな表情をする。


「ゴットフリーの世話をするのが、嬉しいんだろ。……ガルフ島でも、館の女どもはみんな、奴に惚れてたからな」


「本当に? あんなに冷酷極まりない奴に?」


「近寄り難い雰囲気のわりには、知らず知らずのうちに、人の心をひきつけてしまう。身のほど知らずな娘がコクって、撃沈してゆく姿を、俺はけっこう見ているぞ」


「へえ……可哀相に」


「可哀相なもんか。傷心の娘たちは、全部、あの青二才が引き取っていったからな。考えようによっちゃ、あいつが一番、ワルかもしれん」


BWブルーウォーターか……。なるほどね。女の子の扱いは上手そうだ」


 ジャンは、やっと笑顔を見せた。すると、心が少し軽くなった気がした。


 あとで、もう一度、ゴットフリーと話をしてみよう。伐折羅ばさらと一体、何があったか。それを聞けば、僕にも何かができるかもしれない。


*  *


 ゴットフリーがいる部屋に入った時、天喜はあれ? と不思議な感覚に陥った。

 窓からの日の光が隠れて、部屋がうす暗い。それに……


 ゴットフリーの枕元に誰かいるわ……。


 目を凝らしていると、徐々に人の姿が見えてくる。

 腰までとどいた艶やかな黒髪、そして黒衣。ソファに膝まづき、片手をゴットフリーの肩に添えながら、彼の顔を見つめている。


「あなた、誰……?」


 振向いたその人は、儚げで陽炎のような美しさを持っていた。天喜は、その濡れた瞳と目が合った瞬間、胸がきゅっと締め付けられる思いがした。


 泣いているの? ……ゴットフリーを心配して……。


 居たたまらなくなって、天喜は部屋を飛び出していった。


 私、あの人を知っている。あれは、”夜風”だ。レインボーヘブンの欠片の……


 “彼女はゴットフリーの命令ならば、この世の果てでも飛んでゆきますよ”


 BWが言った言葉が頭をよぎってゆく。


*  *


「おい、天喜、どうしたんだ。ゴットフリーがどうかしたのか」


 血相かえて、部屋を飛び出してきた天喜にタルクが言った。


「……何でもない」

「何、怒ってるんだ? ゴットフリーを見ててくれるんじゃなかったのか」

「私がいなくても、大丈夫でしょ」


 どう考えても様子がおかしい。ジャンは心配になって、ゴットフリーのいる部屋に行こうとした。黒馬亭の扉が開いたのはその時だった。


「クロちゃん……か」


 ジャンは呆気にとられたように、扉の向こうを見つめていた。クロちゃん? 誰だ?と、タルクも突然現われた見知らぬ少年に目をやる。

 浅黒い肌。短い髪。そして、勢いのある黒い瞳は、勝気な少年の性格を物語っているようだった。


「よう」

「クロちゃん、何でここに来たんだ」

「だって、ジャンが困ってるみたいだし、僕もあの人と話をしてみたかったから」


 周りを気にする様子もなく、少年はそさくさとゴットフリーのいる部屋へ入って行った。


「ち、ちょっと、ジャン、いいの? 入って行っちゃったわよ。それに、あの子、誰なのよ」


「……あれが、前に言っていた、古い馴染みの……黒馬島の僕の友達だよ」


「私、あんな子知らないわよ。黒馬島の住民なら、私が知らないわけがないのに」


 天喜の言葉にジャンはしばし沈黙した。……そして、苦い笑いを浮かべて言った。


「僕だって、人の姿をしているのは、初めて見たんだ。でも、天喜が知らないわけがない。だって、あいつは……黒馬島のクロちゃん。”黒馬島”……そのもの、なのだから」


 何ィ! あいつが”黒馬島”! ふざけんなよ。今、俺たちはその黒馬島の上にいるんだぞ。


 たいがいのことに驚かなくなってしまっていたタルクだが、今回はさすがに、自分の耳を疑ってしまった。天喜は、理解ができないらしく、ぽかんとジャンの顔を見つめている。


「多分、あれは実体ではないんだと思う。クロちゃんが自分の心に形を付けているんだよ。だから、あまり長くは人の姿をしていられない」


 タルクは長いため息をつく。


 そうしてまで、黒馬島はゴットフリーに会いたかったのか……。まったく、次から次から、いろんな奴が現われやがる。こんなんじゃ、本当にゴットフリーは身がもたない。


「なあ、ジャン。俺は何となくわかった気がするよ」

「え…?」

「ゴットフリーが、レインボーヘブンを探す理由がだよ。あいつが、求めているのは至福の島でも、無病息災の島でも何でもないんだ。普通の暮らしができる場所。ただ、穏やかに暮らせる、そんな居場所を探しているんだ。ただ、住民みんなに、それをあたえなきゃいけない。そのために、豊かなレインボーヘブンが必要なんだ。俺の言うこと、何か変か。変でも矛盾してても反論は受けつけないぞ。いいんだ、これは、俺がそう思ったことなんだから」


 ジャンはにこと笑顔を見せた。


 そう。だから、僕はゴットフリーについて行くんだ。僕自身が、になるために。

 

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