第38話 約束の印

 伐折羅ばさらとゴットフリーは、海岸へ向かう道を歩いていった。遠くの沖には、海に大きく飛び出した黒い岸壁が見えていた。下にはゴットフリーたちが乗ってきた船が泊めてある。その場所が彼らが黒馬島に関わった最初の場所だったのだ。


 突然、船の前に現われた黒い大地。だが、今となっては、偶然らしく装われていた何もかもが、俺たちを迎えるためにお膳立てされていたのだ。


 誰が、何のために?


 ゴットフリーは、苦々しい思いで、先を行く伐折羅の後を追った。海岸を半分ほど来た時、伐折羅は不意に後ろを振向き、こう言った。


「僕は西の山に行こうと思う」


「西の山? 父親のことはタルクから聞いたが、お前、その跡を継いで盗賊たちの長になるつもりか……」


「さすがに察しがいいね。大丈夫だよ。奴らは僕の命令には逆らえない。それに話してみると、まだ父の忠臣だった者が沢山いて、僕に肩入れしてくれているんだ。闇の戦士と共に僕は黒馬島を守ってゆく。それが父の遺志なのだから」


天喜あまきはどうする。お前の帰りを首を長くして待っているぞ」


「学校へ帰ったとでも行っておいて。今までだって、半年に一度ほどしか、家には戻らなかったんだ。サームとザールをうまく言い包めて、そういうことにさせるつもりだ」


「……ならば、一度、きちんと会って、別れを言ってこい」


 伐折羅はゴットフリーを見すえて、透き通るような笑顔を見せた。


「知ってる? そういう時のあなたの灰色の瞳は、澄みきって心の底まで染み入ってくる。僕はそれが好きだった……」


 突然、伐折羅はゴットフリーに抱きつくと、大粒の涙を流しだした。


「もう、行ってしまうんでしょ。僕はこの黒馬島から離れられない。どんなに一緒にいたいと言っても、あなたがレインボーヘブンを探している限り、それは叶わぬ夢なんだ」


 ジャンにしても伐折羅にしても、こう明け透けに泣かれると、どう反応していいものか、わからなくなってくる。ゴットフリーは伐折羅を支えたまま、しばらく宙を見つめていた。


「天喜は言った。いつか、レインボーヘブンに行ってみたいと。伐折羅、お前は知っていたのか。 母親がレインボーヘブンの欠片 ”空” だったということを」


「……」


「知らなかったのか。お前と天喜は”レインボーヘブンの空”の血を二つに分けて受け継いでいる。”夜叉王の伐折羅”と”蒼天の天喜”。だから、俺は約束する。いつかレインボーヘブンを見つけたら、必ず、二人を迎えに来ると」


「だめだ。僕は黒馬島の守り手なんだ……。一緒には行けないよ」


「ならば、黒馬島ごと、レインボーヘブンにくればいい」


 ゴットフリーにしがみついて泣いていた伐折羅は、その言葉にえっと顔をあげた。


「この島のご神体の黒馬は、なぜ俺の元にやってきた? 闇馬刀も然りだ。そして、海の鬼灯は、この島で俺を待っていた。俺を闇の王にして、黒馬島に君臨させる。そして、この島を根城に、うみ鬼灯ほおずきたちは領土を広げ、破壊と破滅の王国を作り上げようとしていたんだ。なぜ、奴らは黒馬島にこだわった? レインボーヘブンの女神、アイアリスは言った。彼女に見捨てられ、恨みを残して海の鬼灯に変化した盗賊たち……俺は、その末裔、その長なのだと」


「それは、どういうこと? ……僕には意味がわからないよ」


「この黒馬島が。多分、かつてレインボーへブンを襲撃した盗賊たちは、黒馬島からやってきたんだ。あの西の盗賊たちは、直系ではないにしても、その流れをくむ者たちだ。黒馬島は、自分で移動を繰りかえす島なのだろう? 断言はできないが、この島とレインボーヘブンはどこかで繋がっているぞ。レインボーヘブンの七つの欠片、きっと、その中にその秘密を知る者がいる。俺にはそんな気がしてならないんだ」


「だから、レインボーヘブンを見つけたら、黒馬島ごと、僕たちを迎えに来ると言うの」


 伐折羅は半信半疑でゴットフリーに問うた。


「必ず、迎えに来てやる。それを可能にしてみせる。俺は、どちらかというと、レインボーヘブンより黒馬島側の人間のようだしな」


「そんな話は信じられない……とても、信じられないよ」


 一瞬、黙り込むと、伐折羅はゴットフリーの腕にまた、拗ねるように顔をうずめた。


「約束できる? 僕にあなたは、何か約束の印を残してくれる?」


「約束の印……俺は天喜からあの鳥を託されている。そして、天喜には、俺の金のロケットを預けてきた」


「鳥……天喜はあの白い鳥をあなたに渡したんだね」


「あの鳥は、同時に”折羅の黒い鳥”でもあった。そして、あの鳥こそがレインボーヘブンの欠片”空”。お前たちの母親の移し身だったんだ」


「そう。でもそんなことはもうどうでもよくなった。……約束の印、天喜には金のロケットか……」


 伐折羅の腕が、ゴットフリーの腕を引き寄せる。


「もう少し、かがんで。あなたに見せたいものがあるんだ」

「見せたいもの?」


 多少、億劫な気分で姿勢を低くした瞬間、ゴットフリーは胸に焼きつくような衝撃を感じた。

 そのまま、立っていることもできず、前のめりに倒れこむ。


「伐折羅……お前……」


 痛みに耐えながら見上げた先に、血に染まったナイフを手にした伐折羅が立っていた。

 寂しそうな微笑みを浮かべて、伐折羅はゴットフリーを見すえている。


「その傷は消えないよ。それは”約束の印”だから。あなたは、きっと迎えに来ると言ったね。その傷が痛む度に、ゴットフリー、あなたは僕との約束を思い出すんだ」


 鮮血が滲むように、地面に広がってゆく。


「大丈夫だよ。死にはしない。急所ははずしてあるから……でも、血がいっぱい流れ過ぎたら……」


 もしかしたら、死んでしまうかもね……。


 伐折羅は、くるりと倒れているゴットフリーに背を向けると、そのまま西の方向に歩き出した。

 

 死んでしまっても、それでもいいんだ。ジャン……光に溢れた場所の住民。あんな奴にあなたを獲られるくらいなら、……ゴットフリー、あなたが死んでしまっても、僕は……かまわない。

 

 とめどなく流れる涙を、ぬぐいもしないで、伐折羅は歩き続けていた。


 レインボーへブン、万民が憧れる至福の島。その島を見つけて、あなたが僕を迎えに来てくれても、そこに僕の居場所があるのだろうか。

 夜の風は言っていた。どんなに憧れても、闇の住民には叶えられない夢があると。

 そんな夢を見て、後で悲しい思いをするよりは……


 黒馬島、ここに永遠にゴットフリーの屍を埋めるなら、僕は喜んでその墓守になってやる。

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