第36話 黒馬島の秘密


「ゴットフリー、ちょっと、待ってくれ!」


 足早に行ってしまうゴットフリーをタルクが呼ぶ。そ知らぬ顔で無視するつもりが、タルクのその次の言葉が、彼の足を引き止めた。


「どうしたんだ、ジャン? 気分でも悪いのか」


 先ほどまで饒舌じょうぜつに話をしていたジャンの様子がおかしい。立ち止まって俯き、肩を小刻みに震わせている。


「ジャン……お前……泣いてるのか」


 ジャンの顔を覗き込み、タルクは驚いて表情を曇らせた。


「おい、どこかで怪我でもしたのか。痛いところでもあるのか」


 無言で、流れる涙を手でぬぐう。それでも、ジャンは泣くのを止めることができなかった。


「……だって、心が……伝わってきて……僕は悲しくなってしまって……」


 泣きながら、ジャンはゴットフリーの方へ歩き出す。タルクと天喜は、ただ、おろおろと、その様子を見守っている。


「お前、何を、めそめそと泣いている」


 ジャンを見すえるゴットフリーの灰色の瞳は、かすかに戸惑いの色を帯びていた。そんな彼に無言で視線を返した少年のとび色の瞳。


 だって……泣いているのはお前だろう。僕の心とゴットフリーの心は同調シンクロすることがある。その思いが僕の中にあふれ出て、僕は泣き止むことができないんだ。


「おかしな奴。どこかで頭でも打ったんじゃないのか」


 はき捨てるように悪態をついたゴットフリーに、ジャンはぽつりとこう言った。


「なら、お前の代わりに僕が泣いてる」


 そのとたん、ジャンの足元で土塊が盛り上がり出した。みるみるうちにそれは、高く上に伸び上がってゆく。


「えっ、何っ? ジャンの下の土が……」


 口をぽっかりと開けたまま、天喜は天を仰いだ。だが、タルクはかなり冷静に、この状況を受け入れることができた。ガルフ島でも、ジャンは居住地の屋根をはるかに越える高さの山を作ったことがあったのだ。

 もっとも、その時に、ゴットフリーは寸でのところで、転がり落ちてきた大石の下敷きになるところだったのだが。


 ジャン一人がやっと乗れるほどの細長い岩柱。その頂に座り、ジャンは膝小僧に顔を隠すように泣いていた。


“僕を放っておいて。一人でここにいたいんだ”


 頭に響いてくるジャンの声。


「タルク、何が起こったの。ジャンの声が頭に浮かぶ……それに、あの岩柱は……?」


「驚くのも無理はないよな。ジャンはな、天喜の母さんのお仲間らしいんだ。レインボーへブンの欠片ってやつの」


「……レインボーへブンの欠片? 七つの欠片のうちの一つ、それがジャンなの? お母さんは”空”、BWは”紺碧の海”……そして、私は”夜の風”も知っている。なら、ジャンはレインボーへブンの何?」


「ジャンはいしずえ、レインボーへブンの欠片 ”大地” だ。だから、奴は山を作り、大地を揺らし、天の道を作り出す」


 そう告げるゴットフリーの声には、一抹の疑いも込められてはいなかった。


「レインボーへブン……女神アイアリスにより七つの欠片に分けられた伝説の島……いつか、ジャンやお母さんたちは、またレインボーへブンに還る。本当にそんなことができるの」


 ゴットフリーは天喜に言う。


「俺やタルク、リュカ、そして、ジャンはそのために旅を続けてきた。真の至福の島を蘇えらせる場所を探すために」


「私も行きたい……。伐折羅と二人で、お母さんがいるレインボーへブンの空を見てみたい」


 天喜は琥珀のように澄んだ瞳でそう言った。その頭に手をぽんと乗せてタルクが頷く。


「呼んでやるとも。俺たちがレインボーへブンを見つけたら、天喜と伐折羅を真っ先に。何たって、お母さんが”空”なんだからな」


 同意を求めるようにゴットフリーに目をやった瞬間、タルクははっと、ある物を思い出した。


「そうだ……大切な物を忘れていた」


 ごそごそとポケットをまさぐり、中から取り出した物をゴットフリーに差し出す。


「これは……」

「ザールから預かったんだ。お前の親の遺品だと言っていた」


 豪華な造りの金のロケット。このロケットを欲しいがために、ゴットフリーはザールの罠に陥ったのだ。


 黙って、ゴットフリーはロケットを受け取り、その蓋を開けてみる。


「中の写真はザールが捨ててしまったらしい……本当にあいつは馬鹿野郎だ!」


 はき捨てるように言うタルクの手に、ゴットフリーは再び、ロケットを手渡した。


「そんな物にはもう用はない。どこかへ捨ててしまってくれ」

「えっ、でも、大切な物なんだろ?」

「今さら、親のことを知って何になる。俺には必要のない物だ」

「でも……」


 その時、タルクの手に、白い手がすっと伸びてきて、金のロケットを奪い取った。天喜だった。


「捨てるなんて絶対、駄目。これは、私が持っているわ。タルクたちがレインボーへブンを見つけて、私と伐折羅を迎えに来るまで、私がこれを預かっている」


 いいでしょ? と天喜の瞳が強く訴えている。


「ゴットフリー、それでいいのか」


 彼の出方がわからない。タルクは多少、戸惑い気味にゴットフリーに目をやった。

 だが、


「いいだろう。俺は必ずお前たちを迎えに来る。そのロケットはお前の好きにすればいい」


 ゴットフリーには迷いがなかった。天喜はぱっと頬を赤らめた。


「ならば、この鳥を連れていって。この鳥は、レインボーへブンの欠片”空”なのでしょ。あなたたちの旅には必要なはず。黒馬島がどこへ行ってしまっても、この鳥が、私と伐折羅のいる場所を見つけてくれるわ」


「黒馬島がどこへ行ってしまっても……ってどういうことだ。この島はいったい……?」


 タルクは解せない風に首を傾げたが、ゴットフリーには思い当たる節があった。


「この島は、俺たちの前に何の兆しもなく、突然現れた。靄に隠されているだけでなく、この島は……」


「そう、この黒馬島は一つの場所に留まってはいられない。島ごと移動を繰り返し、住民でさえもその位置を知ることができない。だから、一度、この島を出た物は二度と戻ってはこれないのよ」


「何! どうして、それを早く言わなかった!」


 驚くタルクに天喜は気まずそうに下を向く。


「だって、タルクたちは、久しぶりに会った外海の人たちだったのよ……言えばみんなは出て行ってしまう。そして、もう、戻ることはない。それが嫌で……」


「ただし、例外があったな。西の盗賊、そして、ザール。奴らはその方法を知っているはずだ」


「みんなは、そんなことを言ってるけど……でも、島が動く前は小さな地震がいくつも起こるから、私たちにも少しは予測ができるのよ」


 天喜の言葉にゴットフリーは、ザールが館で言ったことを思い出していた。


 なるほど、奴が館でタイムリミットはせいぜい5日と言っていたのは、島が移動するまでの時間の事だったんだな……


「まだ、黒馬亭で休めるだけの時間はあるわ。それでも、早めにこの島を出た方がいい。一度、移動を始めたら、次にこの島は海の果てに現れるかもしれない」

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