第34話 選ぶべき道

 ジャンは、紅の灯の間を縫いながらゴットフリーの元へ心を飛ばしていた。今のジャンには実体がない。うみ鬼灯ほおずきも、もともとは、それと同じような精神体なのだ。進路を塞がれ自由に前へ進めないもどかしさに、ジャンは苛立った。


 この胸を突き刺す痛み……何が起こっている? 僕は行かなきゃならないんだ。一刻も早くゴットフリーの元へ。


*  *


「ゴットフリー! 放っておくと、炎馬はまた大きくなる。もう、闇馬刀の力でしかあの馬は止められない!」


 伐折羅は、ゴットフリーの背中にすがりついて懇願した。

 闇の戦士が消え失せた今、頼れる者は彼以外にはいない。


「黒馬島を見捨てないで! あなたはご神体の黒馬が認めた人だ。そんなこと、やるはずないよね」


 ゴットフリーは、無言で闇馬刀やみばとうを見つめていた。もう、何もかもが、どうでも良かった。


 なぜ、どいつもこいつも俺を当てにする。ガルフ島も黒馬島もレインボーヘブンも、俺一人の力で、どうすればいいというんだ。


 闇馬刀の切先を真っ直ぐに炎馬の中心に向けると、ゴットフリーはすうっと深く息を吸った。


 ここで、炎馬を消し去ってしまおう。そして、その切先をそのまま、自分の胸に突き刺せばいい。闇に落ちていくならば、俺もみんなと共に行く。


 意を決したように、闇馬刀を強く握り締め、


「海の鬼灯、炎の馬! これで終わりだ。闇馬刀の闇への道を俺の後からついて来い!」


 ゴットフリーは、その剣を大きく空に振り上げた。


 ……が、その時、


― 駄目だ、ゴットフリー! お前が率いるべきものは、死んだ魂ではないんだ ―


 声が聞こえた。


「この声? ジャンか。お前、また体から抜け出したのか」


 それが、どんなに無謀なことか、自分自身が一番知っているはずだろう? 心が抜け出た体は急速に弱ってゆくのではなかったのか。

 

― そんなことより、炎馬をさっさと片付けてしまえ。けど、共に行くなどと、そんな馬鹿な考えはこの僕が許さない! ―


「貴様の許しを誰が請うた? 海の鬼灯に貶められても、あれはガルフ島の……者たちなんだ。闇の中をさ迷わすわけにはゆかないっ」


― 闇の中へなど、行かせないよ。闇馬刀は人々を闇に誘う剣ではないんだ。だから、ゴットフリー、渾身の力を込めてあの炎の馬を斬ってやれ ―


 お前の本質は悪なんかじゃない。僕にはやっと答えが見えてきた。闇と光を同時に導く、二つの世界を渡る者。だから、みんなが救いを求めて、お前のまわりに集まってくる。


― ゴットフリー、自分を信じて、その闇馬刀をもう一度よく見てみろ。そうすれば、きっと選ぶべき道が見えてくる ―


「俺の選ぶ道……」


 ゴットフリーの手の中で闇馬刀が薄く輝きだした。その刀身を見すえる灰色の瞳には、闇へ続く一本の道が映し出されている。


「刀身の中の一本道は、暗黒へ続くばかりだ。ここに何の救いがあるというんだ」


― それは、お前の心が負に向かっているからだ。望めば、その剣は希望の道への指針となる。僕の力に触れて、ガルフ島で色をかえた黒剣。レインボーヘブンへの道標を指し示した後、あの剣はどこへ行った。 闇馬刀は形こそ違ってはいるが、お前の愛刀……黒剣と同じ物だ。お前は自分でも知らぬうちにそれを悟っているではないか! ―


 ジャンがそう言った瞬間、紅い灯がざわと揺れた。そして、巨大化した炎馬が2・3歩後ずさりをした。

 ぼうっと白く輝きだした闇馬刀の光が、徐々に眩さを増してゆく。ゴットフリーの後で、それを見ていた伐折羅が、あっと声をあげた。


 剣の色が……変わってゆく。そんな馬鹿な!


 ゴットフリーが握る剣の根本から閃光が走り、闇馬刀が漆黒から白銀に色を変え出したのだ。


 何を驚くことがある。黒馬亭の天窓で、この剣は俺を待っていた。黒馬島の神剣として。それは何を意味している?

 ガルフ島だけでなく、この黒馬島の住民まで、俺に託そうというのか。


 真っ直ぐに構えた刀身を見すえて、灰色の瞳にその光を映し出す。そして、ゴットフリーは胸がすくような笑みを浮かべた。

 白銀の剣の中に一本の道が見えた。それは、闇へと続く道。その消失点は闇馬刀の奥にある。


「だが、剣をはるかに超えて続く道が俺には見える」


 闇馬刀を大きく振りかざすと、ゴットフリーは迷いもなく、それを炎馬に向けて振り下ろした。


 静かすぎる終焉がやってきた。炎馬を作り出していた海の鬼灯は、叫ぶこともなく、白銀の剣に身をさらした。

 炎馬から飛び散った紅い光が、剣の光に溶け込むように消えてゆく。ゴットフリーが振るった闇馬刀の切先から白銀の光がほとばしった。


 光は闇馬刀を飛び出し、矢のように光の線を空に描き出した。


「それは天に続く道だ。ミカゲ……俺はまだ、そちらには行けない。俺がいなくても、お前は、みんなの魂を光の中へ連れてゆけるな」


 かすかにミカゲの姿を垣間見たような気がして、ゴットフリーはぽつりと言った。

 やがて、光の走る方向の空が白く輝き出した。


「夜明けだ……」


 長い夜が終りを告げた。昇り出した朝日にゴットフリーの髪が紅く輝く。伐折羅は、その眩しさに目を細めた。黒馬島にはびこっていた海の鬼灯は、跡形もなく姿を消していた。


 海の鬼灯と同じ紅。だが、この紅の深遠な光は闇の世界の物じゃない……。


 そう思った瞬間、伐折羅は空にいることが急に怖くなってきた。なぜなら、


 僕の黒い鳥が……


 朝日の光を受けた時、伐折羅の黒い鳥までが、白く色を変え出したのだ。


「ゴットフリー、駄目だ。僕はこの鳥には乗れない。これは、僕の鳥じゃない!」

「伐折羅っ、危ないっ」


 ゴットフリーは、驚いて手を伸ばしたが、それを振り払うように伐折羅は鳥から落ちていった。


 あの鳥には僕は乗れない……白い鳥。! あの鳥は……僕が乗るには眩しすぎるんだ。


「ジャン、何とかしろっ! 伐折羅が落ちたぞ!」


 ゴットフリーが叫んでも、ジャンからの返事はなかった。


「ジャン……? どこへ行った……」


 朝日に輝く天喜の白い鳥の上で、ゴットフリーはふと、東の空に目をやった。


 俺の選ぶべき道。ジャンは言った。自分を信じれば自ずからその道は見えてくると。


 闇馬刀からほとばしった光の道と平行に、七色の虹が空に線を描いてゆく。


 それは、架け橋。至福の島、レインボーへブンへの虹の道標。


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