第33話 迷い


「お前たち……どうして、ここに……」


 わかっている。これはフェイクだ。彼らの体をとりまく紅い灯……これは、うみ鬼灯ほおずきが見せている幻にすぎない……。


 そう思いながらも、ゴットフリーは正面を向くことができなかった。守れなかった命の一つ一つを思い起こす度に、胸が引き裂かれる思いがする。


「ゴットフリー、どうしたの」


 剣を握る手に、少しも力がこもっていない。黒い鳥の首筋に顔を隠し、自分から視界をさえぎっている。

 がらりと表情を変えたゴットフリーに、伐折羅ばさらは眉をひそめた。


「うっとうしい紅い灯! ゴットフリー、僕にまかせてくれていいよ。こいつら全部、闇の戦士の餌食にしてやる」


 伐折羅の目には、まわりをとりまいているのは、今までと変わらない紅い灯にすぎなかった。

「闇の戦士! このうっとうしい紅い灯を、全部、奈落へ連れて行け! やりたきゃ、この場で引き裂いて、食ってしまってもかまわない」


 伐折羅の声に呼応するように、黒い鳥の下の闇が、激しい勢いで湧き上がってきた。

 次々と闇にさらわれて行く紅い灯は、消える間際に悲痛な叫び声をあげた。それは、否応なしに、ゴットフリーの耳元に響いてくる。


 これはペテンだ。惑わされてはならない!


 それでも、かつて、共に過ごした人々の声を耳にした時、ゴットフリーは思わず、そちらへ目を向けてしまった。


“ ゴットフリー隊長、僕の顔を忘れてしまったのですか ”


 唇を噛み締めて、何かをこらえるように、ゴットフリーは体を震わせた。


「ミカゲか……。リリアが狂ってしまった後も、唯一仕えてくれた使用人の……」


"そうです。海の水を嫌というほど飲んで……苦しさと死への不安を抱えたまま、私の命はガルフ島の海へ、消えてしまった”

 

「だから、……お前は海の鬼灯に……なったのか」


“わからない。でも、僕の魂は、行く場所を探して、まだこの世をさまよっている”


 ただの紅い灯……伐折羅にはそうとしか思えない。だが、ゴットフリーの思いは、一心に紅い灯に向けられている。


 僕を通り越して……無視して。


 伐折羅はいらだった。


「うっとうしい紅い灯! ゴットフリーを惑わすなっ、お前らには闇の世界がお似合いだよっ」


 伐折羅が叫んだ途端、闇が大きく膨れ出した。


 “嫌だ。闇の中に落ちるのは嫌だ。助けて、ゴットフリー……”


 ゴットフリーの目の前でミカゲの姿が見る見るうちに、闇に吸い込まれていった。ミカゲと同じように海の鬼灯に化身したガルフ島の住民たちも、泣き叫び、ゴットフリーに助けを請いながら闇へ消えてゆく。


「消えろ、消えろっ! 闇の中で好きなだけ泣き叫ぶがいい。そこは永遠にお前たちの住処となるのだから」


 伐折羅の胸をすくような笑い声が、ゴットフリーの心を更に苦しくさせる。


 永遠に帰っては来れない闇……救いのない暗黒の。


 もう、空にはたった一欠片の紅い灯だけが残るのみになっていた。


「そろそろ、終焉だね。こいつを消し去れば、僕らの勝利だ」


 勝ち誇った表情で、伐折羅はゴットフリーに目を向けた。しかし……彼は愕然と宙を見つめているのだ。

 最後の海の鬼灯。それは、最も見たくない姿をゴットフリーの前に作り出していた。


 “助けて、ゴットフリー。私の可愛い息子……行きたくない。私は、いつまでもこの世に留まっていたい……”

 

 リリア……ガルフ島の島主、そして俺を拾って育ててくれた恩義ある人……。俺は、俺は……この人を永遠に闇に葬りさることはできない。それだけはできない!


 うめくような声をあげると、ゴットフリーは手にした闇馬刀を高々と頭上に振上げた。


「ゴットフリー、何をするのっ!」


 焦って止めようとする伐折羅を振り切って、斜めに闇を切裂いた。その瞬間、伐折羅の闇は飲み込んだ食物を嘔吐するように、紅い灯を吐き出したのだ。

 再び黒馬島の空は紅く染まり出した。逆転の展開を喜ぶように前より一層、色濃く燃えあがる。それと逆にゴットフリーに斬られ、力を失った闇の戦士たちは、次々に姿を消してゆくのだ。


 闇馬刀……何て力を持っているんだ。たった一太刀で僕の闇を切裂くなんて。


 伐折羅は、ただ驚いて、黒光りする闇馬刀を見つめるばかりだった。


「ゴットフリー、あなたもしょせん、外海の人間か! 黒馬島がどうなっても、かまわないと言うんだね」


「伐折羅……俺は……」


「ひどいよ。黒馬島は、父さんが……そして、僕が命をかけて守ってきた大切な島なのに」


 伐折羅が流した大粒の涙。夜叉王の内に隠れている元の伐折羅が流しているのか、そこには一片の邪心も感じられない。


 黒馬島を見捨てるわけにはゆかない。ならば、海の鬼灯に化身したガルフ島の人々を出口のない闇に閉じ込めるのか。そうしなければ、彼らの魂はこの世を永遠にさまよい歩くぞ。海の鬼灯として、周りの物を取り込みながら、破滅に導きながら……


 ゴットフリーは、首をうなだれ、唇を強く噛み締めた。つうっと口元から流れた血が、闇馬刀の表面に苦悶の筋を描き出す。


 どうすればいい。俺には、もうなす術がない。


 伐折羅の哀しみ、ゴットフリーの苦しみ。それらは、海の鬼灯にとって最上級のご馳走だった。闇から開放された海の鬼灯は、我が意を得たりと、また集結をし始めた。


 炎馬……、また、俺を闇に誘うか……。いっそのこと、海の鬼灯に変化した人々の魂を引きつれて、闇の王になってしまえと。


 空が紅く燃えていた。巨大な炎馬がその中で大きく嘶いた。それは、黒馬島を征した勝者があげる勝どきの声なのか。結末はまだ見えてはこなかった。

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