第32話 闇馬刀の闇
「タルク、雨だ! 雨が降ってくるぞ!!」
ジャンがそう叫んだとたんに、滝のような雨が打ち付けてきた。それは、空に広がった
「有難い! これで町の火が消える」
タルクは満面の笑みを浮かべた。けれども、ずぶぬれになった顔を手でぬぐった時、何ともいえない奇妙な表情を浮かべた。
「ん? この雨……塩辛いぞ……」
「塩辛い? ……そうか!
「BW? あの青二才のことか? でも、何であいつの名前が出てくるんだ」
胡散臭そうに尋ねてくるタルクの顔を見て、ジャンは笑みをもらした。
そうだった。タルクはBWがレインボーへブンの欠片であることを知らないんだった。
「いや、何でもないよ」
「お前っ、まだ、俺に何か隠してるなっ!」
雨足は徐々に静かになってきた。町に広がっていた炎のほとんどは、紅の灯とともに消え失せていた。
町の人々はなす術がなく、燃え滓のような町の中で立ちすくんでいる。
「まだ、火が完全に消えていないかもしれない。怪我人も多く出ているだろう。タルク、大変だとは思うが、町の人々に指示を出して、火事の後始末をさせてくれ」
そのジャンの言いっぷりが、ゴットフリー隊長みたいだと、タルクは笑った。
「まかせてくれ。ガルフ島でこういう状況は経験済みだ。あっちは崩壊の憂き目にあったが、こっちは、町の中心が焼けただけだろ。それに比べりゃ、まだましだ」
「そうか、なら、僕は行くから」
「……行くって……どこに?」
そう聞きながらも、タルクにはその答えはわかっていた。
「あのまま、
頼んだぞと、タルクが言う前にジャンは、もう走り出していた。紅の空が見る見るうちに闇に覆い隠されてゆく。だが、ジャンが見つめる空の一角だけは、まだ紅の色に輝いていた。
あそこに炎馬……海の鬼灯の本体がいる。
ジャンはその光をめざして、駆けてゆく。
”ジャン、待って! 私も一緒に!”
風の中から響いてくる声。
「
― あなたを私の風に乗せて、ゴットフリーの所へ連れてゆくわ。だって、あなたは、空を飛べないでしょ ―
ジャンは首を横に振る。
「この体から抜け出れば、僕はどこまでも飛んでゆける」
― とんでもないことを言わないで! 力の戻ったあなたは、今の体から離れることはできない。もし、できたとしても、下手をすれば、あなたの体はもう使い物にならなくなるわよ ―
「……ほんの短い間なら、大丈夫な気がするんだ。女神アイアリス、あの人の思惑に乗るつもりはないが、その恩恵を受ける権利が僕にはあるから」
あなたはレインボーヘブンの守護神だ。ゴットフリーを守るためなら、僕に力を貸してくれるよな。
ジャンは、紅く輝く灯の方向を確認すると、立ち止まって目を閉じた。そして、心の中で叫び声をあげた。
“ 女神アイアリス! 僕をもう一度、この体から自由にしてくれ! 僕はゴットフリーの元へ行かなきゃならない! ”
すると、突然、ジャンの体が白銀に輝き出したのだ。
霧花は、天空に飛びたっていった一筋の光を不安げに見送った。それから、地面に倒れているジャンの体にそっと手を伸ばした。
艶やかな長い黒髪、夜色の瞳。
ジャンからこぼれ落ちたアイアリスの力が、その姿を闇に浮かび上がらせたのだろうか。
レインボーヘブンの女神、アイアリス……私にはわからない。あなたがもっと早く、手をくだしていれば、あの紅の灯はこれほどまでには大きくならなかった。あなたはジャンに力を貸しながら、同時に海の鬼灯を育てている……これは、私の思い過ごしなのですか。
美しい顔を曇らせて、霧花は、抜殻になったジャンの体を膝に抱きかかえた。
* *
黒馬島の空は、もう、ほとんどが闇に覆われていた。その中を一つだけ異様に明るく燃える紅色の炎が駆け抜けて行く。
西の山へ。それは、黒馬島にとっての鬼門の地。悪と暴力がはびこる盗賊たちの住処だった場所だ。だが、彼らが、黒馬島の靄がはれる唯一の場所にいるということが、外海から来る侵略者たちの入島を悉く失敗に終わらせていた。
“西の盗賊は、島の人々には決して手をつけてはならない”
島以外でどんな悪行を働いていても、その掟が守られる限り、彼らは島の守り手だった。それゆえ、島民たちは彼らと共存の道を選んでいた。いったい、いつからそんな慣習が続いてきたのだろう? 今の黒馬島に、その歴史を知る者がいるとは思えなかった。
「海の鬼灯……炎の馬! 西の山より先はもう黒馬島の圏外だ。有難いな。黒馬島をあきらめて外海へ行ってくれるのか」
炎馬を追いかけて飛ぶ黒い鳥の背で、ゴットフリーは皮肉たっぷりに言った。
炎馬は歩を止めると、自分の斜め下まで追いついてきた黒い鳥を、怒りの眼差しで睨めつける。
「さて、ここらで、そろそろ決着をつけようじゃないか。お前の分身たちは先に闇に落ちてしまったようだしな」
ゴットフリーの後で、それを聞いた
炎馬とゴットフリーたちの廻りには、彼ら以外に色というものは、何もなかった。ただの闇。奈落の底につながるような暗黒の世界が広がっているだけなのだ。
「あの紅の灯は、もう二度とこちらには戻ってこれないよ。黒馬島を狙う奴は、闇の戦士がすべて奈落の底に連れて行ったから」
伐折羅の言葉に、ゴットフリーは一瞬、快感を覚えた。だが、その時、彼が手にした
黒い刀身には暗黒の闇が広がっている。
闇馬刀を真一文字にかまえて、ゴットフリーは、はっと灰色の瞳を見開いた。
違う……”闇馬刀の闇”と”伐折羅の闇”は、まるで違っている。
伐折羅の闇は、底のない落とし穴のようなものだ。入った者は永遠に闇の中を落ちてゆく。だが、闇馬刀の闇には、黒馬が通ってきた道がある。たった一本の闇と現世をつなぐ道。
俺にそれを知らせて、一体、どうしろと言うんだ!
頭に浮かんだ雑念を振り払うかのように、ゴットフリーは闇馬刀を炎馬に向ける。
「行けっ! このまま、炎馬の心臓を貫くぞ」
黒い鳥が急上昇を始めた。闇馬刀の切っ先は炎馬の急所を確実にとらえている。伐折羅はゴットフリーの背にしがみつきながら、胸がすくような歓喜に心を躍らせていた。
体の中心、ちょうど心臓部分を闇馬刀で貫かれた時、炎馬は凄まじい叫び声をあげた。その瞬間、炎馬の体は粉々に弾け飛んだ。
断末魔の悲鳴と共に、正視できないほど強い紅の光が、辺り一面に炸裂する。
一瞬、視力を奪われたゴットフリーは、おぼろげに視界が開けてきた時、唖然と周りを見渡した。
ガルフ島警護隊……そして、ガルフ島の……
火の玉山の噴火と大津波に飲み込まれ死んでいった、ゴットフリーの部下たち、そして島の人々。ゴットフリーと伐折羅を乗せた黒い鳥をぐるりととりまくように、彼らの姿が空に浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます