第31話 紺碧の海と夜の風

 町を襲う炎から逃れ、たどり着いた海岸で、天喜あまきは唖然と空を見上げた。

 燃える空を闇が飲み込もうとしている。断末魔の叫びのように吹き上げられるうみ鬼灯ほおずきがその闇に戦いを挑んでいる。


「どうにかして、あの炎を消してしまわないと、町どころか、黒馬島全部が燃え尽きてしまうわ」


 天喜をささえている胸から、すがりつくような視線を送られて、BWブルーウォーターはしばし言葉を失った。だが、やがて、意を決したようにこう言った。


「この火を消せばいいのですか」

「……でも、こんなに広がった火の手をどうやって止めるというの?」

「黒馬島のまわりの波を高くあげれば、あるいは消せるかもしれません」

「波を? そんなことができるのは神様しかいないわ」


 天喜の言葉にBWは思わず笑みをこぼした。


「神様ほど酷な真似はしませんよ。私はレインボーへブンとガルフ島で2度も沢山の命を飲み込んでしまった。最初は女神アイアリスの意のままに、二度目は海の鬼灯に踊らされて。だから、黒馬島では、そんな失敗は絶対にしない」


 抱き寄せた天喜の体をそっと離すと、BWは空を見上げた。


霧花きりか、夜の風! そこにいるのでしょう」


 返事はなかった。


「……海の鬼灯との戦いで、疲れ果ててしまいましたか。でも、もう少し力を貸してください」


 ― 力……? 私に何をしろというの ―


「黒馬島のまわりの波。それを風で町に運ぶだけです」  


 ― …… ―


「運んだ後のことは、あなたに任せていいですか? 私だと、また、黒馬島を海の底に沈めかねませんから」


 ― わかったわ。海の水を、町に降らせばいいのね ―


 風がびゅうと、通り過ぎていった。天喜は、その瞬間、あっと声をあげた。


「これは、あの時……黒馬亭で窓ガラスをたたき割った、あの風だわ」


 天喜の言葉にBWは意外な顔をする。


「窓ガラスを割ったって? あの霧花が」

「そうよ、ジャンと話をしていて、すごく怒っていたの」


  BWはくすと笑いをもらした。


「それは、ゴットフリーがらみでしょう。多少、理性を失った行動に出ても仕方ない。彼女はゴットフリーの命令ならば、この世の果てでも飛んでゆきますよ」

「ゴットフリー! あなたは、ゴットフリーを知っているの」


 だが、無言でBWは、波際へ歩き出した。


「待って。私にもう少し話を聞かせて!」


  BWの後姿を追いかけようとした天喜は、はっと表情を変えた。


 波音? ううん……歌が聞こえる……美しく、優しい小波のような声。これは、この緑の髪の人が歌っているの?


 やがて、BWの体から蒼い光がほとぼり出した。柔らかなその光に触れた時、天喜は心の不安が幾分か軽くなったような気がした。


「天喜、会えて良かった。ここで力を使ったら、私の姿はまた見えなくなってしまう。ですから、ここでとりあえずお別れを言っておきますよ」


 その瞬間、海岸の波が高く舞いあがった。BWはその中に躊躇もしないで、歩いてゆく。


「待って! 私を置いてゆかないで!」


 大津波のように盛りあがった海面に驚き、天喜は足がすくんで一歩も動けなかった。だが、BWの力に制御された波は、決して海岸の天喜の方へ進もうとはしなかった。


「お願い、せめて名前を聞かせて!」


 その姿はすでに見えなくなっていた。だが、天喜の耳に響いてきた波の音は、ささやくように、こう言った。


 BWブルーウォーター、私はレインボーへブンの欠片”紺碧の海”。また、会いましょう。


 天喜……蒼天の輝きをもつ空の落し子。


*  *


「燃えている家からの延焼は何とかくいとめたが……」


 顔を煤で真っ黒に染めて、タルクは空を仰ぎ見た。タルクとジャンに先導されて、燃える家々を壊し続けた盗賊たちは、疲れ果てて、死んだように地面につっぷしている。


「大変だ! ジャン、炎馬が移動し始めた。また、炎を吹き上げて、今度は黒馬亭の方向を焼き尽くすぞ」

「何だって!!」


 風の壁の呪縛がとけてしまったのか? そういえば、さっきまで強く感じていた霧花の気配がどこにもない。


 霧花、まさか、海の鬼灯に!?


「大変だ! そ、空が燃え出したぞ。何なんだ? あの黒と紅の巨大な渦は!」


 爆発音とともに、空から火の粉が降ってきた。たまりかねて盗賊たちは蜘蛛の子をちらすように逃げてゆく。


「ジャン、黒馬亭に行くぞ! 天喜を探すんだ!」


 血相を変えて、走り出すタルクの後をジャンが追う。


 その行く手にも火の手が広がり出した。燃えながら家の柱や屋根が落ちてくる。その残骸を手で払いのけながら、パニックに陥った人々の間をかいくぐって進むのは、ジャンでさえ困難を極めた。


 ちょうど、屋根が焼け落ちた商店の横にさしかかった時だった。


「……助けて、助けてくれ……」


 聞き覚えのあるしゃがれた声。


「タルク、待って! 誰かが生埋めになってるぞ……この声、サームか!」


 倒れてきた柱の下から、煤だらけの手がジャンに助けを求めている。


「サーム? まさか、天喜も一緒か!」


 ぎょっと、目を見開いてタルクが駆け寄ってくる。こともなげに片手で柱をもちあげると、ジャンは下に埋まっていたサームを、外へ引きずりだした。


「サーム、天喜はどこだっ!」

「し、知らない……それより、み、水をくれ」


 派手に柱の下敷きになっていた割には、怪我といった怪我はしていないようだった。だが、町の別の場所からは新たな炎が舞い上がっていた。


「ここにいては、危ない! とにかく、逃げるんだ。タルク、サームと町の人々を海岸へつれてゆくぞ!」

「海岸へ?」

「もう、町のことはあきらめろ。とにかく、命の方が大切だ。だが……」


 燃え上がる炎の中で、人々は狂ったように叫び声をあげている。逃げ場を失い、半ば放心状態で立ちすくむ者、泣きながら手を引かれる子供。こんなパニックの中で、みんなを海岸へ誘導することができるのだろうか。


「黒馬がこの島に仇をなしたんだ……だから、あの神剣を天窓から出すなと、わしは言っただろう……」


 うつろに空を見上げるサームの言葉にタルクは、思わず声を荒げて言った。


「まだ、わからんのか! 黒馬島を焼け尽くそうとしているのは、黒馬ではなく、あの紅の灯がということが!」


 そんなお前たちの、間違った迷信が、海の鬼灯につけこまれたんだ。


「黒馬はこの島を守ろうとしてくれてるんだぞ。島民から信じてもらえないご神体なんて、可哀想すぎるじゃないか!!」


 その時だった。ジャンがはっと空を見上げた。


 風? いや、もっと湿気を含んだ大きな流れがやってくる。


「雨だ! タルクっ、雨が降ってるくるぞ!!」

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