第30話 決戦

 黒馬島の焼けた空。


 町の中心の上空にやってきた時、うみ鬼灯ほおずきが化身した炎馬は高くいなないた。その雷のような声に共鳴し、空中にちらばった紅の灯は激しく火の粉を町にふりそそぐ。

 ゴットフリーが乗る黒馬が後ろを追ってくる。炎馬は歩を止めて振り返ると、業火のような視線を向けて黒馬を威嚇した。

 だが、黒馬はひるまず、恨みの炎を燃えたぎらせた炎馬の瞳に堂々と向かい合った。


「残念だったな。紅の邪気!俺はお前たちの恨みことを聞いてやる気は更々ないんだ。それに、俺を”闇の王”と呼びたいなら、その腐った根性をたたき直してから出直してこい!」


 ゴットフリーの言葉に逆上したかのように、炎馬が嘶いた。その刹那に、周りの紅の灯が黒馬めがけて攻撃をしかけてきた。

 以前、ガルフ島で海の鬼灯と戦った記憶が、馬上の男の胸に蘇る。鎌鼬かまいたちのように、あの紅の灯は人を切り刻むのだ。だが、不思議と紅の灯は近づくことができない。何かがゴットフリーの周りに見えない壁を作り出していた。


 ― 私が炎馬を捕らえている。だから、あなたは、あれを消し去って!―


 耳元に響くの風の声。


「誰だ!? お前の声は前にも聞いたことがある」

 

 ― 私は夜の風 ―


「レインボーヘブンの欠片の一つか」と頷き、ゴットフリーは黒馬の背から天の道に降り立った。


「夜の風……か。だが、人の姿をした時の名もあるのだろう?」


 ゴットフリーの横で黒馬の姿が薄れだした。それと入れ替わるように、彼が差し出した右手の中が眩く輝きだす。


 闇馬刀やみばとう。その刀身が完全に形をなした時、黒馬の姿はかき消すように見えなくなった。


 ― 霧花きりか。私はあなたのしもべ。全身全霊をかけてあなたに仕える覚悟はできている ―


 手にした闇馬刀を一太刀振るうと、ゴットフリーはくすりと笑った。瞬間、刃の軌道にあった海の鬼灯がばらばらと落下する。


しもべになど、なって欲しくもないが、炎馬だけは逃がすなよ!」


 ゴットフリーは目の前で真一文字に闇馬刀を構えた。黒い刀身の向こうには闇の世界が広がっている。彼の灰色の瞳には、一本の道が映し出されていた。


 この刃の中をあの黒馬は駆けてくるのだ。闇の世界と現世を結ぶ暗黒の道を。


 海の鬼灯……お前たちが、この世に心留まるつもりならば、俺がこの剣で暗黒の扉を開くまでだ!


ゴットフリーは、闇馬刀で空に大きく十字をきった。


「シャドークロス! 闇の扉!!」


 その瞬間、爆音のような激しい唸りが空の切り口から吹き出してきた。


「闇には闇の場所がある。帰れ! お前たちが癒されるただ一つの棲家へ!」


 暗い唸りが有無を言わせぬ力で、海の鬼灯を闇の扉へ引きずりこむ。だが、紅の灯は激しく燃えあがりながら、更に数を増してゆく。

 抗おうとする力と、制しようとする力。黒馬島の空は爆風の渦を巻きながら、怒涛の嵐を生み出していった。


 霧花が叫んだ。


 ― ゴットフリー、駄目っ。この嵐に私の風が耐えきれない! ―


「海の鬼灯は俺にまかせろ。お前は炎馬だけを留めておけ!」


 ― そんなことはできない。あなたの周りに集まった紅の灯が見えないの? 風の壁を退けてしまったら、あれは一斉に襲いかかってくる ―


 もう、空には空と呼べる色は少しも残っていなかった。びっしりと敷き詰められた紅の渦。闇馬刀につけられた空の裂け目に吸取られても、尚、その数は減る様子を見せようとしない。

 霧花の風の壁が崩されるのはもう、時間の問題だった。力が尽きた時、彼女は悲鳴のような叫びをあげた。


 紅の渦がゴットフリーの方向へ降下してくる。


 これ以上、闇の扉を広げれば、黒馬島自体をも吸取ってしまうかもしれないが……。


 闇馬刀の威力は、ゴットフリーでさえも予想がつかない。


 まがりなりにも黒馬島の神剣と呼ばれた剣だ。無差別に出会った者を闇に引きずり込むとは思えない。


「闇馬刀、俺はお前の力を信じる!」


 黒剣の刀身が、その叫びに呼応するかのようにぎらりと輝いた。海の鬼灯が放つ邪気が熱風となって押し寄せてくる。

 ゴットフリーは大きく闇馬刀を頭上に振りかぶった。もう、後戻りはできない。

 その時、不意に闇馬刀の上から黒い影がおちてきたのだ。一瞬、そちらの方向へ気をそらし、ゴットフリーは顔をしかめた。


伐折羅ばさら……」


 巨大な黒い鳥に乗った夜叉王。その背後は、殺気をはらむ漆黒の闇に包まれている。


 七億の夜叉。 闇の戦士を引き連れて。


「黒剣の闇馬刀……そんな剣があったなんて驚いたな。僕が知っている闇馬刀は白銀色で、天窓に奉られているやつだけだからね……。でも、ゴットフリー、こんな無粋な邪気を神剣で相手する値打ちなんてないよ。こいつらは僕にまかせて。二度と這い上がれない奈落の底までつきおとしてやる」


 伐折羅は澄み切った湖底の瞳で、そう言った。すでに闇の戦士たちは、海の鬼灯を取り込み始めていた。空一面を覆いつくしていた紅が、地平に近い部分から徐々に闇に飲みこまれてゆく。


 霧花の風の壁から開放された炎馬は、闇の戦士に対抗するように激しく嘶いた。すると、炎の体から新たな海の鬼灯が生まれた。


「伐折羅っ、炎馬を逃がすな! あれをしとめないことには、この戦いは終わらない」


 伐折羅の黒い鳥に向かって、ゴットフリーは強い口調で命令する。


「来い! 俺を乗せてあの馬のところへ連れて行け」

「待って! この鳥は僕しか乗せない」


 ところが、黒い鳥はすんなりと彼の元へ降りていった。難なく、黒い鳥に飛び乗った男に伐折羅は驚きを隠せない。


 天喜あまきにすら懐かなかったこの鳥が、こんなにも簡単に……


「伐折羅、お前は降りるか? それとも、俺についてくるのか」


 伐折羅は、ゴットフリーの背につかまると、迷いのない声で言った。


「そんな質問こそ不粋だよ。僕はあなたとならば、地獄の底でも厭わない」


 ゴットフリーと伐折羅を乗せた黒い鳥が、逃げる炎馬を追いかけてゆく。 

 漆黒と紅のまだら模様の中を、二つの風が駆け抜けていった。


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