第19話 古物商(ザール)の屋敷

「よく来てくれたな。待ってたんだ。えらく遅かったじゃないか」


 屋敷でゴットフリーを迎え出たザールは、精一杯の愛想笑いを浮かべて言った。

 黒い影をまとった怪しい館は、中もそれにたがわぬ陰鬱さだった。照明は暗く、壁紙はところどころが剥げ落ちて、少しも手入れをしていないのは一目瞭然だった。

 ザールが収集したのだろう、唐突に置かれている骨董品の壷や置物もあまり趣味がいいものとはいえなかった。


「男所帯で、ろくに、もてなしもできないが、まあ、ゆっくりしていってくれ」


「そんな必要はない。用が終わればすぐに帰る」


「用? ああ、そうか、そうだったな。島主リリアから預かった”お前の親の遺品”は、蔵にしまってあるんだよ。ちょいとばかり、奥に入ってしまっていて、わしの力じゃ出せないんだ」


「だから、俺に出して欲しいと?」


 一体、何を企んでやがる。こんな見え透いたペテンに乗ろうとしている俺も俺だが……。


 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、ゴットフリーは、こっちだと誘導するザールの後をついていった。


 ガルフ島の島主リリアの館ほどの広さはなかったが、ザールの屋敷もそれなりに立派な造りをしていた。

 かつては、黒馬島の住民も豪勢な暮らしをしていたのだろうか、今では、黒い痩せた大地が広がるばかりだ。


 俺の故郷、ガルフ島も昔は豊かな島だった。それを思えば、この島もガルフ島と同じ運命を背負っているのかもしれない。


 ゴットフリーの心は、深く沈みこんだ。なぜ、豊かさや幸福は、一つの場所にとどまっていられないのだろう? およそ人の力では、変えられない現実。それでも、俺は至福の島……レインボーへブンを探さずにはいられない。


「わしは古物商が本業だが、こう見えても、この黒馬島の経済を取り仕切っているんだ。ここで育てられる馬や花は極上もんだぜ……お前さんの義母、島主リリアと面会したのも、その取引の話があっての事だ」


 ザールはいかにも真っ当な商人の顔をして言った。だが、ゴットフリーはそのほとんどが胡散臭いと見きっていた。リリアが自分の知らない所でよそ者と会うなんて、どうせ、ろくでもない骨董品をいかにも珍品と偽って、売りつけようとしたのだろう。


「その時なんだよ。お前さんの両親の遺品を島主リリアから、預かったのは」 


 金細工のロケット……俺の父の写真が入っている。


 ゴットフリーは、一瞬、言葉に詰まったが、


「なぜ、リリアが見も知らぬお前にそれを預けることがある?」

と、ザールを睨めつけた。


「どこか、遠くへやってしまいたかった……と島主リリアは言っていたぞ」


「……」


「お前の身元が知れる唯一の証拠だ。彼女はきっと、お前を手放したくなかったんだろうな。だが、捨てるに捨てれない。それならば、誰か他人に渡してしまおう……てな理由だ。幸い、わしは外海の人間だ。島主リリアはそれを話すと大喜びでロケットを渡してくれたよ」


 ザールの言葉には、どこかしら島主リリアに対する侮蔑が含まれていた。晩年のリリアの精神は半分狂っていた。この善良さの欠片もない古物商は、どんな美味しい言葉で彼女から金品を巻き上げていったのだろう。ゴットフリーは、自分を大切に思ってくれていたリリアに感謝する反面、哀れさを感じずにはいられなかった。


「もう一つ、聞きたいことがある」


 ザールがその質問に簡単に答えを返すとは思えなかった。だが、ゴットフリーは敢えて言葉を続けた。


「この黒馬島から、出て帰ってきた者はいないそうだな。だが、お前にはなぜ、それができるんだ?」


 ザールは、うすら笑いを浮かべながら言う。


「別に隠しているつもりはないがな、黒馬島の住民なら、ほとんどが知っていることだ。西の山の麓一箇所だけ靄の晴れた場所がある。そこから、わしは外海に出るんだ。ただし……そこに行けるのは西の盗賊と取引のあるわしだけだ。それに……」 

「それに、何だ?」

「いつ、その場所から、出ても戻ってこれるわけじゃない」

「……」

「タイムリミットは長くても、せいぜい5日だ」

「どういうことだ?」

「まあ、その話は、お前にロケットを渡してからだ。俺が私腹をこやしていると変に誤解している奴もいるが、わしは黒馬島と黒馬島の住民の為に西の盗賊と付き合っているだけなんだ。それを解ってもらう為にもな」

 

 何個か扉の前を通り過ぎた一番奥の扉の前でザールは足を止めた。


「この扉の奥に蔵がある。ちょっと、待ってくれ。今、鍵を開けるから」


 ポケットから、鍵束をとりだすと、じゃらじゃらと蔵の鍵を探し出す。ふと気づいて、ゴットフリーは蔵の扉に目をむけた。


 あの花の香りがする……


 扉の向こうから、微かだが花の香りが漂ってくるのだ。


「まったく、扉が多すぎて鍵探しにはいつも苦労する」


 がちゃんと鍵がはずれるのを待ちきれないように、ザールは扉を開けた。白壁の何もない部屋。ただ、紅い花の香りだけが満ち溢れていた。


「ここが蔵か? 荷物など何も見えないが」


 ザールは小ずるそうな笑顔を作る。


「この奥にもう一つ扉が見えるだろ。それが、蔵の入り口だ」

「それにしても、この花の香は……」

「ああ、屋敷の中から来たからな。気づかないのも無理はない。この部屋は前にお前と会った花園の隣にあるんだよ」


 再び、鍵の束をいじりだすザールに、一体、何個の鍵をもってやがると、ゴットフリーは苛立ちはじめた。


「あった、あった。待たせたな、さあ、中に入ってくれ」


 扉が開いた瞬間、ゴットフリーは目の前が真っ白になった。花園でかいだ香りより何倍もきつい刺激臭が彼に襲いかかってきたのだ。


「……!」


 立っているにも耐え切れず、その場に膝をつく。喉がきつく締まり、呼吸すらできない状況に、激しく喘ぎだす。

 ザールはあらかじめ用意しておいたハンカチごしに、勝ち誇った声を出した。


「ゆっくりしていってくれと言っただろ? この島を出て、帰ってくる方法? 誰がそんなことを教えるものか。この島の金はすべて俺が管理する。島の人間にはそれなりに分け前をくれてやっている、誰も文句など言わせないぞ。それに、お前のその髪……が気に入ったんだ。お前はわしを虫けらみたいに扱いやがる。だから、お前の息が止まってから、たっぷりと時間をかけて、その髪を拝ませてもらうよ」


 がしゃんと扉を閉めると、ザールはしゃがれた声で高々と笑った。

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