第18話 破滅の王、誘えり

  突然、目の前に現れた少年に、西の山から来た盗賊は眉根を寄せた。


「なんだっ、お前?! まさか俺とザールの話を聞いていたのか」

「お前は天喜あまきを愚弄した……」

「なに? ははあ、思い出したぞ。お前は天喜の双子の弟だな。ふうん、綺麗な顔してやがる」


 品定めをするような盗賊の視線。伐折羅ばさらは軽蔑の色を露にして、その顔を見返す。

 静まり返った湖底のように悲しげな漆黒の瞳、人の心を引き付けずにはおられない表情の危うさ。盗賊は思わずごくんと生唾を飲み込んで言った。


「お前たち、そっくりな双子なんだってな。こりゃあ、ますます天喜を連れて行きたくなったぜ。何ならお前もどうだ? そういう趣味のおやじもけっこういるからよ」


 薄笑いを浮かべると、盗賊は伐折羅の肩に馴れ馴れしく手をまわす。


「……何なら俺がお前を買ってやってもいいんだぜ」


 だが、次の瞬間、盗賊はその場にうずくまった。


「お、お前、やりやがった……な」


 盗賊の腹からは、おびただしい量の血が流れていた。


「子供だと思って、油断した? 剣を奪われたのもわからなかったの?」

「ち、畜生……こんなことをしてただで済むと……思うな……」


 そう言うと、盗賊はばったりと倒れ込んだ。


 ― 最後までしっかりと、殺してあげるよ ―


 伐折羅は盗賊の心臓を貫こうと、血に染まった剣を振上げた。その時だった。


「伐折羅っ、待て!」


 びくりと振り返った瞬間、伐折羅の心臓は再び鼓動を打ち出した。冷たい灰色の瞳が自分を見つめている。


「ゴットフリー、ぼ、僕……」


 伐折羅は握り締めていた血まみれの剣が急に恐ろしくなり、慌ててそれを地面に捨てた。


「様子がおかしいと後を追いかけてみれば、この有様か。お前、自分が何をしているのか、わかっているのか!」


「あ……ぼ、僕……こいつが、天喜だけじゃなくって、僕まで連れてゆくって言って、怖くて夢中で……それで、刺してしまったんだ……」


「馬鹿なことを! あいつは西の山の盗賊だ。仲間を殺されたとあっては、きっと奴らは報復にやってくるぞ。そうなれば、お前だけでなく、他の島の住民だって危ないんだ」


「他の人たちまで……じゃ、天喜は……?」

「あいつの言っていたとおり、盗賊に連れてゆかれるだろうな」

「ど、どうしよう。僕、どうしたら……」


 伐折羅はぽろぽろと涙をこぼした。おびれきった蒼白の顔を見て、ゴットフリーはため息をもらす。


「仕方ない、お前はどいてろ」


 うつ伏せに横たわっている盗賊の向きを足でごろんとあお向けに変えると、ゴットフリーは腰の剣を引きぬいた。

 盗賊はぴくりとも動かない。すでに息絶えているようだ。


「ゴットフリー、どうするの?」


 すると、ゴットフリーは迷いもせず、自分の剣をぐさりと盗賊の胸に突き立てた。


「こいつは、このままにしておけ。そのうち、盗賊の仲間がやってきて気づくだろう。が入った剣の持ち主が、こいつを殺したと。俺は外海の人間だ。島の人間が恨まれることはないだろう」


 確かに盗賊の胸に突き刺さった剣は、島の武器屋で見られるような代物ではなかった。柄に入った鷹の見事な細工とはめ込まれた宝石。レストランであれだけの立ちまわりをしたのだ。おまけにその目立つ風貌、島の連中に聞けば、剣の持ち主がゴットフリーだということは一目瞭然だ。


「でも、それじゃあ、ゴットフリーが狙われるよ」


「おもしろすぎる展開だ。伐折羅、今度は蝙蝠ではなく、盗賊たちの頭でも集めてみるか」


 ゴットフリーは低く笑って言葉を続けた。


「もう、そいつのことは、成り行きに任せておけ。俺はザールの所へ行く。お前は……」


 伐折羅の服は盗賊の返り血をあびて、真っ赤に染まっていた。さすがに、このままでは黒馬亭に戻すのはまずいか……。ゴットフリーはしばし考えこんだ。


「大丈夫だよ。帰る前に近くの池で洗ってゆくから。さっきの蝙蝠さわぎで血がついて、嫌だったんで洗ったって、天喜には言うから」 


 ゴットフリーは無言でうなずいた。

 それにしても、先ほど怯えきっていた伐折羅はどこへ行った? 今はおそろしいくらいに冷静な少年がここにいる。


「でも、ここに剣をおいていってしまったら、ゴットフリーが持つ剣がないね」


 伐折羅は、こわごわ、地面におとした盗賊の剣を拾い上げた。


「血だらけだ……でも、鷹の立派な剣とは大違いだけれど、ないよりはいいでしょ」


 そう言って、伐折羅は盗賊の剣をゴットフリーに差し出した。


「いかにも下世話な剣だが、護身用くらいにはなるか。それに、これを持っていた方が盗賊殺しの犯人っぽいな」


 ゴットフリーは剣を受け取って血を払い落とそうとする。……が、


「あ、待って、ちょっとだけじっとしてて」

「何だ?」

「ごめん、もういいよ」


  伐折羅は透き通るような笑顔を見せた。血にそまった剣を持つゴットフリーの姿に伐折羅は見とれた。

 彼にとってそれは、どんな有名な画家にもかけない最高の名画だったのだから。

 その時、


「あ、あれは?」


 伐折羅は視線を空に移した。月明かりを受けながら黒い翼が舞い降りてくる。差し出した手に止まった黒い鳥に愛しげに頬をよせた少年。それを見て、ゴットフリーが尋ねた。


「その鳥は?」


「これは、”伐折羅の黒い鳥”。僕が困っていると、決まったように現れるんだ。きっと、この鳥は母さんの化身なんだよ」


“伐折羅の黒い鳥”


 確か天喜にも……。そんなゴットフリーの考えを読み取ったかのように、伐折羅は言葉を続ける。


「天喜は白い鳥を持っているんだ。黒い鳥と白い鳥。こいつらは母さんがいなくなった日に、僕らの元へやってきた。だから、僕らはこの鳥を母さんだと思って大切にしているんだ」


 すると、黒い鳥がひらりと身をひるがえして、ゴットフリーの肩に飛び乗ったのだ。


「あれっ、珍しいな。この鳥が僕以外の人の肩に乗るなんて」


 伐折羅は笑みを浮かべたが、ゴットフリーは迷惑げに肩の鳥を払いのけた。


「お前は早く帰れ。ここで仲間を探しに来た盗賊たちと鉢合わせてしまったら、仲間殺しの犯人だと、お前も疑われるぞ。それでは、死体に工作した意味がない」


 何度もゴットフリーの方を振り返りながら、伐折羅は花園を去っていった。彼の頭上を飛びながら黒い鳥がついてゆく。


胸を貫かれ無残な姿で横たわっている盗賊の屍に目をやり、ゴットフリーはふとジャンのことを思い出して、苦い笑いを浮かべた。


 俺は盗賊一人、殺しても何とも思わんが、あいつは俺と伐折羅で死体に工作していると知ったら、さぞや腹を立てるんだろうな。


それにしても伐折羅……、七億の夜叉をひきつれた夜叉王の名……か。

  

 さわさわと紅い花園が揺れていた。

 心に何かが、引っかかったまま、ザールの屋敷へ歩き出したゴットフリーの後を、紅い光が追いかける。


 破滅の王、誘えり……誘えり。


 ゴットフリーには聞こえない、その呟きが、紅い花園全体に広がっていった。

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