第17話 白い妖精


 ― 萬屋黒馬亭 ―


 “見つけた、僕の体。やはりここか”


 黒馬亭の一室のベッドの上にジャンは横たわっていた。こざっぱりした部屋には、一通りの家具が揃っており、天喜あまきが言うように、まだ十分宿屋として使えるように思えた。

 ジャンは自分の体に降りて行くと、それきり考えることをやめた。意識を強く持ちすぎるとうまく体に入れない。心と体が一緒になって目が覚めるまでには、それなりに時間がかかるのだ。


「ジャン?」


 かすかに動いたジャンの顔をタルクが覗きこむ。黒馬亭に運んだは良かったが、ジャンは死んだように眠っている。ゴットフリーは出かけたきり戻らない。おまけに伐折羅ばさらまでがいないのだ。普段、豪胆なタルクもさすがに心配で胃が痛くなったきた。


「タルク、ジャンはどう?」

「まあ、おんなじだな。眠っているだけだから心配いらないだろ」


 部屋に入ってきた天喜にタルクは、心と裏腹に笑ってみせる。ここにきて、天喜の明るさだけが救いだった。


「そういえば、リュカはどこへ行った?」


 いつもジャンにはりついているリュカがいない。リュカまで行方知れずなんてとんでもないぞと、タルクは眉間にしわを寄せる。ところが、


「お風呂」


「え?」


「お風呂に入れてるの。だって、あの娘、泥だらけなんだもん。嫌がるのよ。でも、女の子なんだから、ちょっとは綺麗にしなくちゃね」


 天喜はちょっと自慢げに手に持った布をひろげてタルクに見せた。


「これ、私には少し小さくて着れなくなった洋服なの。どう? リュカにちょうどいいでしょう」


 薄い桃色の柔らかそうな布目。襟と裾に軽くレースがあしらってある。いかにも天喜が選びそうな仕立てのドレスにタルクは首をかしげる。


 あいつは、ああいうのを着たがるかなあ……。なんだか、暗い色を好んで着ているような気がするんだが。それにあんなドレスを着て、そばにいられたら俺はかえって落ち着かない。


「ちょっと、行って着せてくるね。もう、お風呂から出てくる頃だから」


 上機嫌で部屋を出て行く天喜の後ろ姿を、タルクは苦笑いを浮かべながら見送るのだった。


*  *

 

 ……タルク、タルク……


 僕が呼んでいるのが聞こえないか?

 

 ジャンの心はとっくに体に戻っていた。

 だが、体が動かない。声も出せない。目を開くことさえままならない。

 

 体を離れ過ぎたのか? こんな時に動けないなんて!

タルク、お願いだから気付いてくれ、ゴットフリーはどこにいる?早くあいつを見つけないと、僕らは指針を失ってしまう。


*  *


「リュカ、まだ入っているの? 着替えをもってきたんだけど」


 黒馬亭の1階にある風呂場の戸口を天喜は軽くたたいた。昔、宿として使っていた2階の部屋の水道はすでに止められており、風呂が使えるのは1階の風呂場だけだった。

 そういえば、天喜には黒馬亭が宿屋を営んでいた記憶はない。過去には黒馬島を訪れる人が沢山いたらしいが、今はゴットフリーたちのようにたまたま、迷いこんだ客が年に数人いるだけだった。


 おかしいな? もう出ちゃったのかしら……。リュカからの返事がない。天喜は風呂場の扉をそっとあけてみた。


「リュカ……ェ……えっ! だ、誰っ?」


 湯気の中の姿ははっきりとはわからない。それでも、垣間見た少女はリュカとは別人だ。髪は白銀に輝いていた。白い肌は水滴の珠を弾きながら、絹の艶やかさで薄明かりを放っている。


 白い妖精……?


 天喜の脳裏に、昔読んだ、御伽噺おとぎばなしの挿絵が浮かんできた。すると、はっと、天喜に気づいた少女が湯気の中で言った。


「もう、出るからあっちへ行ってて」


 眩しすぎる白さの中で、青い瞳だけが、唯一色をなしていた。


 青い瞳……やっぱり、リュカだ。


「ご、ごめん。ここに着替えを置いておくから、私は2階に行ってるね」


 天喜はどきどきと高鳴る鼓動を懸命に抑えながら、逃げるようにその場を離れた。

 

 何なの? あの娘、

 いつもと全然違うじゃない。


 私、今まで、あんな綺麗な子……


  ……見たことない。



*  *


 ザールの館の隣でさわさわと夜風に揺れる紅い花園。


 ゴットフリーと伐折羅は、ザールともう一人の会話をもっとよく聞こうと、そっと彼らの近くまで忍び寄っていった。伐折羅はゴットフリーの腕をしっかり握って放さない。先程とは状況が違う。ゴットフリーにしてみても、今は頼りなさげな伐折羅を振り切るつもりはないようだった。


 伐折羅はかすかにほくそえむ。


 なんだか、ゴットフリーと二人で悪いことをしているみたいだ……波打つ心臓の音が心地良かった。


 ザールと話しているのは、どこから見ても堅気とは思えない派手な服装の男だった。


「まだ、荷が出来ていないって? あの女が、いなくなってから、いつもこうじゃんかよ。お頭の手前、黙っていてやったが、俺たちがここを仕切ってもいいんだぜ」


 男の言葉にザールは血相を変える。


「冗談じゃない! お前ら、西の盗賊が島へ降りて来ていいのは、この屋敷までだ。それは先代からの掟だろう? それに仕切ると言ったって、お前ら盗賊にこの難しい花の栽培ができるとは思わんがね」


 男はちっとつぶやくと、みだらな笑いを浮かべて言った。


「あの女の娘……天喜とかいったか? サームの店で花屋をやってる、あの娘はどうなんだ?」


「……だめだ。わしだって、ここに長時間はいられない。天喜の母親に手伝わせたのはまずかった。この花の香は少量ならば快楽を味わえるが、一つ間違えば命とりだ」


「違うって。天喜はえらい器量良しと聞いた。俺たちに預けてくれりゃ、もっと稼がせてやるぜ。他の島には金をもった助兵衛おやじがいっぱいいるからな。きれいなドレスを着て、ちょっと相手をするだけで、大枚もうけられるってわけだ」


 伐折羅はそれを聞いて憤る。


「あいつ、西の盗賊なんだな。ひどいよ、天喜のことをあんな風に……」


 許さない……あいつ、絶対に。


  だが、ゴットフリーの興味は天喜より、紅い花園に向けられていた。


  栽培が難しく、少量ならば快楽、長時間は耐えられない……この花の香り、確かにここに長くいると、おかしな気分になってくる。


  麻薬か。


ザールが、この花園で麻薬花を栽培し、西の盗賊がそれらを他の島で売りさばく。伐折羅と天喜の両親はその売買に関わって……多分、殺されたんだ。


「ゴットフリー、僕……」

「しっ、声を出すな」


 ザールと男は話の段取りが付いたのか、挨拶もかわさぬまま、二手に別れた。ザールは屋敷の方へ、男は逆に花園の奥へと進んでいった。


「僕、今日は帰るよ。今、ザールおじさんが行った道をたどれば、屋敷の入り口に出られるから」


 そう言い終わらないうちに、伐折羅は、もと来た道を小走りに駆けだした。ゴットフリーはいぶかしげに、その後姿を眺めていたが、やがてザールの屋敷に向けて歩き出した。


*  *


 伐折羅の鼓動が早くなる。怖くてたまらないけれど、天喜のことは絶対に許せない。 

 

 あいつは西の山の盗賊だ。下手に手を出すと、きっとひどい目にあわされる……。殴られる、ううん、剣でさされるかもしれない、そして、心臓を突き上げられて……殺さ……れ……


 コロシテヤロウカ


 盗賊の姿を目の前にした時、伐折羅の胸のつかえが急に溶けた。


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