第15話 あまりにも残酷すぎる

 天喜あまきの後ろにリュカが立っていた。ゴットフリーは解せない様子でリュカに言う。


「おい、ジャンはどこへ行った?」

「……西の山へ」

「ならば、タルクが抱えているのは何だ?」

「あれは、抜殻ぬけがら。ジャンの心は今はいないの。でも、ちゃんと休ませてあげて。あの体が弱り過ぎると、ジャンが戻れなくなる」

「戻れなくなる? あいつの心が体にか?」


 リュカは、こくんとうなずいた。


「ジャンがひどく弱っていなければ、心と体を離すなんて絶対にやってはいけなかった。でも、黒馬島が近づいてきたから……」

「そういえば、あいつは黒馬島に友達がいると言っていたな」

「そう……、ジャンに力をくれる大切な友達」


 ゴットフリーは、事の成り行きが少しつかめたような気がした。ジャンの心が体から離れた……だから、黒馬亭で闇が現われた時、あいつの声が聞こえたのか。タルクに抱きかかえられたジャンに目をやると、ゴットフリーは船にいた時、リュカにあえて聞くのを避けた質問を口にした。


「なぜ、船でジャンは熱を出した? あそこまで体調を崩した理由は何だ」

「……」

「ガルフ島に力を与えたから……海の藻屑になるはずの島を助けてしまったから……か」

「ジャンは自分の生きる力まで、ガルフ島に与えてしまった」


 太陽が西へ傾き出した。今度は本当の夜がやってくるのだ。

 小さく吐息をもらすと、ゴットフリーはタルクの元に歩いていった。天喜にせかされながら、タルクはジャンを背負い、黒馬亭に向かうところだった。


「隊長、ひとまず、ジャンを黒馬亭に運びます」


 タルクの脇に隠れながら、天喜が小さく声を出す。


「この島にはお医者さんはいないの。でも、私、看病くらいはできるから」


 ゴットフリーに向けられた灰色の瞳に天喜はびくりと体をこわばらせる。だが、


「そうか……面倒かけるが、よろしく頼む」


 一瞬、耳を疑いながら、天喜はぱっと頬を紅く染めた。


「は、はいっ。まかせて下さい!」


 自然に言葉が口から踊り出た。心臓がばくばくと高鳴った。


*  *


「隊長はどうします?」

「少し用がある。黒馬亭で待っていろ」


 どちらへ? とタルクに問われる前にゴットフリーは、足早にレストランを出て行ってしまった。


「私、お願いされちゃったわ。ちょっと嬉しい気分」


 踊るような仕草で天喜はタルクの腕をちょんとつついた。

「そりゃそうだ。隊長にお願いされると俺でも張切る」


 少しは隊長の良さをわかってくれたかと、タルクはうんうんと頷いた。だが、大破したレストランに目をやって、はっと伐折羅ばさらのことを思い出した。ゴットフリーに助けられて、震えていた伐折羅の姿がない。


「天喜、伐折羅はどこだ?」

「伐折羅……? さっきまで、そこに立っていたのよ。先に黒馬亭に帰ったのかな」


 天喜は少し解せない風だったが、動揺はしていない様子だった。良かった、天喜は多分、あれを見ていない……。タルクは、ほっと胸をなでおろした。


 天喜には、絶対に見せたくない。

 蝙蝠の血にまみれても、笑っている伐折羅。あの透き通った笑顔は……

 あまりにも残酷すぎる……。


*  *


 夕日が西の山に褐色の縁取りを添えている。夕焼けの空は東側から群青の色あいをみせだした。太陽と月と星が同居する夕暮れ。この短い時間がジャンは好きだった。

 だが、この日、黒馬島の月は急に広がりだした黒雲の影で怪しい光をたたえていた。


“これ以上、分かれるのは、止めた方がいい。心が離れた体はじきに弱ってしまう。もし、体が死んでしまったら、ジャンは幻ような存在になってしまうよ”


 ジャンは、馴染みのあるその声に “わかっている” と、うなづいた。とはいっても、それは、お互いに体がある者同士の会話ではなかった。


 西の洞穴を閉じた後、ジャンは再び元の道をもどりだした。多分、タルクあたりが自分の体を拾ってくれているだろう。

 何気なく見下ろした、海岸線に波の泡が月雫のようにきらめいた。ジャンはふと美しかったガルフ島の海を思い出した。


 うみ鬼灯ほおずきさえ、現われなければガルフ島はまだ、美しい島でいられたのに……。島が崩壊しなければ、ゴットフリーも島主リリアの後継者として一生を終えられたかもしれない……。


 その時、波がひときわ高く舞いあがった。


― それは、ありえないことですよ……ゴットフリーは、レインボーヘブンの王だ。それは生まれながらにして抗えない運命なのですから ―


 ジャンははっと、意識を海に向けた。岩場に青い人影が見える。


BWブルーウォーター、レインボーヘブンの紺碧の海……やっと、姿を現したな”


 風変わりな緑の髪、ほとんど色のない切れ長の瞳。至福の島の欠片の一つ。


― 姿といっても、ほとんど幻のようなものですがね。ガルフ島で力を使いきってしまって、あなたやリュカ以外には、私の姿は見えないでしょうね ―


 ガルフ島の崩壊 ―― 火の玉山の噴火、そして、せまりくる海。


“BW、お前、何でガルフ島を飲みこんだ! レインボーヘブンが消えた時、アイアリスに見捨てられた盗賊たちの声を聞いて、一番、苦しい思いをしたのはお前ではなかったのか!」


― …… ―


“黙っていないで何とか言え!”


― よく、覚えていないんです。リュカの強い力を受けて、自分の荒ぶる心が押さえられなくなった。レインボーヘブンにさえ、怒りを感じた ―


“海の鬼灯につけこまれたな。あの紅い灯は怨念の塊だ。恨み、憎しみ、怒りの力を吸取りながら、通り過ぎるすべての物を破滅に導こうとする……”


 BWは一瞬、暗い目を海に向けた


― そうですか……また、私は沢山の命を飲みこんでしまったのですね ―


……が、あきらめたように笑みを浮かべた。


― ところでジャン、あなたは私よりひどい状態だ。全くの精神体じゃないですか。体をどこかへ置き忘れましたか? ―


 体裁が悪くなって、ジャンはつっけんどんに言った。


“余計なお世話だ。僕はもう行くから”


― 早く体に戻った方が賢明ですよ ―


 わかっているからと、ジャンはうるさそうにうなずいた。夜がやってくる。闇が黒馬島をつつみこむ前にゴットフリーの元にもどらなくては。BWはジャンの気持ちを読み取ったかのように、こうつけ加えた。


― ゴットフリーから離れないで。この黒馬島は彼にとっては鬼門の島です。あなたが繋ぎ止めないと、あの人は…… ―


 闇の王……BWの言葉が心に食い込んで、ジャンは不安でたまらなくなった。そうだ、あの紅い花園で聞いた声、耳をふさぎたくなるほど邪心にまみれた……あの声も同じようなことを言っていた。



 もっと、もっと暗い場所へ

 もっと、さらに闇の中へ

 滅びの王、誘えり


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