第32話 虹の道標

 真昼の闇、黒い太陽、月の影


 それらが消える時、火の玉山に集結した邪気の群れは暗黒の住処すみかへ帰ってゆく。ガルフ島に訪れた日食は終焉を迎えようとしていた。


 火の玉山の頂にジャンとゴットフリーは立ち、天頂の太陽を仰ぎ見ていた。太陽はもう真昼の輝きを九分方、取り戻していたが、海の鬼灯だけは残り一分の時間を惜しむかのようにまだ、その場を離れなかった。


 ゴットフリーは、振り返りもせず言う。


「何が何でも、俺たちを食らいたいようだな」


 うみ鬼灯ほおずきは、ジャンとゴットフリーの後方の山道に、紅の絨毯じゅうたんを敷き詰めたかのように貼りついていた。そして、猛烈な殺気を放ちながら攻撃の瞬間を待ち構えていた。


「ゴットフリー、あれか? お前が言っていた陽の欠片は!」


 ジャンは、太陽の下方から降りてくる小さな黄金の光を指差した。ゆるりゆるりと、斜めの線を描きながら、その光は火の玉山に下りてくる。


「なんてちっぽけな光なんだ。よく目を凝らして見ていないと、見失ってしまいそうだ」


 やがて、その光は火の玉山の頂の岩の上に下りてきた。


「今だ! ジャン、この剣をとって、あの頂に行け!」


 ゴットフリーが黒剣をジャンに手渡した瞬間、刃が白銀に変わる時を待ちわびていた海の鬼灯が、一斉に襲いかかってきた。

 怒涛のように押し寄せてくる紅の刃。その衝撃に耐えながら、ジャンは黄金の光を目指して山頂に駆け上がる。


「レインボーヘブンの道標よ!僕はお前の大地、僕の帰るべき道を、今、ここにさし示せ!」


 天地が震えるほどの雄たけびをあげると、ジャンは、白銀に輝いた剣を光が舞い降りた岩めがけて振り下ろした。


 すると、一瞬、辺りが蒼に染まったのだ。


「眩しすぎる! この光は何だ!」


 ゴットフリーは、閃光の強さに山頂の手前で足を止められ、堪らず右手で顔を覆う。

 正視できそうもない高貴な蒼の光。その光が、火の玉山全体を包みこむように輝いていた。


*  *


 やがて、山裾の巣に篭っていた鳥たちの声が空に響き、蒼の光は徐々にその色を失っていった。

 日の光が太陽の下に蘇り、澄んだ空気が辺りに広がりだした。悪夢のような日食が終わりを告げたのだ。

 眩しさが去った時、ゴットフリーは指の間から幻影のような像を見た。それは、火の玉山の頂に立って東の空を仰ぎ見ている、ジャンの後姿だった。


 ゴットフリーは、目前に広がるぬけるような青空を見て、感嘆の声をあげた。いつの間にか、火の玉山を覆っていた蒼い光も海の鬼灯も消え失せていた。


「これが、道標か。至福の島、レインボーヘブンへの!」


 風は東から吹いてきた。そして、ジャンが頂に刺した白銀の剣から、七色に彩られた光の帯が伸びてゆく。東の方向に弧を描きながら。


 虹の道標


 ジャンは、後ろを振りかえると無言で虹の彼方を指差した。


「この虹が終わる場所に、レインボーヘブンがあるというのか」


 なんて遠い道のりなんだ……ゴットフリーは、ほうっと息を吐いた。


「虹と同じ方向に船が見える」


 あれはサライの船。ココは、無事に島を出ることができたんだな……と、ジャンは微笑んだ。だが、ゴットフリーには、ただ、海はきらきらと陽光に輝いているだけにしか見えなかった。


「船など見えないぞ」


 ジャンは、軽く笑った。


「見えないか。仕方ないな。人間というのは、遠くを見渡す目をもたないからな」


 少年の言葉に黒衣の男は、顔をしかめる。


「……お前、本当に何者なんだ?」


 ……が、その時、ゴットフリーの目にもはっきりと見て取れる異変が、海からやってきたのだ。


「待て、あれは何だ!」


 北東の海がガルフ島めがけて、押し寄せてくる。怒涛のような波は高く盛りあがり、みるみるうちに火の玉山の大きさほどにも膨れ上がった。


「大波……いや、ガルフ島にやってくる! 飲みこまれるぞ、この島は!」


 ジャンは迫りくる海を見て、目を見張った。


 ……僕はあの海をを知っている。


「あれは、あれは……BWブルーウォーター!」


 ジャンの脳裏にレインボーヘブンの紺碧の海の記憶が蘇ってきた。確かにあれはBW! では、BWもレインボーヘブンの欠片だったのか。しかし、目前の海のあの怒気は一体、何なんだ!


「早く、みんなを逃がさないと、ガルフ島は全滅するぞ!」


 ゴットフリーは血相を変えて、火の玉山から下山しようと駆け出した。


「だめだ、行くな、ゴットフリー! もう間に合わない!」


 海は、ガルフ島全体を飲みこみ始めていた。だが、ジャンはゴットフリーの後を追おうとして、突然、体のバランスを失った。

 火の玉山が揺れている。足元に感じる悲鳴のような大地の震えに、ジャンは絶叫した。


「BW、なぜ、この地を滅ぼす!」


 地の底から灼熱の怒気が沸きあがってくる。次の瞬間、火の玉山は、轟音と共に大噴火を始めた。


 ガルフ島は崩壊する。


 火の玉山の噴火と共にガルフ島はゴットパレスはもとより、島全体が海に沈みだした。火の玉山から流れ出す溶岩は、それに追い討ちをかけるかのように海の上に流れ込んだ。


 ゴットフリーはどこに行った!


 火の玉山でさえも、徐々に崩れだしている。

 風がガルフの声を運んでくる。恐怖、絶望、そして、死。ジャンは、思わず両の手で耳をふさがずにいられなくなった。その時だった。


“ジャン……大丈夫?”


 見知った声が聞こえてきたのだ。


「霧花か! 良かった。ゴットフリーを追ってくれ。なんとか、奴だけは助けるんだ。あいつがいないと、レインボーヘブンは……」


“わかっている。ジャン、あなたがいしずえならばゴットフリーは、”王”。BWもそれに気付いていたのに……彼は、怒りに飲みこまれてしまった”


「怒り? 何がそんなにBWを怒らせた?」


 ジャンが問う間もなく、霧花は気配を消してしまった。だが、ジャンは知っていた。

 今、ジャンの耳に響いてくるガルフの人々の声は前にも聞いた事がある。


 レインボーヘブンだ……あの島が消える時、女神アイアリスに見捨てられ、海に沈んだ略奪者たちの断末魔の声と同じ……。


 ガルフ島が消える。その住民と共に。ジャンは、思い出してしまった。海の鬼灯……あれは、レインボーヘブンで死んだ人々の怨念だ。何百年たっても癒されぬ傷をせおって、さまよい続ける迷い子だ!


 火の玉山は爆音と共に噴火を続けていた。ジャンの体が蒼く輝きだした。もう、同じ過ちは繰り返さない。


「女神アイアリス、僕は、ガルフ島を見捨てる事はできない。あなたの意志にそむいても、僕はこの島を救う!」


 絶叫と共にジャンは総ての封印をはずした。指針はもういらないと、ジャンは自分の意志で自分の持てる限りの力を押し出した。

 蒼い光が沈むガルフ島を包みこんでゆく。ジャンは自分の記憶が、再び消えてゆくような気がした。


 僕はここでガルフの大地に、すべての力を流し込む。レインボーヘブンに帰る力は亡くしてしまうだろう……ココ、ごめん。迎えにはゆけないよ。それでも、ガルフ島の人たちを見捨てるわけにはゆかないんだ……


 海が悲しく泣いていた。風は戸惑うように吹きすさんだ。そして、

 

 ガルフ島は……沈黙を破り、叫び続けていた。

 終焉には早すぎる。誰かこの地を救ってくれ! と


 蒼い光は強さを増してゆく。そして、ガルフ島の叫びに答えるかのように、光は新しい大地を作り始めた。



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