第29話 黒い太陽

 空は目に見えて暗くなり、鳥たちの奇声が再び鳴り響きだした。その声に身を震わせると、ココはジャンに抱きつき、わっと泣き出した。


「だって、ジャンはレインボーヘブンを見つけたら、大地にかえってしまうのでしょ。今のジャンにはもう会えない。それに、ジャンは迎えになんて来てくれない。来てくれるはずがない。だって、私は、私は……レインボーヘブンの住民じゃないんだもん!」


 ジャンは、泣きじゃくるココを抱きしめずにいられなくなった。そっとその頭に手をやる。


「もう関係ないんだ。レインボーヘブンの住民であろうとなかろうと……僕が何であろうと……そんな事は問題じゃない。僕はレインボーヘブンを見つける。そして、必ず、ココを迎えに来るよ!」


 ジャンはそう言ってから、ココが来た方向にその背をどんと押した。そして、叫んだ。


「霧花、たのんだぞ!」


 風がびゅうと舞い上がり、足元に吹きつけてきた。すると、ココは自分の意志とは関係なしに、元来た道へと走り始めた。

 ゴットフリーは無言でココとジャンの会話を聞いていた。ジャンは、山の頂を指差して叫ぶ。


「行こう! お前もレインボーヘブンを見つけるんだろ!」


* * *


 ジャンとゴットフリーが九合目にたどりついた頃、太陽は3分の2が月の影に入り込んでいた。もう、辺りはほとんどが闇だった。鳥たちは絶叫にも似た奇声を放ち始める。わずかに木々を通り過ぎた木漏れ日は、地面に欠けた太陽の像を投影する。


「奴らが来るぞ! 気をつけろ!」


 三年前と同じか……いや、この圧倒的な悪寒は、やはりそれ以上だ。


 ゴットフリーの額には汗が浮かび上がっていた。地面が震えている。前方から黒い影がやってくる。邪気! 正体はわからない。だが、彼らはたまりたまった灰汁を日食のこの日に、火の玉山に捨てにくる。

 

 ジャンとゴットフリーが身構える間もなく、それらは、攻撃をしかけてきた。黒い風が通りすぎたかと思うと、ゴットフリーの右肩からは鮮血が吹き出していた。ジャンは、その黒い塊を素手で掴みとると、事も無げに握りつぶす。


「ゴットフリー、大丈夫か!」


 ゴットフリーは無言だった。だが、腰の剣を抜くと、禍々しく濁った空の一角を真一文字に切り裂いた。どさりと、落ちた塊はどす濁った血の色をしている。

 ジャンは思わず顔をしかめた。


「これは何なんだ。とてつもなく醜く、混沌とした……これが邪気?」


「俺が思うにこれは、怨念だ。人のみならず、すべての物の悔恨の思い。ガルフ島はその思いに、いつかは滅ぼされる」


 ゴットフリーはそう言うと、上着の胸元からガラスの小壜を取り出した。ぐいと一気に口に中身を含んでから、後ろに向き直る。

 後方から百足むかでのような昆虫の群れが迫ってきていた。ゴットフリーは、指にはさんだ火打ちの石を口元で鳴らしてから、這いあがってくる邪気の群れに口の中の液体を吹きかけた。

 昆虫たちは、断末魔の奇声を上げながら、ゴットフリーが吐き出した炎につつまれた。


 太陽はもう完全に月の影に入っていた。完全な日食そして……闇。空にはダイヤモンドリングに縁取られた黒い太陽が浮かんでいる。


「へえ、まるで、奇術師みたいだな」


 地面の割れ目から沸きあがってくる邪気の塊を踏みつけながら、ジャンは笑った。


「三年前にはやれなかったからな。一度やってみたかった」


 ゴットフリーはくすりと笑ってから、ふと異変を感じて空を仰いだ。灰色の目に映った、帯のように連なる真紅の光は……



 ― うみ鬼灯ほおずき! ―



 *  *


 ココを乗せたロープウェイが、矢のように火の玉山を下って行く。

 辺りはほとんどが闇だった。冷たい風が吹き、周囲の怪しげな変化に驚いてねぐらに帰る鳥たちが、すぐ横をかすめて通る。けれども、荷車から決して振り落とされないことが、ココは不思議でたまらなかった。


「まるで、誰かが支えてくれてるよう……」


 しかし、太陽が完全に月の影に入った時……ココは、目にした光景にぞっと身を震わせた。


 闇の中から紅い灯が来る……あれは、

 海の鬼灯!


 紅の灯は一団をなして、火の玉山の頂に向かって飛んで行った。見つかりませんように……ココは、震えながら荷車の中に身を隠した。だが、その一団が、いきなり大小の二つの塊に分かれたのだ。大きい塊は山の頂へ、そして小さい塊は、ココに向けてまっすぐに。


「ジャン、助けて!」


 その瞬間、真紅の光によって荷車はロープから切断された。空に放りだされたココは、闇の中を真っ逆さまに落ちて行った。下では獲物に飢えた邪気が群れをなして待ち構えている。

 ココは絶叫した。


「いやだ! こんな所で死にたくない! ジャン……そして、リュカにも、もう一度会いたい!」


 万事休すと目を閉じた。しかし……その時感じた柔らかな感触。 おそるおそる目を開けてみると、

 体が空にふわりと宙に舞い上がっている。


 あれ……私、まさか……飛んでる?

 

 上空の黒い太陽には、頂へ向けて飛んでゆく海の鬼灯が紅い帯をかけている。


「大きい方は火の玉山の頂へ行ったのね。ジャンとゴットフリー……心配だわ」


 聞き知った優しい声がする。ココは、自分を支えて飛んでいる声の主の姿に目をみはった。


霧花きりか!」


 霧花はココを抱きかかえて、闇の中を飛んでいた。海の鬼灯は、霧花の黒衣の裾が作り出した見えない壁に遮られ、近づくことができない。


「私は夜の風。だから、太陽がある場所では姿も見えないし、力もだせないの。けれども、今は日食。この闇がある時間だけ、私はココを連れて飛んでゆける」


「夜の風って、霧花はもしかして……欠片? レインボーヘブンの欠片!」


 霧花はその問いに、柔らかに微笑んだ。


「さあ、今のうちにサライ村へもどりましょう!」






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