第27話 霧花と水蓮

「姿を現せよ。霧花きりか


 ジャンがその名を呼ぶと、空気が揺らいだ。日が陰った時のように薄い影が現れる。それは、徐々に形を成して、一人の女性の姿になった。

 腰まで伸びたつややかな黒髪、漆黒の瞳、黒衣……月影のようなその女性は、ジャンを見すえて静かに言った。


「あまり私に近づかないで。あなたの強い力にふれると私は人の姿を保てなくなる」

「……だから、フレアおばさんのレストランでお前は、僕に近づかなかったんだな」

「わかっていたの? 私がレインボーヘブンの欠片だと」

「なんとなくね。でも、お前は何?」


 霧花は軽く笑った。


「レインボーヘブンの欠片 ”夜風” 。私は宵闇を通り過ぎる者。あなたは、レインボーヘブンのいしずえなのでしょ? とてもそんな風には見えないけれど」


 ジャンは少し、むっと表情をかえたが、霧花は、かまわず、話を続けた。


「また、火の玉山に行くのね。その剣を持って」

「また? ということは、以前も同じことをした者がいるのか」

「ちょうど、三年前の日食にゴットフリーが」


 ジャンは驚きを隠せない。


「ゴットフリーが? 本当に?」


「知っているのは、ごくわずか。でも、失敗だった。命があっただけでもましだったわ。日食の日に火の玉山に登るのは禁忌。邪気に切り刻まれ血を吐きながら、彼は帰ってきた。あの黒剣を手に握りしめたまま」


「よくよく、血まみれが好きな奴だな」


 ジャンは、フレアおばさんの店に飛びこんできたゴットフリーの姿を思い出し、軽く笑った。そして、霧花をきりと見すえた。


「なんでお前がそこまで知っている。そして、失敗とはどういう事だ」

「幸福の島……レインボーヘブンへの真の道標。それを見つける方法をゴットフリーに教えたのは私だったから。ただし、私は一つ間違いを犯してしまった……」


「間違い……」


 そこまで話すと、霧花は部屋の隅に立てかけてあったゴットフリーの剣を手にとった。


「この剣は黒剣のままでは、いけなかったのよ」


 ジャンはいぶかしそうに霧花を見る。


「私がもっと傍にいれれば、白銀のまま、この剣を火の玉山に運べたのに……」

「霧花……お前はもしや……」


 霧花は悲しそうに微笑むと、剣を鞘から引きぬいた。


「この剣は、私が目覚めた時から私の元にあった剣。封印が解け記憶が蘇る中で、私はアイアリスの啓示を思い出した。『この剣をレインボーヘブンを総べる者に渡しなさい』と。だが、私はその時期を間違えてしまった……」


「霧花……いや、お前の名前は……水蓮すいれん!」


 ジャンは思わず声を荒げた。


「真の道標と言ったな? ……火の玉山にその剣を持って行けば、レインボーヘブンの場所を知る事ができるのか。一体、何が起こるんだ。火の玉山に何があるんだ!」


「それは……今は言えない。ただ、真の道標を知る為には、日食が終わったすぐその後に、この剣を持って火の玉山のいただきにいなければならない」


「なぜ、お前はゴットフリーに剣を渡して姿を消した? それに、レインボーヘブンのを受け継ぐ子孫は、サライ村の住民たちだ。サライ村とは無縁のゴットフリーが、それを総べる者のわけがない」


 霧花は漆黒の瞳を翳らせうつむいた。そして、ぽつりと言った。


「私は知らなかった……封印が少しずつ解けて、自分がレインボーヘブンの夜の風と知った時、日の光の中で私の姿は薄れていった。闇の中の自分の姿はもう、水蓮のものではなく……だから、日の光の中で姿が消えぬうちにゴットフリーにこの剣を渡して、私は館を去ったのよ。それに確かにゴットフリーはサライ村の住民ではない……」


 その時だった。

「おい、小僧っ、 何を騒いでいるんだ!」


 警護隊の声が響いてきた。


 霧花は言った。


「大地と他の六つの欠片……大地の元に欠片たちは集結する。でも、欠片たちを呼び寄せるには、あなたの力は、まだ不完全なのよ」


 ジャンは、知っているよと、言うように苦い笑いを浮かべる。


「レインボーヘブンへの真の道標を見つけなさい。そして、一心にその道を進めばいい。あなたはきっと、その過程で足りない箇所をおぎなってゆく。その時、初めて欠片たちはあなたの存在に気づくでしょう」


 警護隊の足音が近づいてくる。


「行くわ。明日、ココとサライ村の住民は、ガルフ島を出るそうよ」


 霧花は早口に伝えるとふわりと空気に溶けこんだ。ジャンの頬にびゅうと冷たい風が通り過ぎる。


「ココたちがガルフ島を……」


 ジャンは驚いたように風の後を目で追ったが、霧花の姿は、もうどこにもなかった。


「……だが、彼らがそう決めたのなら、僕はその意思を止めることはできない」


 ジャンは、霧花の残した剣と鞘を床から拾い上げ、静かに刃に残った三連の蓮の模様を見つめた。白銀に輝く剣。ジャンは圧倒的な不安に襲われていた。その不安を隠すかのように、急いで剣を鞘におさめる。


 日食の日に何かが起こる……

 ジャンの心は揺れていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る