第25話 その力を解き放て

「こ、これはっ、何だっ!」

「巨大な炎の玉が、そ、空に!」


  城下町にいた者たちは、異様さと熱さと眩しさにたじろぎ、呆然と空を見上げた。

 

  まるで、コンパクトサイズの太陽!


 それが、空の上に浮かび上がっている。だが、日の光というには、あまりにも濁った紅!

 壊された露店の瓦礫の中からも、続々と紅の光が湧き上った。それらを吸い取った炎の玉は、ゆらゆらと宙に揺れながら、こぼれおちそうな体積と焼けつきそうな熱量を増やしてゆくのだ。


「早く逃げるんだっ! あの炎の玉が破裂したら、ここにいる者は全員、焼き尽くされてしまうぞ!」


 馬から飛び降り、叫んだゴットフリーの声にせきを切られたように、


「うわああっ、みんな逃げろ!」


 人々は城下町の外へと走り出した。

 ゴットフリーは声を部下たちに声を荒らげる。


「警護隊は後方について、住民を守れ! そして、できる限り遠くまで走るんだっ!」


 ……が、どこまで逃げれば、あの炎の玉の爆風から逃れられるんだ? わからない。それでも、ここにいたら確実に焼け死ぬ。


 逃げてゆく住民と警護隊たち。ゴットフリーは腰の剣を引き抜き、宙に浮く炎の玉を睨めつけた。


 しかし、こんな剣が何の役にたつというんだ……


 ジャンに預けてしまった黒剣のことが、かすかに頭をよぎりはしたが、たとえあの剣であったとしても、灼熱に燃える炎の玉にダメージを与えることなどできるはずもない。

 熱さとなす術のない、やるせなさで、額からはとめどなく汗が流れてくる。


「……で、タルク、お前は逃げないのか」


 彼の隣で長剣を引き抜いた大男を横目で眺め、ゴットフリーはかすかに笑った。


「隊長が逃げるというなら、私は喜んでお供しますが……」


 タルクは、2メートルほどもありそうな長剣を大きく振り上げ、声をあげた。


「そうでなければ、私のいる場所はここしかないでしょう!」


 ぽろりと炎の玉から欠片が一つ、こぼれおちた。とたんにじゅっと地面から火煙がたちのぼり、あたりに焦げ臭い香りが広がった。


 欠片の一つでも、この有様……とてもじゃないが、俺たちに勝ち目はないぞ。それでも、何とかしてこいつを消してしまわなければ、この火はゴットパレス全体に広がりかねない。だが、どうする……。一体、どうすればいい?


 悔しげにゴットフリーは唇をかみ締めた。すると、どこかから、かすかに地鳴りのような低い音が、耳に響いてきた。

 ゴットフリーははっと灰色の瞳を見開く。そして、放心したように炎に焼かれた大地の一点に視線を向けた。


「隊長?」


 タルクは訝しげに、上官を見やる。

 すると、


「ガルフ島の大地の源よ……力を貸せ……」


 ゴットフリーが、そんな言葉をぶつぶつと口元で唱えだしたではないか。


 「隊長……?」


 「力を貸せ……俺に……お前の力を……」


  タルクが声をかけようとした時、


 「その力を解き放て! この地に巣食う邪悪な炎を大地の光で祓いつくせ!!」


 ゴットフリーの叫びと共に、大地が激しく揺れた。すると、巨大な炎の真下の地面が大きく隆起しだしたのだ。うねるように大地はきしみ、その懐を大きく地上に開いた。その瞬間、大地の割れ目から矢のような蒼の閃光が飛び出してきた。


「ああっ!」


 タルクは、あまりの眩しさに耐え切れず、太い腕で目を覆う。

 耐え切れぬほどに大きく膨らんだ炎の玉は、中心を蒼の光に射抜かれ、大音響をあげて炸裂した。

 無数の火玉が四方八方に飛散する。……が、業火が地上に燃え移るより早く、蒼の光が波紋を広げ、炎の破片を次々に飲み込んでいった。


 蒼の光はそのまま、かき消されたように空気の中に溶け込んでゆく。


 ただ、一つ。ゴットフリーの目前に浮かび上がる小さな火玉だけを残して。


 唖然と自分を見つめているタルクの横で、ゴットフリーは手にした剣を火玉に向けた。蒼の光がその剣先にだけ、まだ光を保ち続けていた。


「おまえが本体か! その禍々しい紅色はよく覚えているぞ。“うみ鬼灯ほおずき”! ……よくも、サライ村では、俺を血祭りにしてくれたな」


 “紅色の邪気”! あのおびただしい鼠の群れの中にお前たちは隠れ、何を目的に、ガルフ島に災いをなす!


 再び、火玉が、めらめらと紅蓮の炎を広げ始めた時、


「飽きもせず、まだ、ここに居座ろうというのか。だが、そんなことはこの俺が許さない!」


 アアアアアッッ!!


 吠えるような雄たけびをあげて、ゴットフリーは渾身の力で剣を振り下ろした。剣を覆う蒼の光が疾風となって、紅の光を打ち崩す。すると、

 

 消えた……?


 一瞬うちにすべてが消えてしまったのだ。紅の灯も……そして、蒼の光でさえも。



「な……何が起こった? あいつら、どこへ消えた?」


 刺すような灰色の瞳の警護隊長に、タルクは呆然と目をやった。ゴットフリーは、凍りついたように剣を打ち下ろしたままの姿で、ぴくりとも動きはしない。


「た、隊長!」


 タルクの声に、はっと目を見開き、ゴットフリーは改めて辺りの景色をぐるりと見渡した。


「だ、大丈夫ですか。それにしてもあの蒼の光は?」

「蒼の光……?」

「隊長が叫んだとたんに、地面から飛び出してきた光です。あれは、確かにジャンって小僧が放った光と同じだった……でも、あなたが唱えていた言葉、あれは何だったんです?」

「言葉……?」


 ゴットフリーはタルクに指摘され、顔をしかめる。


 ……あの時、地鳴りの音にまぎれながら、俺には大地の声が確かに聞こえた。


 “ガルフ島の大地の源よ、僕に力を貸せ”


 俺はただ、無性にその言葉を叫んでみたくなっただけなんだ。

 でも、どうして……


「俺には何もわからない。俺は何も覚えていない……」


 心に湧き上がる疑問を振り切るように、ゴットフリーは首を横に振る。

 その時、

 再び、大地が小刻みに揺れた。ゴットフリーとタルクははっと目を見交わす。地を這うような地鳴りのにぶい音、徐々に大きくなる揺れ。そして、続く大轟音。


「また、地震! ……でも、この音は?」


 あたふたと通りの向こうから、警護隊の一人が乗った馬が駆けて来る。


「隊長! 住民たちは、全員、町はずれに逃がしました。でも、今度は……」


 激しく息をきらしながら、男はゴットフリーとタルクに交互に戸惑いの眼差しを向けた。


「今度は、島の東です……東の森が……水没しました!」

「何っ!」

「地割れが広がって、東の森の周辺はかなり危険です」


 ちっと舌を一つ打ち鳴らすと、ゴットフリーは自分の馬に飛び乗り、タルクに言った。


「俺は、東の森を見に行ってみる! お前は、残った警護隊の指揮をとれ。後で宿営地で落ち合おう!」


 憮然とした表情で東に向かって馬を走らせたゴットフリーに、了解しました! と声を張り上げたものの、


 東北の半島の次は、東の森か……畜生! こうやっているうちにも、ガルフ島はあの得体の知れない紅の灯に、次々に食い荒らされてゆく


 震えるような気分で、タルクは、黒い警護隊長の背中を見送った。 


 それにしても……あの鼠たちは、紅の灯に変化する前、確かに隊長にかしづいていた。まるで、自分たちの主に従うように列をなして……


 ゴットフリー・フェルト……? ガルフ島警護隊長……? いや、そうじゃない。俺たちには想像もつかない、あの人の中にある何か他の違う者に、あの紅の瞳は引き付けられていたんだ。


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