第23話 女神の過ち

「ココ、こっちへおいで。霧花きりかは厨房でたまった皿を洗っておくれ」


 フレアおばさんは、霧花に愛想笑いをすると、そそくさと、ココを奥の部屋へ引っ張っていった。声を押し殺してささやく。


「ココ、霧花にサライ村を出ることは話しちゃいけないよ」

「だって、 霧花だってサライ村の住民なのに……」


 声を落として、フレアおばさんは、


「スカーは、あの子は信用できないっていうんだ」

「何で!? 霧花くらい、真面目で優しい子はいないのにっ」

「でもね、霧花が姿を現わすのは夜だけだろ。昼はいったいどこで何をしているんだい? 家を訪ねてみても、いたためしがない。行くあてもないと聞いて、店で使ってやってはいるが」

「それは……」

「スカーは、あの子はゴットフリーのスパイじゃないかって……」


 それを聞いたココは、顔を真っ赤にして怒った。


「ひどいっ、どうして、そんなことを!」

「しっ、声が高いよ。この話はサライ村でも、ごくわずかの者しか知らないんだが……実は、霧花は、前にリリアの館に住んでいたことがあったんだよ。それもゴットフリーの遊び相手として」

「えっ……そんなの嘘よ!」

「嘘なもんか。でも、ある日、突然、サライ村へやってきた。この娘は、きっと、島主の館から逃げ出してきたんだ……私たちはそう思ってね、霧花を隠してやろうと決めたんだ。でも……」


 フレアおばさんは、唖然としているココを見つめて困りきった顔をした。


「あの子は私たちがいくら聞いても、ゴットフリーのことは一切話してくれない。それに、スカーは、BWと霧花が海岸で会っている所を何度も見てるんだ」

「BWと……。だから、フレアおばさんも、霧花がスパイだって思ってるの……?」


 フレアおばさんは、黙り込んだ。そして、一言ぽつりと言った。


「思いたくはないんだけどねぇ……」


 ココはフレアおばさんと話すうちに、頭がひどく痛くなってきた。目を閉じて頭に手をやる。すると、人の形が脳裏に浮かんできた。小さな子供。青い瞳……その顔は驚いたように宙を見つめている。


「リュカ……?」


 ココの頭の中のリュカが白銀に輝きだした。灼熱の陽光に照らされた刃のごとく研ぎ澄まされ、美しく、眩い光。

 ココは知らぬうちに叫んでいた、心の中で。

 

 リュカ、だめ。今、力を放っては!


* *


波がうねりをあげていた。銀箔に輝いた飛沫は群青に色を変えた。そして、薄暮の海は不気味な叫びをあげるかのように荒れ出した。  

 BWブルーウォーターは波の中からリュカを見ていた。ひきつった笑いをうかべながら。


「なぜ、そんなにかわいた、くらいめをしているの?」


 リュカの大きな青の瞳が困惑にゆれた。


 “知るということは時には悲しいものですね”


 BWの声はもう人間のものではなかった。まるで、岸壁に打ちつける荒波のような彼の声は、海の中から響いてきた。


“最初に目覚めた時、あの占い師に出会った時、そしてサライ村を見つけた時、私は希望に満たされていました。レインボーヘブンに帰れると。だが、ゴットフリーと出会い、私は目にしてしまったのです……『レインボーヘブンの真の伝説』を”


「しんのでんせつ?」


 リュカは、打ちつけてくる激しい波に、のみ込まれそうになりながらBWの声に耳をすませた。


“いったい、いつからそこにあったのか……『アイアリス・レジェンド』と銘打ったその本は、リリアの館の書庫に眠っていました。今まで私が聞いていたレインボーヘブンの伝説は、住民側に都合良く伝えられたものでした。だが、『アイアリス・レジェンド』は、ただ、過去にあった事実、そして、未来に向かう道標だけを伝える、いわば、ガイドブックのようなものだったのです。その本は語っていた……”


 BWは少し声を和らげた。それと共に荒れていた波も動きを弱めた。


“レインボーヘブンは確かに幸福の島でした。だが、そんな豊かな島を島の住民だけの物にしておけるものでしょうか。否。いつしか、レインボーヘブンは、島の財産をねらう山賊、海賊、侵略者たちの脅威におびえる島になっていたのですよ。どうしようもないほどね。守護神アイアリスがレインボーヘブンを消し、そして、隠した理由は……それらから島と住民を守るためです! そして、彼女は島を消しさる前にレインボーヘブンの住民たちを海へ逃がしたのです。遥か未来、彼等の子孫に必ず至福の島レインボーヘブンを返す約束を残して“


どこかで風の音がした。波はその音をかき消すかのように高くなる。BWは、うるさそうに話を続けた。


“風は、私に話をさせたくないようですね。しかし、リュカ、あなたにだけはどうしても真実を伝えなければ。あなたは、私たち欠片の指針。アイアリスは欠片たちが、いつか集結するため”大地”に指針を授けました。あなたは、ジャンと共にいたのでしょう? 封印を解く力を蓄え、姿を変えながら……その度にジャンも記憶を取り戻し、力に目覚めていった。でもね、ジャンの他の欠片たちもジャンと同時に成長していたのですよ。あなたたちが、気付かない場所でね“


 リュカは、知っていたのかと、波に向かってくすと笑った。


「ジャンは、レインボーヘブンのいしずえ。だから、ジャンのもとにいた。ぼくは、さいしょは、ちいさなひかりだった。ジャンがめざめたとき、ぼくは大きくなった。いちばんうれしかったのは、ココをしったとき。そして、リュカになったとき」


“ココ? だが、あの子はサライ村の住民ではない。それに、あの子はお前があの蒼い石の変化だとは気付いてないのでしょう? そして、あのジャンとかいう子供がいしずえですか。やはり、あの力はレインボーヘブンの大地のものなのですね”


 リュカはこくんと首を縦に振った。


「ジャンいがいの欠片とはなしたのは、これが、はじめて。だからうれしかった」


 BWは、リュカの言葉に大声をあげて笑い出した。


“うれしいですか? レインボーヘブンの嫌な話はまだ続くというのに。


 住民たちは、島を失い、いわば流浪の民になったわけですが、それぞれ違った土地で新しい生活を始めました。サライ村の住民はその子孫というわけです。だが、急に消えうせたレインボーヘブンにいた盗賊たちや侵略者たちは……どうなったと思います?”


 リュカの顔に波飛沫が吹きつけてきた。また、海は、荒れはじめた。


“家族もろとも海に沈んだのですよ! 苦しみながら……私はレインボーヘブンの紺碧の海。アイアリスが私を消し、他の海域の水がレインボーヘブンの跡地に流れ込んでくる前に、私は私の中に取り込んでしまった。彼らの悶絶、怨念、悲愴する心を! そして私の記憶が蘇る度、彼らの断末魔の叫びが、私の胸を突き刺すのです。アイアリスは己の島と住民を守る為、島にいた盗賊たちと、その家族を皆殺しにした。なぜ、助けなかった? 罪は罪。だが、命の価値はそれより重い!”


 海は叫びように、泣くように大きくうねりだした。それはBWの悲しみの心だった。


「いのち……」


 リュカが小さくそうつぶやくと、リュカの体は今までになく、白銀に輝き出した。リュカの瞳は大きく見開かれ、眼光は日の光のようにあたりに広がりだした。


“リュカ! もう、これ以上、封印を解くと欠片たちは人の姿でいられなくなるぞ! お前は、消えろ、レインボーヘブンはもう、いらない!”


 そう叫んだのを最後に、BWの姿は海の中に溶け込むように消えていった。波の間にあざけるような笑いを残しながら。


 そして、BWとリュカがいた一角だけに津波のような大波が押し寄せてきた。波はリュカの体をその白い光と共に取りこんでゆく。

 風はその周りを渦を巻くように吹きすさんだ。風はまた、叫び声をあげていた。取り返しのつかない女神アイアリスの失敗をとがめるかのように。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る