第20話 水蓮という名の少女
「サライ村に自治権を与えるつもりがあると?」
リリアの館の大広間で、ジャンは信じられない気持ちで声をあげた。ゴットフリーは、意味ありげに笑う。
「だだし、条件がある」
やはりな。と、ジャンは思った。何の代価もなしにゴットフリーが自治権などという好条件を出してくるはずがない。
「お前の背のその剣、それを運んでくれるだけでいい」
「この剣を?」
そういえば、ゴットフリーから預かった剣のことを忘れていた。ジャンは、背から剣をおろし、それをくるんであった白布から取り出した。剣の刃は相変わらず白銀に輝いていた。
ゴットフリーの黒剣。ぼくの力に触れて白銀に色を変えた……だが、この剣は‥‥
ジャンははたと、ゴットフリーをにらみつける。
「二日後はガルフ島に三年毎に訪れる日食の日だ。お前には日食が始まる前にその剣を持ち、火の玉山の頂をめざして欲しい。日食が始まるのは、ほぼ、正午」
「何だ、たったそれだけか」
ジャンはつまらなそうに剣の柄を指ではじいた。だが、そのとび色の瞳は注意深くゴットフリーの表情をうかがっていた。
「たった、それだけだ。だが、日食の日、火の玉山は容易には人を通さない」
「そーいうことか。だが、何の為に剣を運ぶ」
「そこまで、お前に話す必要はない。やるのかやらないのか、聞きたいのはそれだけだ」
ジャンの問いに対するゴットフリーの答えは冷ややかだった。
「わかった。だが、この剣は‥‥」
と、ジャンは手にした剣をゆっくりと上げた
「お前の物じゃないだろう?」
張りつめていた空気がいっそう、密になった。護衛役のタルクは自分の髪がぴんとひっぱられるような気になって、思わず剣を握り直した。タルクとて、ガルフ島警護隊の猛者としての誇りは持っている。だが、この人間離れした少年だけは、苦手だった。しかし、持てる限りの勇気をふりしぼって叫んだ。
「無礼なことをいうな! ゴットフリー隊長に失礼だぞ!」
タルクなど眼中にない様子でジャンは、ゴットフリーに言った。
「ゴットフリー、お前の紋章はこの館のあちこちに、うざったいくらい装飾された、あの鷹だろう? この剣の柄に彫られた絵は何だ?」
握った剣をゴットフリーの方へ突き出す。
「柄にある絵は、三連の蓮の花。この剣がお前の物ならば、なぜ、柄に鷹がない? 答えは簡単、この剣はお前の物ではないからだ!」
重苦しい空気が、大広間に広がっていく。
だが、ゴットフリーは穏やかに微笑んだ。
「その剣は間違いなく俺の物だ。なぜ、鷹ではなく三連の蓮が柄にあるか? その答えは簡単だ。その剣は昔、俺がある者から譲り受けた剣だからだ」
「譲り受けただと?」
「そうだ。その柄の蓮の花と同じ……
ゴットフリーの横にいたタルクは意外な顔をした。ゴットフリーに長年つかえていたタルクでさえ、知らなかった事実。
「もっと、話を聞きたいか」
ゴットフリーは、笑って尋ねた。ジャンは即答した。
「お前が話すというのなら」
* *
再び、リリアの館の大広間に静寂が広がった。ゴットフリーは、しばらくの沈黙し、何かをふっきるかのように話しだした。
「水蓮がこの館にやってきたのは、俺が十二の時だった。行き倒れていたところを誰か館の者が見つけて連れてきたらしい。あの娘は自分のことは何も話さなかったが、俺より四・五歳は年上だったろう。水蓮は何も持っていなかった。あの剣以外は」
その時、タルクが、
「そういえば、俺がまだ警護隊の予備隊にいた頃、その娘の話を聞いたことがある! リリア様が、荒くれ息子のお守りに捨て子を連れてきた……」
思わず漏らしてしまった言葉に、タルクはっと口籠った。まずいことを言ってしまった。タルクは気まずそうにゴットフリーを見る。
「荒くれ息子か! それは俺のことだろう。確かに、リリアは俺に幾人もの友達候補を連れてはきたが、俺はそいつらを悉くひどい目に合わせてていたからな」
ゴットフリーは、タルクをきりと見据えると、
「もう一つ、こんな話も聞かなかったか。あんな荒れた息子なのに、あの娘、水蓮にだけはよく
「そ、そんなことはと、とんでもないっ!」
タルクは、震えあがって首を横に振った。
「何を怯えることがある。お前たちが、いつも散々噂していることじゃないか。俺は捨て子だ。後継者のない島主リリアが捨てられていた俺を拾って、育ててくれた」
ゴットフリーは、軽く笑うと言葉を続けた。
「話がそれたな。剣……そう、水蓮の持っていたのはあの剣だけだった。捨て子同士で気があったのかどうだか、そんなことは知らない。だが、俺は、あいつと話していると妙に気分が落ち着いた。あの当時の俺は焦っていた。早く島主リリアの望むような人間になりたい。早く俺を拾ってくれたリリアの恩義に報いたいと……」
タルクは神妙な顔をして、ゴットフリーの話に耳を傾けていた。長年、仕えたタルクにさえ、話さなかったことを隊長は、なぜ、こんな小僧に話すのだろう。心に、驚きと同時に嫉妬の感情がふつふつと沸きあがってくる。
そんなタルクの気持ちなど気付きもしないで、ゴットフリーは話を続けた。
「だが、水蓮は言った。『真に人の上に立つ者は、時の感情に惑わされてはなりません。もともと、この世界に善悪の区別などないのです。それを善にするか悪にするかは人の心次第。その心を正しい方向へ導くことが、上に立つ者の役目なのです』と。
すると、黙りこんでいたジャンが、
「分かるようで分かりにくい言い分だな。それに、その娘、えらく小難しい奴だな。歳は、せいぜい、十六・七くらいだったのだろう?」
「当時の俺にも理解はしづらかった。だが、水蓮が言いたかったのは、こういうことだったのだろう。例えば、泥棒が盗みをするのは悪だ。だが、その行為も仲間の泥棒からみればよくやったと、誉められるべき行為だ。では、人間の大多数が泥棒側にいってしまったら……人から物を奪うことが正当化され、善と悪の判断は逆転する。それではまずいだろう」
「なるほどね。だから、人々が間違った方向へいかぬために、それを統率する人間が必要だということか……で、その上に立つ人間が、ゴットフリー、お前だと?」
ジャンはあざけるように笑った。
こいつ! いちいち、隊長をあおるようなことを言いやがって!
タルクはジャンの言葉にまた、肝を冷やした。だが、ゴットフリーは、冷ややかに言った。
「俺にはガルフ島を統率する責任がある。お前がどう思おうとだ」
へぇ、こいつにこんな面があるとは……
ジャンはゴットフリーの意外な内面を見た気がして、少し表情を和らげる。
「話がまた、それたな。その水蓮という娘が持っていたたった一つの財産が、ゴットフリー、お前が譲り受けたというこの剣ということか」
「そうだ。ある朝、水蓮は俺にその剣を差し出した。『この剣は、あなたの物です』と。そして、その日のうちにあの娘は館から姿を消してしまった。あの剣は……」
ゴットフリーは、言葉を途中で切ると、しばらく何かを考え込んでいるようだった。ジャンが、その言葉を補うように付け加えた。
「あの剣は、水蓮の剣は……お前の手に渡る前は、黒剣ではなく白銀の剣だったんだろ」
少年の瞳が黄金に光った。
ゴットフリーは声を高めた。
「その通りだ。なぜ、俺が手に取るとあれは、黒く輝く? そして、なぜ、お前だと白銀に変わるんだ!」
「知るか、そんなもん。こっちが聞きたいくらいだ」
ジャンの口調はそっけない。ゴットフリーは、小さく息を吐いた。
「それならば、お前は水蓮を知っているか? 何でもいい。手がかりはないか?」
意地悪く笑うと、ジャンはゴットフリーの方へ身を乗り出した。
「なんだ、お前、その娘に惚れてんのか」
その瞬間、短剣が飛んできた。短剣はジャンの頬をかすめ、後ろの壁に突き刺さる。ジャンは、目を丸くして破顔した。
「いや、すごいな。大入道、お前って短剣も使えるのか」
「お前、隊長を馬鹿にするのもほどほどにしろ!」
タルクの右手は、怒りでぶるぶると震えていた。
その時だった。
「ゴットフリーを愚弄するか」
にぶく、しゃがれた声が、部屋の大窓に引かれたカーテンの後ろから響いてきた。地を這うようなおぞましい音色の声だった。
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