第19話 リュカとBW
「待たせたな、あのサライの小娘ともう一人の子供が一緒だと聞いたが、外へ出したのか」
不自然に右腕を押さえたジャンの姿を見て、ゴットフリーはいぶかしげな顔をした。
「ああ、トイレに行きたいってね」
ちらりと自分の右腕を見る。もう、蒼い光はない。助かった。と、ジャンは胸をなでおろした。
「勝手にするがいいさ。あの娘……あれだけ痛い目に合わされても、めげないとは、本当にゴキブリ並みの精神力だな」
ゴッドフリーは、つまらなそうな笑いを浮かべると、あの鷹の装飾のある椅子にどさりと座った。タルクは緊張した面持ちでゴットフリーの脇に直立している。
その時、大広間の窓から陽光が差しこんできた。逆光に照らされたゴットフリーの姿にジャンは、一瞬、目をみはる。
髪が……紅く変わった
まるで血のような、鮮やかな紅に。
確か、サライ村のレストランで紅の灯に襲われた時にも、同じような事があった。
ゴットフリー・フェルト……こいつは一体……?
「さて、ゆっくり、話をしようか……」
ゴットフリーとジャンとの間に、静かに火花が散り始めた。一触即発で燃え上がってしまいそうな緊張感。それが大広間全体の空気を暗に染めていった。
* * *
ココは、ジャンに大広間から追いだされ、仕方なく大広間の隣の部屋へ飛び込んだ。
カビ臭い匂い。天井まで届きそうな書架の列。
「何? この部屋、本がいっぱい‥‥それに、リュカは……どこ?」
一緒にいたはずのリュカの姿が消えてしまったのだ。
途方にくれたように、書架を見上げた。ご丁寧な装幀の本が、ぎっしりと並べられている。だが、その中にココの目をひいた一冊の古書があった。
「すごい本、町の露店で売っている安物とえらい違い」
ココはその本を手に取ってみた。スカーから学んで、文字を読む事はできたが、本には古い書体が使われており、その中のごく簡単な単語が読みとれるだけだった。仕方なく、ページをぱらぱらとめくり続ける。だが、
あれ? この絵‥‥
ココはあるページの挿絵を見て手をとめた。
「ゴットフリーの剣!」
その挿絵には一本の剣が描かれていた。挿絵の剣の柄にある模様‥‥その模様には見覚えがあった。三連の蓮の花! ゴットフリーの剣の柄にも三連の蓮の花が咲いていた。
「なぜ、この本にゴットフリーの剣が?」
合点がゆかぬまま、手にした本の表紙を見てみた。タイトルにもやはり古い文字、だが、少しは読みとることができそうだった。
「ア‥‥アイ‥アイア‥‥アイアリス‥‥」
そう口ずさみ、ココははたと顔を上げた。
「アイアリス・レジェント! ま、まさか、この本は、ジャンのいってたレインボーへブンの伝説の本?」
* * *
ガルフ島では、この男は得体の知れない風来坊として名が通っていた。どこから来たのかは誰も知らない。ある日、ふらりとガルフ島に現れてこの地に住みついた。そして、いつの間にか、ゴットフリーの参謀兼、ゴットパレスとサライ村の中継ぎ役に収まってしまったのだ。BWはサライ村とゴットパレスとつなぐ唯一の人物だった。
ガルフ島には、全部で4つの半島があった。北部、北東部、東部、南西部。
ココたちの居住区、サライ村のある東部の半島は、すでにかなりの範囲にわたって水没が進んでいたが、首都ゴットパレスに近い北東部の半島は、海抜も高く、ガルフ島にある四つの半島の中では最も自然に恵まれた場所だった。
BWは立っていた。その美しかった北東部の半島が無惨に崩れ落ち、痛々しく壁面を海にさらし出している、まさにその突端に。
「美なるもの、常に儚さと裏腹か‥‥」
目を閉じて波の音に耳を澄ませる。緑の髪が風になびき、海の色と同化する。しばらくして、くるりと後ろを振り向くと、BWはふっと笑みをもらして言った。
「出てきなさいよ。さっきから、そこにいるんでしょ」
辺りに聞こえる音は波の音ばかり。だが、その声に答えてか、なぎ倒された老木の間からぴょこんと現れた者がいた。ばさばさの髪、汚れて破れたままの上着‥‥青い瞳だけがやけに澄んで透き通ってみえる子供。
リュカ。
「初めまして。会いたかったよ、君は指針‥‥あの幸福の地の」
BWはリュカに歩み寄り、握手を求めようと右の手を差し出しだした。だが、その瞬間、火花のような蒼い光が二人の間に飛び散った。信じられない速さで、リュカかBWは距離をとる。
「止めてくださいよ。そんな風に力をこぼされたら、私だって、自分を押さえられなくなる。あのジャンという子供だけでなく、どうやら君自身も自分を制御することができないようだ。私は、こんな夢も希望もない土地で、力を放出する気はありませんからね」
すると、リュカはにこりと笑って言った。
「オマエハ‥‥カケら?」
最初はたどたどしく、だが徐々にリュカの声はおちつき、次には鈴が鳴るような涼しげな声で語りかけた。
「レインボーヘブンのかけら?」
「‥‥いいえ、私は‥‥」
BWは、欠片と呼ばれる事にあからさまに嫌な顔をした。
「私は、私です。女神アイアリスの支配を受ける者ではない‥‥」
「しはい? なんのこと。おまえは、レインボーヘブンにかえるのでしょ。かえってしぜんになるのでしょ」
「レインボーヘブンには帰る。私もあの美しい故郷を求めて、永い時を彷徨ってきたのだから。だが、アイアリス‥‥あれが仕掛けた絡繰りを私は許さない」
波が急に高くなった。BWの怒りに呼応するように。
「あの占い師もアイアリスのペテンの一部ですか。伝説の都合のいい箇所だけを伝える伝道師。私もかつて目覚めた時、あのうさん臭い女に会いましたよ。欠片と呼ばれた私達一人一人を騙しつづけるあの女に」
リュカは困惑した表情でBWの方へ歩みよった。長身のBWの下では、リュカの背丈は頭がやっと彼の腰に届く程度だった。リュカは、何を思ったか、いきなりBWの腰に両手を当てた。
「お、お前、いったい何を!」
どんっ! BWが防ぐ間もなく、リュカは両手を押し出した。後ろは切り取られた断崖絶壁。BWはがらがらという砕けた岩の音とともに海の中へ落ちていった。
海が激しく飛沫をあげ、リュカは無表情にその表面を眺めている。
海鳥の声がかん高く辺りにこだまする。一瞬、訪れた静寂‥‥。だが、次の瞬間、海がうねり始めた。 波がねじれ、海面が徐々に徐々に盛り上がってゆく。
巨大な水の山‥‥その頂に憮然とした顔をして、あぐらをかくように座っている男‥‥、
リュカは満足げに微笑んだ。
「おまえは、うみ。レインボーヘブンのこんぺきのうみ‥‥あいたかったよ。BW!」
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