第11話 抗えない力

 ガルフ島、北東の半島。


BWブルーウォーター、BW……どこっ!”


 闇の中の声に呼ばれ、緑の髪の男はうずくまりながら夜空を見上げた。右の手からは鮮血がこぼれ出している。


「……今日は、私の誕生日ですか。あなたが一日に二度も私に会いにきてくれるなんて……」


“BW、その手は?”


 問われて緑の髪の男は、引きつった笑みをもらす。


「何、指を食いちぎられただけですよ……あの紅い灯に……あれはもう私の手にはおえません。それより、どうかしましたか」


“すぐに行って! あの灯はゴットフリーにまで刃を向けた”


「何ですって! どこです、彼は?」


“私がフレアおばさんの店に逃がしました。でも、急いで! 彼はひどい傷を負っている”


 BWは、その言葉に焦った様子で立ちあがった。


 “BW、あなたの傷は?” 


「指は直に元に戻ります。私のことは気にしないで!」


 その時、半島の中腹からおびただしい数の紅い灯が花火のように飛び出してきた。

 次の瞬間、半島の半分がずるりと海に滑り落ちた。BWは、突然、起こった凄まじい揺れに岩場にしがみつくようにうずくまった。


 大轟音と共に半島が崩れ落ちたのだ。


「この暴走はもう止められない! 私はゴットフリーの元へ行く!」


 BWはそう叫ぶと、崩れ落ちた半島の間をすり抜けるように、海へ飛びこんだ。


* *


「ねえねえ、リュカって、いくつ? 今までどこにいたの? お兄さんのジャンを追ってきたの?」


 フレアおばさんの店では、ココが目を覚ましたリュカを質問攻めにしていた。しかし、リュカは無表情に知らない、わからないを連発するだけだった。


「この子、つまんない。ジャンの弟って超無口」


 軽く笑って二人の様子を眺めていたが、ジャンの心からは先ほどの紅い光と霧花のことが離れなかった。


 何かが起こっている。とても不吉な何かが……


 フレアおばさんは、霧花が残していった仕事を不満げに片していたが、その時、大きく開かれた扉から店の中へ転がり込んできた男の姿を見て、手にした皿を床の下へ落としてしまった。


「お、お前はっ!」 


 店にいた全員が我が目を疑った。開け放たれた扉から転がりこんできた男。それは、全身を血に染め、息をきらしたガルフ島警護隊長ゴットフリーだったのだ。


「扉を閉めろっ、早く!」


 ゴットフリーは、店に入るや否や大声で叫んだ。後方から紅い光が追ってくる。ゴットフリーの姿に凍りつくココを押しのけて、咄嗟にドアに飛びついたジャン。だが、ドアを閉めた瞬間、一筋の紅い光の帯が店の中に入りこんできた。


 おぞましい血の紅光!


 それは、まっすぐココに向けて進んでいった。


「あれを止めろ! 切り刻まれるぞ!」


 叫ぶゴットフリー。


「ココ、こっちへ来いっ!」


 ジャンは、ココをかばって光の前へ立ちはだかった。しかし……光の帯にいとも簡単に突き飛ばされ、いやというほど強く床にたたきつけられてしまった。


 どうしてだ? 力がでない……


 額に汗が流れた。今だかつて一度もなかった経験にジャンは戸惑った。そうしているうちにも、光の帯はココを襲う。


「いやっ、来ないでぇ!」


 リュカがいる横の壁に立てかけてあった愛剣に気づくと、ゴットフリーは、


「その剣をよこせっ!」


 素早くそれを手に取り、鋭い切っ先を紅の灯に突きつけた。


 圧倒的な力、抗う術のない力が

 広がってゆく。


 ジャンまでが一瞬、体をこわばらせた。人を怯えさせる力……だが、この力の下にいれば、どんな災いから逃れられる……絶対の信頼感。


 紅の光は、ゴットフリーの手前で急停止したかと思うと、ぶわりと天井に這い上がった。そして、横に急移動をしながら、レストランの天井の電球を根こそぎ払い落とした。

 暗闇の中で紅の色が異様に明るく輝いている。レストランの壁ががたがたと揺れだした。窓の外にはびっしりと紅蓮の光が張り付いている。

 どうやら、この店のまわりは紅の光に取り囲まれてしまったらしい。


 店の中では、たった一筋、残った光の帯が、徐々に膨らみ始めていた。その光はゴットフリーの方向に魅入られるように引き付けられていった。


「逃げろ! 集中攻撃を受けるぞっ!」


 ジャンは、あせって声を荒らげる。だが、何かがおかしい。紅の光は敵意の欠片も見せずに、ゴットフリーが握り締めた剣に向けて流れてゆくのだ。


「何だ? 物見遊山ものみゆさんでこの剣を見学にでも来たつもりか」


 ゴットフリーは、皮肉っぽい笑みを浮かべた。ところが次の瞬間、顔をしかめた。

 剣の先へ一列をなしてたどり着いた紅の灯が、くるくると彼の周りを取り巻き出したのだ。それらは、ゴットフリーの頭から足元までを紡ぐように移動してゆく。

 ジャンは、とび色の瞳を大きく見開いた。


 品定めでもしているのか。あの剣の? ……いや、違うぞ。あいつらが興味津々なのは、警護隊長ゴットフリーの方だ。


 濁った紅の輝きに取り囲まれ、ゴットフリーはひどく気分が悪くなった。紅の灯に切り刻まれた傷口が、じくじくと疼いてたまらない。おまけに足元から、焼けつくような熱気が胸の方へ立ち上ってくる。


「ふざけた真似は止めろっ! お前ら、全部、この剣で斬りきざんでやる!」


  吼えるような声をあげ、ゴットフリーは渾身の力で愛剣を振りぬいた。

 漆黒の風と紅の光が混ざりあう。

 その瞬間、


「えっ、か、髪……警護隊長の髪の色が……」


 ココとフレアおばさんは、唖然とゴットフリーを見つめた。まるで、紅の光に染められたように、


 髪の色が変わった!? 漆黒から血のような紅に……。


 ゴットフリーは、剣を振り下ろしたまま、激しく息をきらしている。

 そして、紅い光の帯は……徐々にその光を失っていった。彼の剣が巻き起こした空気の重みに押しつぶされたかのように。

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