第10話 紅い闇
ジャンたちが、フレアおばさんの店にいたちょうどその頃、館を出たゴットフリーは、馬を飛ばし、再びサライ村にやって来ていた。だが、サライ村の蓮池を目の前に、その場に呆然と立ち尽くした。
「何だ……この光の乱舞は」
サライ村の蓮池から立ち上る光の粉をゴットフリーは幾度となく目にしていた。ジャンには見え、ココには見えなかった光……そして、そのおだやかな黄金の色を見ていると、なぜか懐かしさがこみあげてきた。島主リリアの奇行に疲れたこともあったが、ゴットフリーは、ジャンに敗れたことがまだ信じられなかった。その悔しさを癒したい気持ちもあった。
だが、彼がこの場所を頻繁に訪れるのには別に理由があったのだ。
首都ゴットパレスには、ゴットフリー、いや……島主リリアに取り入って私服を肥やそうとする連中が大勢いた。密閉された狭い世界でのくだらない勢力争い。だが、リリアの精神が病みだすと、彼らは手のひらを裏返したかのように態度を変えた。中には命をねらってくる者もいた。そんな連中を有無をいわさず斬り捨てると、今度は一転して忠実な家来になるという。そんなことの繰り返しが、馬鹿馬鹿しく思えてたまらなかった。
まだ、警護隊の連中は活気があっていいのだが……。
そんな思いにかられた時、この男は決まってこの場所にやってきた。
“あなたはガルフ島を出たいのではないですか”
BWが行った言葉を思い出し、苦い笑いを浮かべる。そして、数年前に突然消えてしまった館の娘のことも……。
* *
「光が荒れ狂っている……この穏やかな場所で、こんな光景は初めて見た」
その時だった。ゴットフリーは頬にちくりと、にぶい痛みを感じたのだ。頬からは一筋の血が流れていた。すると、蓮池の黄金の光がその血のような紅の光に、突然、飲みこまれたのだ。
「これは、この紅い灯は……?!」
無数の紅い光の帯が襲いかかってくる。
「
小さく吠えると、ゴットフリーは腰の剣を抜いてそれを一気に切断した。光は幾重にも分散し、いくつかの鈍い手応えが剣に伝わる。そして、光と同色の血の玉がぼたりぼたりと地面に落ちた。
やはり、鈍い……この剣では
ジャンとの戦いで、ゴットフリーは愛剣を失っていた。だが、それを悔やむ間もなく蓮池の向こうから紅い光の帯の第二波がやってきた。それらは先程より数段、数を増している。
本当にこれは海の鬼灯か? ならば、なぜ、海を離れた? 日食にはまだ日があるというのに……
日食の日、火の玉山には邪気が集まる。海の鬼灯は邪気だ。確かにあの紅い灯は見た者の心を不安にさせる。だが、日食の一時を越してしまえば、恐れることは何もない。彼はそう理解していた。そして、実際に今まではその通りだったのだ。だが……この紅い灯は……
海の鬼灯ではないのか!
ゴットフリーは、剣を盾に身を守ったが、紅い灯の帯が通り過ぎた後、激痛に口元を歪めた。まるで
やがて、それらは頭上で円を描き出した。ひゅうひゅうと悲鳴のような音をたて、光りの帯は次第にその輪を広げてゆく。そして、その中から一筋ずつ獲物めがけて降り注いで来るのだ。
こいつら、俺を切り刻むのを楽しんでやがる!
ゴットフリーは、苦痛に叫び声をあげた。
紅い灯は、一度、切り刻んだ傷口をなめるように、やってくるのだ。そして、さらに深く深く切り刻もうと……
これでは、いくら防いでも切りがない……すぐに光の第三波がやってくる!
ふと、足元を見つめ、思わず自分の目を疑う。
これは、鼠?
無残に切り刻まれ地面に落ちた鼠の死骸。
そういえば、あの小僧と戦った時にも鼠が……
自分を襲う光の帯はおびただしい数の鼠なのだろうか? だが、第三波がじきにやってくる。ゴットフリーは、腕についた裂傷から血飛沫を飛ばしながらも剣を身構えた。
このままでは、体中を切り刻まれるぞ!
襲いくる光の刃。
すると……蓮池の向こうで、あの美しい黄金の光が、突然、乱舞し始めた。まるで、彼を招くかのように。
こちらへ来い……俺にそう言っているのか。
迷っている暇はない。ゴットフリーは、黄金の光の方向へ駆け出した。
* *
「私、行かなきゃ!」
フレアおばさんの店で食ことの後片付けをしていた霧花は、窓の外を見て突然、手を止めた。スカーはゴットパレスへ戻り、もう店に姿はない。リュカは疲れたようで、店の隅の椅子で眠りこんでしまっている。
「霧花、どうしたんだい?」
驚くフレアおばさんの横を無言で通り過ぎ、霧花が出口の扉を開けた時、
「あっ!」
ジャンは、思わず目を背けた。外が眩しすぎたのだ。しかも、おぞましく
霧花は、その光の中へ駆け出していってしまった。
「ジャン……どうしたの」
ジャンの様子のおかしい。ココは、心配そうに彼の顔を覗きこんだ。なぜなら、ココやフレアおばさんには、外はただの暗闇にしか見えていなかったから。
「霧花、あの子はっ?」
ジャンはココを振りきって店の外に飛び出した。だが、霧花の姿はどこにもなかった。
悪い胸騒ぎを呼び起こすように、吹き抜けていった一陣の風。
夜に溶けてしまった……
呆然として、ジャンは
* *
ゴットフリーは、黄金の光に向かって、ひたすら走り続けていた。不思議と紅の光の帯は、見えない壁に遮られているかのように、彼を捕えることができない。
後ろを振り向くと、紅い灯はそれでも長い帯となり、すがりつくように後を追ってくる。
切り刻まれた体のあちこちから、したたり落ちる血を止めることもできず、
まずいな。目がかすんできやがった……前が……見えない。
ゴットフリーは足を止め、ふらりと倒れそうになった。だが、その時、彼が追っていた黄金の光がふっと全て消えてしまったのだ。
漆黒の闇
闇の中でただ一つだけ輝く光が見える。それは、ゴットフリーの弱った視界に、太陽光のように明るく飛びこんできた。
ありがたい。家の灯が見える!
相当な傷を負ってこれ以上、走り続けるのはさすがにきつかった。だが、海岸沿いの一番端にぽつんと建っている家を見つけ、失いかけていた生気がもどってきた。
ゴットフリーは、家の灯に向かって再び駆け出した。
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