第7話 ガルフ島の夜

 ガルフ島の夜。下弦の月が静かに海を照らしている。

 長潮のおだやかな波は切り立った岸壁を優しくなで、波音はしんと冴え渡った空気の中に、竪琴のような透明な響きを奏でている。

 だが、表面の優美さとは裏腹に、島は病んでいた。


 水平線と闇の合間には妙に違和感のある紅い灯が横一列にただよっていた。ガルフ島は近い未来を憂うように沈黙している……その紅い灯と奇妙な緊張感を保ちながら。


 波が少しばかり高くなった時、にわかに白い影がその中から現われた。弾ける波飛沫から生まれでたように、青白い裸体が月明かりに照らし出される。

 体から、銀の糸のような雫をしたたらせながら、それは海岸の岩に軽々と這い登ると岩の上に腰を下ろした。

 水平線に並ぶ紅い灯。ガルフ島の中腹から、その灯に向かって新たな光が一つ、二つと飛んでゆく。血のような不吉な紅い色……。


「もう、私の子守唄にも飽きましたか」


 BWブルーウォーターは岩の上で深く息をつくと、濡れそぼった体を気にもせず、沖合いに目を向けた。 


 そうして、お前たちはいくつの大地を憎み、恨み、破滅に導けば気がすむのだ。


 疲れた仕草で髪をかきあげると、BWはふと前方に視線を向けた。


「何をそんなにこっそりと、通り過ぎようとしているのです」


 すると、闇の中から艶のある美しい声が聞こえてきた。


“いつもながら、目のやり場に困ってしまうのよ……服を忘れたわけではないのでしょう”


 BWは、平然と笑ってみせる。


「あなたまで、そんな事を言う……服ってやつはどうも窮屈でね。それより、何か変わった事でもありましたか」


 声の主の姿は見えない。


“あなたは、何も感じなかった?”


「ああ、ジャンとかいう子供の事ですか。予想外でしたね。彼と会うのはもっと後だと思っていたから」


 BWは岩の傍においたシャツにようやく手を伸ばし、かったるそうに袖に手を通す。しばらくすると、また、声が響いてきた。


“これで、ガルフ島を出れるかしら”


「どうですかね。あの力はまだ不完全だ。それに、今の状態のガルフ島をそのままに、島を出るのは難しいでしょうね」


 てっとり早く、ガルフを海に沈めてしまえば、話は早い……だが、そんな事をしたら、あの警護隊長はどんな顔をするのでしょう。その顔を少し見てみたいような気もしますが……

 BWはくすりと笑った。


“ゴットフリー……彼は元気?”


 BWの心を読みとったように声は言う。


「……こちらまで気難しくなりそうな程、思い悩んでいますよ。外向きには強者のようでも、まだまだ若造だ……それに意外と繊細ですしね」


“知ったような口を聞く……逆らえもしないくせに”


 闇の中の声は少し怒ったような口調になり、それと共に、BWの耳元を夜風がびゅうと通り過ぎていった。


「今日もまた、あの地味なレストランでお仕事ですか。あなたの生真面目さには全く敬服しますよ」


”宮仕えの侍女を片っ端から寝室に引き込むような人に、そんなことを言われてもちっとも嬉しくないわ”


「おや、覗いていたんですか。あなたも人が悪い。だって、恋しい恋しい警護隊長にこっぴどく振られて傷ついた乙女を、あのまま実家へ帰すわけにはゆかないじゃないですか……あの後、あの娘はまんざらでもない顔をして故郷へ帰って行きましたよ」


 その言葉が終わらないうちに、声の気配はもう消えていた。


 ……それにね、あの娘には死相が出ていた。恋に恋する彼女の相手は私でも十分でしょう? あのままで短い人生を終えてしまうのは、あまりにも哀しすぎる。

 

 紅い灯がゆらゆらと水平線に揺れている。それにしても、ここのところ、ガルフ島の不穏な空気がますます密になっている。それに……あの娘以外にも死相を顔に浮かべている者がやたらに多い。


 面倒が多過ぎて、私も少し疲れました。


 BWはふっと息をはくと、くるりと背を向け海岸とは逆の方向に歩き出した。


* * *


「フレアおばさんの家はサライ村のちょうど入り口、海沿いにある小さなレストランなの。歩いて20分くらいかな。ボロいけど味は確か! ジャンが私を助けてくれた話を聞いて、ぜったいその子を連れて来てよって」


 ココとジャンは、昼間の騒動がなかったかのように、のんびりと夜の道を歩いてゆく。


「ところで、何でジャンはこの島に来たの?」


 好奇心いっぱいのココの質問にジャンは平然と答えた。


「至福の島、レインボーヘブンの住民を探すために」

「レインボーヘブンの住民を探しに来たですって! 本気で言ってるの? あの島は伝説の島で、おまけに五百年も前に消えてなくなった島じゃない」

「……そう。だから、僕は数えられないくらい沢山の島を巡ってきた。でもね、サライ村……ここの名前だけは忘れそうにないな」


 ジャンは軽く笑った。


「探し物を見つけたから」


 一寸、考えてココは目を輝かせる。


「まさか、サライ村の人たちがそのレインボーヘブンの住民だったっていうんじゃないでしょうね」


 ジャンは、ココのまっすぐに自分を見つめてくる眼差しを気に入っていた。だが、その顔をのぞきこみ、


「ココは、違うな。残念だけど」

「何が違うのよ。そりゃあ、私は海で拾われた子だけど」

「海で拾われた?」

「お父さんもお母さんも海で死んだの。乗っていた船が沈んだんだって。私が、まだ赤ちゃん時の事よ」


 少し言葉を詰まらせてしまったジャン。だが、それとは反対に、ココは饒舌に話を続けた。


「あ~あ、私ってつくづく不運な娘よね。そのあとお世話になっていたゴメスさんも死んじゃったし……」

「だから、BWってやつの世話になってるのか」

「誰があんな奴に! 毎日の稼ぎには困ってないわよ。ここの島はね、サライ村以外の奴等はみんな馬鹿。だから、騙すのなんてすごく簡単! あ……お父さんの写真、持ってるんだ、見る?」


 ココは悪びれる様子もなく、首にかけたロケットを取り出した。古ぼけてはいるが見事な細工の銀のロケット。


「全然、覚えてないんだけど、私が持っていたのはこのロケットだけだったんだって」


 ロケットの中では、ちょっと斜に構えた海賊風の男の写真が入っていた。だが、粗野な面構えではなく、その男には頭領の観があった。


 ココの父は海賊か。この子はその血をストレートに受け継いでる感じだな。


 ジャンは、くすと苦笑いをした。だが、再びロケットをのぞきこんで首をかしげる。


 誰かに似ているな……どこかで見た顔なんだが……


 腑に落ちない気分で居住区を出たが、突然目の前に開けた景色に、ジャンは思わず身をのりだした。


 サライ村……その入り口は一面の蓮の花。


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