第5話 侍女の落胆

 ジャンが目覚めたのは、きしんだ音のするベッドの上だった。


「あっ、起きた。大丈夫? ずっと眠ってたのよ」


 森に落ちた艶やかな木の実のような丸い瞳。少女に見下ろされ、ジャンの脳裏にサライ村での騒動が浮かび上がってきた。


「お前、無事だったのか!]


そう言ってから、がばとベッドから身を起こしたジャンは、ココの腕に目をやり表情を曇らせた。誰かに巻いてもらったのか、白い包帯が痛々しい。


「その腕は……まさか、あいつらにやられたんじゃ……?」

「違う、違う。あんたが作った山の下敷きになりかけ……ううんっ、ちょっと転んだだけだよ。痛いけど、こんなのどうってことないよ」


 ジャンは、不自然に笑うココを見て顔をしかめたが、とりあえずはほっと胸をなでおろした。


「あんた、確かジャンっていったよね。私はココ。サライ村のココ!」

「ココ……? でも、僕はなんでこんな所に?」

「こんな所で悪かったわね。ここは私の家なのに」


 辺りを見渡してみると、そこは窓辺の小花の植木鉢が、かろうじて部屋の殺風景さを和ませているだけの古びた板壁の部屋だった。


BWブルーウォーターがジャンをここに運んでくれたんだよ」

「BW……って」

「何だかよくわかんない奴。ゴットパレスとサライ村を行ったり来たりしては、ああしろ、こうしろって、やたらにうるさいし。ゴットフリーのスパイだって、噂もあるくらい。でも……親代わりのゴメスさんも家もなくした私にここを用意してくれたのもBWなんだけどね」


「親がわりも家もなくした?」


 ジャンは戸惑うようににココを見る。すると、


「もう、夜よ。サライ村一の料理上手、フレアおばさんが夕飯を用意してくれてるって。早く行かないと、なくなっちゃうかもよ」

と、ココはおどけるように笑ってみせた。


* * *


 首都ゴットパレス、島主リリア・フェルトの館。


 BWに助けられたゴットフリーは、館の自室で目をさました。軽い頭痛は残るものの不思議と体に傷はほとんどなく、寸でのところで、大岩の下敷きになりかけた後とは思えないほどだった。


「ゴットフリー様、島主がお呼びですが」


 母親でもある島主リリアからの呼び出しがかかったのは、ちょうど、その時だった。気は進まなかったが、島主の指図に逆らうこともできず、ゴットフリーは島主の部屋へ向かった。彼の前に突然、大理石の柱の後ろから黒い影が飛び出してきたのはその時だった。


「ゴットフリー様っ」


 一瞬、身構えてはみたが、その影が、館使えのリリアの若い侍女であることを知って、ゴットフリーは眉をひそめた。意を決したような少女の声が、疲れた心をさらに気だるくさせた。


 娘が頬を赤らめて自分の方へ近づいてくる。また、馬鹿な女の”戯言たわごと”かと、白けた気分で彼女に目を向けた。歳は15~16くらいだろうか、まだ無垢な心と体のままなのが、その邪心のない表情からも見てとれた。


「あの……身の程しらずなのは、分かっています。でも、私、今日でお暇をいただいて実家へ……火の玉山の麓の村に帰るんです。……最後にせめて、私の気持ちを伝えたくて、手紙を書いたんです。いつも影からあなたを見て……お慕いしておりました。返事なんていりません……だから、この手紙を受け取っていただけますか」

 ……が、

「俺はBWを通さぬ書簡は一切受けつけない。ましてや、お前のような、もう用無しの娘からは」


 差し出された手紙を受け取りもせず、ゴットフリーは少女に冷たい一瞥をくれただけできびすを返した。そして、島主の部屋へ歩いていってしまった。


「……馬鹿ね。分かっていたのに……ちょっと、夢を見ちゃってた」


 若い侍女は手元に残された手紙に目を落として、ぽろりと涙を流した。残酷無比と巷では噂されるが、母親の島主リリアと話す彼の言葉は優しくて、低く笑う声が好きだった。島主の世話をしてきた自分ならば、思い切って声をかけたら、何かねぎらいの返事がもらえるのではと期待していた。読んでくれなくても、受け取ってくれるだけでも、それで良かったのに。


 ところが、袖で溢れる涙をぬぐおうとした時、彼女の肩にそっと手を置いた者がいたのだ。

 緑かかった髪が窓から差す日の光で、深海に沈んだ翡翠のように輝いていた。それが青白い肌と合い、男の顔を余計に端正に際立たせていた。


「……BW?」


 戸惑った顔をを覗きこみながら、男は柔らかな笑みを浮かべて、少女を彼の元へ誘った。


「泣くことなどないのですよ。まったく、なぜ、あの警護隊長が婦女子に人気なのかは、私にはよく分かりませんが……書簡は私を通せとゴットフリーは言ったでしょう? あなたさえ良かったら、どうぞ私の部屋へいらっしゃい。その手紙は私が読んであげますよ。私は誰も拒みません。あの堅物な警護隊長……とは違ってね」


 差し出されたBWの手は魅惑的で、小波のような美声は、若い侍女の心を優しく癒した。その手に手を伸ばした少女を笑顔で胸に向かえながら、BWはわずかに眉をひそめた。

 

 この娘、死相が出ている……。


 彼は感じとってしまったのだ。その娘の命がごく近い未来に失われてしまうだろうことを。


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