第12話
なんてことだ…。
聴き取れない部分もあったとはいえ、あの2人の会話や態度から察すると、今朝の大量破損事故を起こして隠蔽した"犯人"は俺だと思っているようだ。
今朝、倉庫Cで高橋に大声で怒鳴られ犯人扱いされた時と同じくらいのショックを受けた。
今だってパニック状態に陥りそうなのを、ぐっと堪えている。
社員食堂の出入り口には、青、緑、黒といった様々な作業服を着た社員らが食事を摂る為に続々、安全靴を鳴らして歩いてくる。
彼らは人が行き交う導線の真ん中で突っ立っている俺を邪魔そうにしていた。
俺は彼らの舌打ちや鋭い視線に気づき、そそくさと社員食堂をでた。
顔を伏せながら小走りでトイレに向かう。
もしかしたらデタラメの噂を信じているのは、あの2人だけではないかもしれない。
誰かが流した悪い噂を多くの人が耳にして俺を飯の種にズタボロ批判しているかもしれない。
俺がこんな考えを持つのも自然な事だ。
もともと悪しき伝統があったとはいえ、"やらかした人"などという言葉を用いてミスをした人を吊し上げてきた連中だ。
今の自分が、そんな奴らと顔を合わせてしまったら、ナイル川で凶暴なワニの群れに包囲されてしまうのと同じくらい危険だ。
昼食を食べる前と同じで、またみぞおちがズキズキ痛みだした。
さっきとは比べものにもならない。
とにかく今は人の視線が怖い。
身を隠すようにトイレに入ると中は誰もおらずガランとしていて、少しホッとした。
俺は個室トイレに入り休憩時間が終了するまで籠ることにして、暖かい便座に座り大きくため息をついた。
殺人や放火等のいかにもな犯罪だけでなく普段から人を陥れたり、自分の手を汚さないように捨て駒を使ったりするような人間が裏社会に存在しているのは誰もが知っている。
実は表にもそんな人間は沢山いて直接、人を殺したりはしないが誰かを精神的に追い込みチクチク攻撃する人々が我々の暮らす表社会で無数に存在している。
そんな"腹の色"に問題がある人々と隣り合わせで暮らさなければならない俺に対して、いつも変わらず暖かく接してくれるのは血も通っていなければ話もできない無口で無機質なこの便座だけだ。
この暖かい便座に座り込んで俺は考えた。
なぜ俺だけこんな目にあわなければならないのだろう?
なぜ高橋や小室のような人間が存在するのだろう?
なぜこんな職場で働いているのだろう?
色んな"なぜ?"が頭の中をぐるぐる回り山手線みたいにループしている。
そんな時、ガラガラとスライド式のドアを開ける音がした。
安全靴を鳴らして小便器付近に向かうのが個室トイレで篭っている俺にも分かる。
1人が小便をした後、遅れてもうひとりの男がそれに続いた。
最初にした男より、遅れてしている男の方が勢いがいい。
尿意を感じていても我慢していたのかもしれない。
どちらかが、「はぁ~」とため息をついた。
小便器の下に備えつけられている排水溝に大量の小便を撒き散らす音が聞こえてくる。
何か憂鬱な事があってのため息ではなく小便をする事での、ある種の快感を得ているようなため息だった。
「あのガキ、明らかに動揺していたな。だったら隠蔽すんなっちゅう話だ。」
この声は社員食堂で食事をしていた二人組の片割れーーーー大柄の坊主頭の声だ。
この発言を聞いて俺は気づいた。さっきの社員食堂にいた、あの2人組だ。
それにしても引っかかったのが俺に対して"ガキ"か…。
しかも"明らかに動揺していたもんな"なんて言うのだから社員食堂で俺が激しく動揺していた事に気づいていたわけか。
確かに俺と何度か目が合ったもんな…。
この2人組の会話を聞くに堪えなくなり両耳を掌で一瞬だけ塞いだが、すぐ耳から掌を離した。
なぜ俺を犯人扱いするのか、どうしても情報が欲しかったからだ。
同時に、ニョキニョキと希望的観測が顔を出してきて、この2人組は俺について話しているとは限らないと、この後に及んでまで祈るように言いきかせていた。
俺は両手をクロスさせて肩付近の少しブカブカになった作業服を強く握った。
遊園地のジェットコースターに乗った時、元カノは両手を離して万歳をしていたが、俺は辛い時や我慢しなければならない状況に置かれた時、何かを掴んで力をこめたくなってしまうクセがある。
「バカって衝動的な奴が多いよ。後で、すぐバレちゃうような事もやっちゃうんだよね。バカだからさ。」
ニキビ面が偉そうに言った。
うるさい!黙れ!
バカはお前だ!いや、お前らだろ!
誰に吹き込まれたか知らないがガセネタを掴まされて、人様を犯人扱いするお前らこそ大バカ者だ!
たまには、そのちっさな頭でよく考えろ!
少しは言葉を慎め!
2人組の片割れは、未だにジョボボボと勢いのある小便をしている。
もう一方は、残尿があるらしくピュッ、ピュッと何度か尿を飛ばしている。
奴らの汚い放尿の音が嫌でも聞こえてきて、とてつもなく不愉快だった。
俺は肩付近をクロスさせ掴んでいた両手を離した。
怒りと不安で滴り出た俺の手汗が作業服にベッタリ付着しているのを確認している時、ニキビ面が話した。
「佐山がやった事で#高橋さん__・__#も呆れて話してたね。我慢出来ず、ついつい俺らに口を滑らしちゃった感じかな?」
「本当はいけねぇんだけどな!チクるのはよ!まぁ、あのガキにむかついたんじゃねーの?」
大柄な坊主頭がニキビ面に返答した。
俺は再び両腕をクロスさせて、作業服の肩付近を非常に強い力で掴んだ。
人並外れた握力のあるプロレスラーが相手のこめかみを掴んで苦しめる技、そう、まるでアイアンクローのように作業服を、まるで人のこめかみのごとく締め付けた。
ニキビ面から俺の名前がでたのと同時に高橋がガセネタをばら撒いていたのも、今ここで明らかになった。
ちくしょう!高橋め!
どこまで、俺を苦しめれば気がすむんだ?
あのクソッタレめ!!
これで俺の希望的観測は木っ端微塵に砕け散った。
俺を犯人に仕立て上げてクビにでもしたいのだろう。
やはり高橋はまともな人間ではない。
今まで生きてきて数多くのさまざまな人間と接してきたつもりだが、ここまでの悪党は初めてだ。
誰が1番か分からない、トップクラスなんて曖昧な言葉では生ぬるい。
俺が出合った中で1番の悪党だ。
そうだ1番の悪党だ!
卑劣極まりない。
今朝の金髪ツーブロックとヤンキースの帽子を被った2人組が可愛く思えてくる。
俺は放心状態に陥っていた為これ以降、2人の話は聞いていられなかった。
計り知れない程の精神的ダメージを被っているのだから、この2人の会話をまともに聞いたらパンパンに膨れあがった風船のように心が破裂してしまうだろう。
2人組は小便をした後、水道で手を洗わず安全靴をカツコツ鳴らして、そのままトイレを出て行った。
小便をしたばかりの性器を触った汚い手でドアの把手に触れたわけだ。
俺はスライド式のドアの把手を手ではなく足を使って開ける事に決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます