第13話

社員食堂のある6階から自分の働く5階まで階段で降りた。


ガセネタを関連会社の作業員に広めた高橋は、午後は俺に対してどのように振る舞うだろうか?


今朝のように、すわった細い目を更に釣り上げてパワハラ全開でくるかもしれない。


それとも意表をついてニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべ、逆恨みをした黒魔術師のように呪いをかけてくるかもしれない。


いつもなら階段を小走りに駆け降りるのだが足取りは非常に重く、国会で政治家が時間潰しをする為に行う牛歩のようにスローで階段を降りた。


考えるだけで苦痛だが、高橋はどんなアクションをおこすのか先を読む必要があった。

しかし全くもって対高橋用の防衛策を講じる事が出来なかった。



結局、これといった策もなく無防備のまま、あっという間に5階の階段用の出入り口ドアに到着して正面に立った。


上司の八木に体調が悪いと伝えて帰宅しようとも考えたが心の片隅に、"俺は何も悪い事はしていない"のだから、逃げてたまるかという気持ちが少なからずあった。


全て、どチンピラの高橋の仕業であって俺が卑屈になったり恐れてしまうのは、明らかにおかしい。

まんまと高橋に騙されたさっきの2人組の誤解を解く必要だってある。

それに、一緒に働いている八木や同僚にも自分の意見を主張すべきだし仮に皆が高橋に騙されているのなら、俺は自分自身の名誉回復に努めたい。


だいたい、どこの誰が業務上のミスをしたとしてもーーーー高橋のような末端の作業員が情報を漏らす事は規則違反だ。



脈々と続いていた会社の悪しき体制がどうだったものであれ、現在はどんな理由でも伝えてはいけない事になっている。


高橋もそれを知らないわけがない。


ましてや、無実の俺を犯人だと決めつけてガセネタを広めているじゃないか!

これは冤罪であるし名誉毀損だと思う。



しかし、このように理屈を振りかざしてみても肝心な行動が起こせない。



もちろん僅かながらも"俺は何も悪い事はしていない"という感情があるからこそ、早引きせず出入り口ドアの前で、こうしてつっ立っている。


それを勇気と認めていいのか分からないが、確かに心の片隅にこのような感情はある。


でも、だからといってこのドアを開けて話の通じない別世界の住人である高橋と面と向かって対峙出来るのかは別の話だ。


どんな理屈も、正論も行動しなければ粗大ゴミと変わらない。

それは分かっている、分かってはいるけれども…。



スマホで時刻を確認したら、昼休みが終了する1分前だ。

昼礼が始まるのに合わせて皆揃っているだろう。


加藤は職場付近にある、クジラ食堂で昼に食べた680円の定食のボリュームの少なさに嘆いている頃だ。

いつも、それを聞かされているクールな宮本は、うんざりしているらしく少し俯き適当に相槌をうってやり過ごしている。


小室の場合、コーラ味のキャンディをチュパチュパと音を鳴らしながら頬張り、しつこく俺に残業するよう誘ってくる。


小室は早引きしたので、今日はしつこい勧誘を受けずに済んだ。



高橋はというと、俺を睨みつけて粗探しをはじめる。

ヘルメットの被り方からはじまり、作業服の着こなし、安全靴の紐の弛み具合等を指摘してくる。


高橋は過去にエレベーターで身だしなみを黒いスーツを着た人物に厳しく注意をされてから、俺の身だしなみを病的なまでに指摘するようになっていた。


俺を真ん中に挟んで左に小室、右に高橋がおり両サイドから一方的に責め立てられる。


2人は師走に行われる"餅つき"のように、互いが息を合わせて臼で餅をつき、手でこねるといった作業をすることはない。

どちらか一方が俺に話していようが待つ事なんてせず、お構いなしに#2人がかりで力いっぱい言葉の臼で打ちつけてくる。__・__#


高橋と小室はタイプは違えど、似たもの同士だと思う。


責任者の八木は誰とも話さず、腕を組んで時が来るのを静かに待っている。

昼礼時間が始まる10秒前になると、G-SHOCKの腕時計で時刻を確認したあと、すぐ壁掛けの時計にも目をやる。


時間ピッタリに昼礼の号令をかけて、午後の生産量や進捗状況、質問等を受け付ける。


昼礼が終了後、小室以外の社員はフォークリフトに乗ったり、場合によってパソコンで入力作業をする。




俺は悪くないという思いがあったからこそ早引きせずここにいるが、今から出入り口のドアを開ける理由に関していうと単に休憩時間が、もうじき終わり昼礼に遅れたら気まずいと思っただけだ。


今の自分には問題を解決する為に向き合う度胸など、ほぼないに等しい。


寧ろ、昼礼ギリギリで5階の現場に行けばすぐ昼礼が始まる為、(昼礼中は私語は出来ない)

高橋から狂った小姑のようにネチネチ言われるのを回避出来ると思うと少し安堵したくらいだ。


すぐさま、俺は思った。


こんな思いが頭をよぎるくらいなのだから、やはりこの感情は勇気ではないと結論をだした。



弱々しい考えをしてしまう自分に対して嫌悪する感情が生まれ、息が苦しくなってくる。


ずっと、このままここに居ては情けなさからくる自己嫌悪で押しつぶされてしまう。

ただでさえ高橋によって引き起こされた一連のトラブルを抱えているのに、新たに"自分を嫌う"という悩みのタネが芽を出して、一瞬にして大木にでもなりそうな気がした。


 


今はこの状況からすぐさま逃げ出したかった。

ドアを開けた先に高橋という野獣がこちらを睨みつけていたとしても、後ろから迫っている燃え盛るような"自己嫌悪"という炎から逃げ出す為に、仕方なくドアを開けた。

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