第3話
電車に乗る時刻は遅れても通勤ラッシュは相変わらず。
座席に座ることは当然できないし初めから座ろうなんて思ってもいない。
俺は、ややドア付近に立ち15分以上遅れた電車から見慣れた景色を眺めた。
そびえ立つ古びたマンションが目に入る。
いつもなら、5階のベランダでランニングシャツを着たお爺さんがタバコを吸っているのだがこの時間だと既に吸い終わっているようで姿がみえない。
真冬でもランニングシャツでタバコを吸っていたな。
年寄りは寒いのが苦手というけれど、あの人は例外なのだろう。
俺はあのお爺さんを朝の通勤電車で見かけているから知ってはいるけれど向こうは俺の事を知る由もない。
俺という存在にほぼ毎朝、見られていることさえ知らないはずだ。
そんなどうでもいい事を考えていたら電車は既に発車していた。
間もなく隣の駅に到着すると乗客がぞろぞろ乗車してくる。
この車両から下車する者は1人もいない。
40代くらいのボサボサした汚い茶髪のおばさんが隣にやってきた。
リュックのファスナーに付けているキャラクターもののキーホルダーがやけに安っぽくてだらしなくみえる。
電車が発進し徐々にスピードを上げていくと、おばさんは大口を開けてクシャミを何度もした。
クシャミをした直後、タバコと獣の腐乱した死骸のような臭いが入り混じり車内は悪臭で満ちた。
発生元のすぐ隣にいる俺の鼻は悪臭が突き刺さって脳みそ中が、おばさんだらけになった。
このままここにいたら俺は倒れてしまう。そうなれば駅員に救護されるだろう。
当然、電車は遅れて多くの乗客はこの退屈で不快極まりない空間に閉じ込められたままになる。
俺は運び込まれ病院のベッドで手厚い治療を受ける事だろう。
そんな事が起きてしまうくらい強烈だった。
俺はやや身体を丸くしながら人混みをかきわけて安全であろう場所へと移動した。
ここまで彼女の放つ悪臭は届いてはこない。
徐々に鼻腔が正常に戻り、おばさんだらけになった脳みそも1度はノックアウトされたものの何とか立ち上がりファイティングポーズをとっている。
セコンドから白いタオルは投げられてはいない。
落ち着きをとりもどしてからゆっくり彼女を見た。
防犯カメラから彼女を監視するような心境だった。
彼女は手で口元を覆うこともせずまたクシャミを繰り返していた。
大きなクシャミをしたあと「ごわっ~」とガサガサした声を発している。
臭いだけではなく存在さえも肉を食い散す獣のようだ。
その膨れあがった腹を見れば、相当なハンターだと分かる。
その直後、2人の女子高生がおばさんを睨みつけたあと、俺と同じく悪臭に耐えられなかったようで移動していた。
俺の視線に気づいたおばさんが首を傾けた瞬間、俺はすぐ目を逸らし正面のエステの広告を見た。
おばさんと絶対に目を合わせたくなかった。
自分の反射神経がまるでプロボクサー並みだなと思ったら妙におかしくなり笑いが込み上げてきた。
混んだ車内で笑うのは気まずいので先程のエステの広告を見ることにした。
ピンク色で大きく「はじめなきゃ!夏はすぐ」と書かれていて水着を着た女性2人が笑顔で走っている。
彼女達は2人組アイドルユニットで不仲説がある。
右隣に目をやると進学塾の広告だった。志望高に合格した受験生のメッセージが記されていて部活動と勉強の両立で苦労したが、どちらもおざなりにせず頑張って良かったと書いてあった。
一昨年から全く変わらずこの学生の話が使い回しされたままだ。
何の面白みのない広告のおかげで、悪臭おばさんは脳裏から消えつつある。
スマホで時刻を見た。
降りる駅までまだ20分ほど時間があった。
車窓から景色を見ても汚い雑居ビル、胡散臭いサラ金のビル、壊れかけたパチンコ屋の看板などがゴチャゴチャ建ち並んでいる。
そこに優美さなどあるはずもなく、スクラップされた巨大な鉄クズを街全体にばら撒いたかのようだ。
この街の空気に色があるなら何色だろう?と考えていたら特急の電車が意表をついたように飛び込んできて、つまらない景色を遮断した。
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