本編 前編

 

「そういえば、狐憑きの娘は、俺たちと同じくらいの歳じゃないのか?」


 湊介そうすけに言われて、和真かずまも母の言葉を思い出した。


「たしかに、そんな話を聞いたような気がするよ。神社の娘と歳が近いから、婿に選ばれるかも知れないって。本当なのかな」


「それは分からないけど、本当だとしたら、冗談じゃないよな。ただ歳が近いからってだけで選ばれるなんてさ。狐憑きだぞ?」


 湊介はため息をついた。


「でも、会ってみたら、美人で良い子かも知れないぞ」


「たとえ美人でも、取り殺されるかも知れないじゃないか。和真は選ばれてもいいのか?」


「俺は美人なら、その正体が何だったとしても、別にいいけどな」


 和真は子供の頃から、変わっている、と言われることが多かった。友人たちと肝試しに行って、皆が叫び声をあげて逃げても、和真は本当に幽霊かどうかを確かめようとする。地元の不良に声をかけられても、まるで友人と話すように、笑顔を向ける。『恐れ』を知らないのだ。


「知らないぞ。そんなことを言ってると、本当に選ばれるからな」


 湊介は顔をしかめて和真を見る。


「大丈夫だって。この町に、同じ年頃の男が何人いると思ってるんだ。選ばれるわけがないだろ」


「まぁ、そうだよな」


 2人はそんな話をした後に、それぞれの家路についた。




 和真が自宅へ着くと、家の前に、藤色の着物を着た女が立っていた。もう夕暮れ時だというのに、白い日傘をさして。


 見知らぬ女が家の前にいることを不審に思っていると、女はゆっくりと和真の方を向いた。


「これを……」


 女は赤い鈴を、和真へ差し出す。


「えっ……何ですか……?」


 和真が受け取らずに一歩下がると、女は和真の目の前まで歩み寄った。


「これを……」


 女がもう一度つぶやいて、赤い鈴を差し出すので、和真は仕方なく、鈴を受け取った。受け取らないと、このやり取りは終わらないと思ったのだ。


 赤い鈴は、親指の先ほどの大きさで、模様はない。何の変哲もない鈴を渡された意味が分からない和真が、鈴を回しながら見ていると、女は言った。


「夜に……お迎えにあがります……」


 驚いた和真が顔を上げると、女の姿はもう、なかった。


「何だったんだ、一体……」


 消えた女に薄気味悪さを感じながら、和真は赤い鈴をながめる。知らない女に渡された鈴など持っておきたくはないが、何となく、捨ててはいけないような気がした。


「今度あの人を見かけたら、返せばいいか」


 和真は赤い鈴を、玄関の靴箱の上に置いた。




 その夜。チリリ…… という小さな音で、和真は目を覚ました。


 ベッドから起き上がっても、音はまだ続いている。


「鈴の音、だよな……」


 和真は玄関へ向かった。すると、靴箱の上にある赤い鈴が、小刻みに震えている。


 やっぱり、受け取らなければよかった。そう考えていると、コンコン、と玄関のドアをノックする音が聞こえた。


もう深夜のはず。こんな時間に、誰が訪ねてくるというのだろうか。和真は息を殺して、玄関を見つめた。すると——。


「お迎えに、あがりました……」


 覚えのある声が聞こえた。夕方に会った、藤色の着物を着た女の声だ。


 和真は女が言った言葉を思い出した。『夜に、お迎えにあがります』たしかに女はそう言っていたが、まさか本当にくるとは思っていなかった。


 和真が玄関を見つめたまま戸惑っていると、物音に気付いたのか、母と祖母が起きてきた。


「その鈴……。もしかして、お迎えが来たのかい?」


 祖母は赤い鈴を見ながら言う。


「夕方に、知らない女の人に渡されたんだけど……」


 靴箱の上にある鈴を手に取り見せると、母は何も言わずに目をらし、玄関の扉を開けた。


 そこには、藤色の着物を着た女と、黒の紋付袴もんつきはかま姿の男。そして、人力車を引く大柄な男の姿がある。


「お前が婿さまに選ばれたんだよ。さぁ、お行き」


 祖母は和真の背中を、そっと押した。


「本当に、俺が行くの? 誰かが行くことになるとは聞いたけど、でも、何の用意も……」


 和真が言い終わる前に、母と祖母は、廊下に正座をして、頭を下げる。母と祖母はもう、受け入れているのだろう。


美桜みおさまが、お待ちです……」


 藤色の着物を着た女も、頭を下げる。これはもう断れないのだろう、と和真は思った。


「分かったよ。行くよ……」


 和真は玄関に下り、靴をいて振り返ったが、母と祖母が顔を上げることはなかった。




 人力車に乗せられた後、和真はいつの間にか、眠ってしまっていた。深夜だったことと、人力車の揺れが気持ち良かったからなのかも知れない。


 トントン、と肩を叩かれて目を覚ますと、真夜中にも関わらず、煌々こうこうと灯りがともる神社があった。


「こちらへ、どうぞ……」


 藤色の着物を着た女は神社の中へ入って行く。


「あ。ちょっと、待って」


 和真は慌てて人力車から降り、女の後を追った。

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