理解のある彼くん
本作をここまでお読みいただいた方の中には、「なんだよ理解のある彼くんがいるじゃんかよ」と思われた方がいるかもしれない。私も他人のエッセイを読んでいて唐突に恋人や配偶者が出てくるとなんだよと思ってしまうタイプの人間なので、お気持ち察するに余りある。
が、たしかにそうかもなんだけど実はそうじゃなくて…みたいな反論したい気持ちもあるにはあるので、そのあたりを主張させていただきたい。なおこの言葉についての説明は省かせていただくので、ご存知ない方は各自ググってくださいませ。
私自身、生きるのがヘタクソな人間(と自分では思っている)で、詳しくは本稿や『「女の私」が嫌いでした』でも書いてきた通りである。それに対してなんだかよくないかもな、という問題意識をもって自分を変えようといろいろしてみた結果ちょっとだけ自分を好きになれて、そのタイミングでたまたまセフレが彼氏に昇格しましたというそれだけ。なので突然彼くんが生えてきたと思われるのはちょっと心外で、私なりになんとかしようとした結果ですよ、ということはまず申し上げておきたい。
とはいえ、彼がいわゆる理解のある彼くんに該当しそうだなと思う点はかなり多い。私自身は何とか外面を取り繕って真人間を演じているが、実際のところはポンコツで間が抜けていて毎日ひーこらして生きているしょうもない人間なので、そのポンコツな部分を受け入れてもらっているという自覚はある。逆に、この人なら受け入れてくれそう!という匂いを感じ取って今まで隠していたそういう部分がダダ漏れになっているとも言える。それについては本当に感謝しかない。
一方で、私も彼にとって理解のある彼女ちゃんな可能性は極めて高い。私と同じくらい彼も(もしかすると彼の方が)世間とズレてるとこあるな、と思っていて、お互いにそれを許容しあっているというか、まあそういうとこもあるよね、という受け止め方をしている。自分の社会不適合的な部分を相手が許してくれている分、自分も相手を許すことで成り立っている関係なのかもしれない。自分と同族である、という連帯感みたいなものが我々の根底にあるのかもしれない。そういう言い方をすると傷の舐め合いみたいに聞こえるけれど、この人の前ではまともなふりをしたり自分を偽ったりしないでいいんだな、と自然体でいられるのはとても居心地が良くて、出会えてよかったと心底思う。
まあ知り合ったのTinderだけどね。まだまだ捨てたもんじゃないねTinderも。
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