Level 0.95β* 三人の父親
(※Level ~*=三人称視点です。)
「――本当にいい男だわ。リュカちゃんとあーいう関係じゃなければ無理にでも我がブーマー家にお持ち帰りしたいわね。……当然、力尽くでね?」
「それはまた……怖いのぉ~」
領主の自室の窓からこの領主館を去っていく馬車の上で抱き合う若い男女を見てフッと笑うブーマー辺境伯。
そして、辺境伯の言葉に青い顔で応えた人物が旧ドルツ子爵前当主(※と本人の談)。先程、辺境伯に抱えられ二階の窓から外へ放り出されそうになり、その恐怖からかソファーにしがみついて若干震えている気の毒な御老体である。
そんなやり取りの最中で執務机に肘を突いて俯く人物が盛大な溜め息を吐き出したものだから、その人物以外の室内全員が憐憫の目で見やる。
その視線を集める人物こそがこの部屋の主であり、辺境伯が見送った若夫婦の少女の実父――ここサンドロック領の全てを背負うサンドロック男爵家当主、カトゥラス・ハスタ・サンドロックである。
「………っ! ――ふぁ…ぁああああぁああぁぁぁ~~~…」
その声を聞いてしまった者の腹の底から力が抜けてしまいそうになる嘆き、呻きを吐きながらサンドロック領主が、領主然とした隙の無い姿から机の上にどうと崩れ落ちた。
「もう、止めなさいよっ! 自分の娘達が居なくなったそばからぁ~」
「そう言うな。幸せ盛りの我が子にあのような事を言い渡しておいて…どうして平気でおられる親がいようものか」
「「御館様…」」
「……カトゥラス」
悲痛な顔をしたカトゥラスの妻、ゾラが優しく愛する夫の肩を抱いてやった。
室内の従者達も自身が仕える領主の身を案じる。従士長シンベルなどに至っては『おいたわしや、御館様…』とハンカチを取り出して涙を拭う始末。
数分後、何とか顔を上げることができたカトゥラスがゾラの手を握り返して、机から杖を突いて立ち上がると先程まで辺境伯が寄り掛かっていた窓に移動する。暫し眩しいものを見るかのような目つきで愛する娘が乗った馬車が去って行ってしまった川沿いに均された土くれの舗装道を見つめていたが…。
ガンッと杖を持たぬ方の手で窓の桟を強く叩いた。
「クソッ! 情けないにもほどがある…。折角、娘が人並の幸せを手に入れることができたというのに。俺は…その邪魔をすることしかできん。……すまん、ケセラ。これでは、あの世で合わせる顔がないではないか」
そう言ってカトゥラスは項垂れる。
クラウスの子を胎に宿し、妻となった少女…リュカナータ・サンドロックはサンドロック男爵家の三女である。三女といってもリュカの上にさらに二人の姉がいるわけではない。王国では男女で分けず、生まれた順序で呼称されている。つまり、カトゥラスの三番目の子供で女児であったので三女なのである。
そして、リュカの上には歳の離れた腹違い――正室であるゾラとカトゥラスの間に儲けられた二人の兄がいる。
一回り上の長男カルベラ・サンドロック。現在はヘリオス大公家の側仕えとしてサンドロック家有史以来で最も大役を成した若き傑物として名を知らしめている。彼がサンドロックに戻り、現当主カトゥラスから当主を継げばこの王国辺境の地も安泰であると家臣領民揃って誇らしげに口にするだろう。
だが、次男であるヤードラウト・サンドロック。彼はリュカの八つ上でリュカとは最も親しくしていた兄弟であったが……。
「男爵。お主の気持ちは、儂も解っておるつもりだぞい。
「ヴァリアーズ公の末娘を庇っての名誉の戦死――なあ~んて偉そうに、その戦に兵を出し惜しんだ連中が未だに王都で語り草に持ち出してんのよ? 公爵どころかその親のカトゥラスの気も知らないで…っ」
「よさんか、辺境伯…。男爵と同じく身内を失っとるお主の憤りも解るがの……その顛末に一番気を負ったその公爵の末娘とやら、遺骸の前で自決する事も許されず…ブーマーにまでヤードラウト殿を送り届けた後、そのまま公爵家を出奔して未だ行方知らずなのであろう?」
リュカの兄の一人であるヤードラウトは五年ほど前の旧女帝国の残党からの強襲を受けた際に戦死していた。兄の訃報を聞いたリュカもまた暫く塞ぎ込んでしまうほどショックを受けたが――その後にクラウス達との触れ合いで、徐々に彼女は笑顔を取り戻せたのである。
そんな理由もあり、公爵家は幾度となくサンドロックから負債返済を断っており、逆にヴァリアーズから莫大な見舞金が支払われていた。
カトゥラスは息子を亡くした哀しみと怒りから当初、その見舞金を受け取らんとした。だが、公爵自らがサンドロック領まで赴き詫びとして腹を切ろうとしたので仕方なく受け取ったという過去の経緯もある。
既に三人の我が子の内の一人を亡くしていたカトゥラスとゾラにとって、同じく今は亡きリュカを産んだケセラが遺した娘の幸せを願う気持ちはより強いものであった。特に、リュカはその
また。リュカの夫となるクラウスこそがそんな薄幸な我が娘に人並の女としての幸せを与えてくれた人物に違いなく、その彼にプルトドレイクから返済を請われるという諸問題の尻拭いをさせ、愛する二人を遠い地へと引き裂くことになってしまったのだ。父親であり、領主たる自身の不甲斐なさ故に、だ。
娘達の前では気丈に振る舞ってはいたが、ここ最近のカトゥラスの気は滅入るばかりであった。
「……ドレイク侯爵め…っ」
「フン! とんだ嫌がらせよね。かの聖騎士カトゥーの身内に金銭をせびるなんてね…とんだ王国の、いえ、世界の恥晒しだわ! そんなのアタシや王国北部の貴族に宣戦布告してるのと同じことよ?」
「まあ、ドレイク侯爵は王国の真の臣ではない。あくまでも“プルト王朝”の復興を悲願している哀れな一族なんじゃよ。端から味方もいなければ、
そもそも、クラウスを王国の王都ハーンに冒険者として向かわせなければならない理由を作ったのは十中八九、プルトドレイク領のドレイク侯爵家だ。カトゥラス達が怒りの矛先を向けるのも当然である。
「しかし、あのグラディウスの息子とはいえ、五百万ギルダという大金を担保にたったクラウス一人を寄越せとはどういう事なのだ? 冒険者として――というのならどの部門かは判らぬが、冒険者ギルドに所縁のあるものだろう…その目的が解せんが?」
「まあね…。ま、アタシが信頼を寄せる相手で、アンタんとこのクラウスを任せても大丈夫と思える相手よ。心配要らないわ…」
そう言って、睨むカトゥラスにやや気色悪いウインクで返す丸刈り口髭オヤジ。もとい、ブーマー辺境伯。
「フフ…。王都に行ってどこまで大きくなって帰ってくるのか…実に楽しみねぇ? もう、ちょっとカトゥラスにゾラも。いつまでそんな辛気臭い顔してんのよ! ……あのね。リュカちゃんもあの坊やも、アンタ達が思ってるよりもヤワじゃないわよぉ~? 子が親を超えるのなんてあっという間なんだから」
「実力主義を貫く辺境伯でも、そんな事を考えられるのか?」
「…………」
カトゥラスの問いにフッと目元を綻ばせた辺境伯が窓に近付き外のグリフォンを見やる。
「死んだ妻が遺してくれた娘には……もし、叶うのならばだけど。アンタんとこのリュカちゃんみたいに、
辺境伯はカトゥラスの顔を見て口元を歪める。
優れた百戦錬磨の武人でありながら、常にその仕草はクネクネとしなり何故かオネエな辺境伯に血の繋がった娘がいるのも不思議な話である。だが、そのフレッド・ハスタ・ブーマーの複雑な表情からして、そんな父親の淡い願いがそうそう叶わない、いや叶えるのが難しいのが彼の愛娘であるようだった。
そんな折にドアの外側からノックする音が聞こえてきた。入室の許可を求める声を聞いてカトゥラスが「入れ」と許可を出す。
「「失礼します」」
声を揃えて入ってきたのはブーマー辺境伯領従者の若い男女であった。ブーマー家、皆兄弟の精神である彼らは歴としたブーマー家の一員である。
「あら? アイナにニジェロ。どうしたのよ?」
「いえ、今日中に旧ドルツ領主館まで向われるならば、そろそろ出発されては如何かと思いまして…」
キョトンとすっとぼける辺境伯に子爵をチラ見しながら恭しく答えたアイナの言葉を聞き、「そうだったわね」と思い出したかのように手をポンと叩く辺境伯。
そして「ひっ」と悲鳴を上げてしまうソファーに再度しがみつく旧ドルツ前子爵。
「あ~そう言えば、失礼ですが…俺、いえ私から男爵様達にお聞きしたいことが――」
トラのハーフ獣人であるニジェロが恐る恐る挙手をして口を開いたタイミングで遮られる。
何故ならば彼はゾラのふくよかな胸にガッシリとホールドされてしまっていたからである。
「…ちょっとぉ~? ゾラぁ?」
「良いではないですか。可愛い
「ちょっ!止めてくれよ!? ゾラ叔母さ……ゴホンッ。…男爵夫人、私ももう二十を超えましたので。それに…私は獣人のクォーターですから、成人前くらいでやっと毛が生え揃って…いや、そんなことは実にどうでもいいんですがね」
「ほほう!なんとそこの若いのは御夫人の親戚筋のもんじゃったか」
「ええ。実はそうなんです。私はノービスとして生を受けましたが、私の父…ブーマー家のロアがハーフ獣人でしたからね。その兄ボルゾイは純粋なトラ獣人で、彼はその孫なんですよ」
ゾラ・サンドロックはブーマー家従士筆頭であった故ロア・ブーマーにサンドロック家から嫁いだ女性との間に生まれた。故にブーマーが生家である。
そして何かと調子のいいトラ男、ニジェロはゾラの叔父であるボルゾイの孫であった。世界は狭い。殊の外サンドロックと親密な二領とはより狭かった。
ニジェロにしてみれば、身分を除けば幼き頃に可愛がって貰った記憶のある血縁者でもあるゾラが相手でもそう揉みくちゃにされるのだけは流石に気が引けた。特にゾラの容姿は未だ若々しく、その分だけ男爵の手前ではとても気不味い。また、彼の相棒であるアイナからグリフォンですら竦んでしまいそうになる極寒の視線を受けていたのもいただけなかった点であろう。
そんなやり取りで時間を浪費してしまった結果、ニジェロは問いたい事を口にする暇なく泣き喚く子爵を再度グリフォンに吊るして旧ドルツ領へと飛び立つことになっってしまった。
――そして、あっという間に三日が経ち。クラウスが再びサンドロックを去る日が訪れたのである…。
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