Level 0.94 男爵と子爵と辺境伯と その4
「叔父様!? それってどういうことっ!?」
突如として辺境伯から言い放たれた『アンタ、冒険者やってくれない?』発言に混乱の極みである俺を押し退ける勢いでリュカが発言主に喰って掛かっていた。
「…はあ。ほれ見たことでしょう。ただ、娘やクラウスを混乱させただけではないですか」
「世の中は何でも“
「ちょっと叔父様っ!? それは言っちゃダメっだってば!」
まーた二人だけで楽しそうにわちゃわちゃし出したよ…。
「んんっ!」
カトゥラス様が皆の視線を集め、場を鎮まらせた。
「先に頼みたい用件は…辺境伯に言われてしまったが、先ずは訳を話す。二人とも取り敢えず椅子に座れ」
室内にある二組のソファーの一つにゾラ夫人と旧ドルツ子爵が腰を掛ける。だが、辺境伯はちょっと拗ねた様子でカトゥラス様の机の横に立ったままだな。
流石にこの場でヒラの領民である俺が辺境伯を差し置いてソファーなぞに腰を掛けても良いのものかとも思えたが、当の部屋の主に勧められては是非も無いか…。
というか、鼻息を荒くしたリュカに手を引かれて半強制的にソファーに着席を果たした。因みに、転生して以来、初めて座ったソファーは俺が内心ショックを受けてしまうほどに固かった。ケツの肉が痛いです…。
「先ずは順を追って話したいところだが。クラウス、お前は我がサンドロックが長年王国と友領から支援を受け続けた上に積み重なった
そら~…ね? サンドロック領民一同が聖騎士カトゥーに引き続く男爵の一族に対して深く感謝しているからな。領民の為にずっと借金をしてくれてるようなもんなんだから。
「知っていますが…多額と言われても、俺にはどの程度の額か想像もつかないです」
「…ふむ。まあ良いだろう。どうせ、お前は仮にもリュカの夫となる男(※二人はまだリュカの年齢が理由で正式に神前で挙式してない)…つまりサンドロックの名を持つのだからな。今回の件が無くとも、いずれ知っておかねばなるまい。確認だが、お前は通貨――ギルダは存じているな?」
「はあ。先ず村で使うことは無いですけど、幾度か冒険者などが置いていったものがあったので知ってます」
ギルダとはいわゆるこの大陸内で広く流通している通貨とその単位だ。
このギルダとやら意外と歴史が浅く、各ギルド間の流通における諸問題を解決するべく鋳造されたもので、使われ出してからまだ半世紀程度らしい。
あ~…何でも日本円に換算するのはナンセンスだろうが、親父や他領に行き来する従者達からの話を聞いて鑑みるに、1ギルダ=約二十円ほどの価値と思われる。駄菓子を買うのに丁度良い感じだな。
「そうか、ではズバリ言うが……現在、サンドロックが抱える負債はおおよそ
「じゅーおく」
あ。いかん! 額を聞いてちょっとアホになってしまった…。
だが待て待て……十億ギルダだとっ!? 実質二百億円じゃねーか!!
…二十億光年とかじゃあないよね? へ、下手すりゃ巨大ビル、ドデカイ屋敷、いやお城とか建てられちゃうんじゃ…。
「小さな城程度ならば容易に建てられるほどの額だな」
心を読まれたっ!?
てか、この人ってばその負債を半分まで減らしてこの額だろ?
すげえっ!じゃあ既にその同額の二百億返済してることになるんじゃあないの!?
「……どうやらシンベル辺りが聞かせた自慢話を鵜呑みにして、そのように目を輝かせて俺を見てるようだが、な? とんだ誤解だぞ。俺は単に自領の海を売ったに過ぎん。まあ、それでもあんな崖だけの海に随分な価値があっただけだ」
「はあー…」
「買い取ったのは儂ら旧ドルツじゃ。まあ、リオンライラと合同で、だがの。儂らのとこは船を持ってないのだ。豊漁ならば魚の値を下げて貰えるしの」
海? 行った事はないけど確かにずっと西に行けば自ずと海には出るだろうさ。
ただし、サンドロックに海は
正確にはドライアドの森から旧ドルツへ続く沿岸部は切り立った断崖で、とてもじゃないが漁をしたりできる場所じゃないんだと。そうじゃなかったら、俺達の食卓には魚の一尾でもありそうなものだしなあ。いいなあ海の幸…。旧ドルツの方は同じ海を囲う感じだが、浜があってちゃんと漁もできるらしい。…どんだけ不遇な土地なんだろうねぇ、我が故郷はよう。
「話を戻すが、その十億ギルダの負債の内訳は半分がブーマー・旧ドルツ、そしてヴァリアーズから施され、借り受けたもの。残りは王国だ。いつぞやかには必ず恩に報いてこれらを返さねばならんのだが、開祖たるカトゥー様の御威光に助けられ急ぎ返済せねばならんわけではない――いや、はずだった」
そこでカトゥラス様が眉間に皺を寄せる。
「だが、先日。とある貴族家が、急ぎ負債の一部である五百万ギルダの返済を求めてきた」
「えっ」
金返せってか? しかも五百万か…。無理だな!
ふと俺はこの場に居合わせている辺境伯と子爵の顔を交互に見てしまう。
「あ。ちょいとアンタ? その恥知らずがアタシかハーマンのことだと疑ってんでしょ~。違うからねっ。そもそも、カトゥラスに
「頭でっかちとはカトゥラス殿に対して酷い言い草だが、儂も同感だの。我ら三領は昔から互いに助け合いながらどうにかここまでやってきておる仲なのだ…」
そうだね。何だか君達そんな感じだね。
「では、その返済を請う貴族家というのは?」
「それは――」
「そんなの、あのクソッタレなプルトドレイクの連中に決まってんでしょっ!!」
ヒステリックを起こした素振りのオネエ辺境伯がバンとカトゥラス様の机を叩いたのでカトゥラス様の位置が若干ズレてしまった。
そこからは割り込んだ辺境伯のプルトドレイクへの罵詈雑言だった。
ふーむ。カトゥラス様と子爵の補足も入れて聞かされた話を解釈するとだ。
プルトドレイクは大戦前の人族の国“プルト王朝”が存在していた地で、サンドロックだけではなく、ブーマーや旧ドルツを含める王国南部を実質牛耳っているのがドレイク侯爵家だと言うのだ。
しかも、その侯爵家とやらが王朝の将軍の地位にあった一族の子孫であるらしく非常に傲慢で傘下に甘んじてる癖に王国との関係は冷ややかである、と。
現在もそれなりの勢力を保てているらしいが、隣合う貿易が盛んなリオンライラに経済面で大きく押され、近年は唯一の自領生産品であるダンジョンや領内鉱山などの資源が枯渇してるとの噂が立っており、目に見えて落ち目なんだとか。そしてダメ押しとばかりに武辺一党のブーマー家とヴァリアーズ公爵家から揃って嫌われている始末で領外に敵が多い。まあ、どうせ自分で蒔いた種なんだろうさ。
で、なんでそんな性質の悪いところから…と思ったが、実は我が領は一度とてプルトドレイクからの支援なぞ受けたことは無い。だが、幾つもの貴族家が挙って王国の負債の一部を請け負っている。何故そんな事を?と思ったがズバリそれは名誉欲からとのことらしい。つまり、王国史に名を遺す聖騎士カトゥーの名声にあやかりたいと思った貴族がかなり多いんだとか。後、単純にカトゥーを信奉している貴族家も存在しているとのこと。
だが、自ら国王に嘆願してまで背負い込んだサンドロックへの
無論、一見か弱そうな老人である子爵ですら憤慨した表情だった。
しっかし、ドレイク侯爵家か……厄介なヤツっぽいな。
「その取り立てが単なる嫌がらせか、それともそれ程までにプルトドレイクが困窮しているのかは知らん。だが、この要求を突っぱねれば今後どのような要求をしてくるか…現に旧ドルツにはプルトドレイクから圧が掛けられているのでしょう?」
「ううむ…そうだの。ここ数年前からやたらとフェリアス家とモーブル家辺りが出入りしておってな、領民と揉め事も起こしている始末で困っておる」
「貴族なんですか?」
「いいえ。こぼれた甘い汁を吸いにドレイクの足元に群がるハエ共よ。元は悪徳商人か北の貴族家からあぶれ出た追放者共が興した新家。そんな連中がコカトリスの尾の蛇みたいに侯爵の威を借りて偉そうに踏ん反り返ってんの」
…ははぁん。なるほどなあ~。何ともドレイク伯爵家とその取り巻きが解り易い悪役に思えてきたぜ。
「それなら隠居なんてしてる場合じゃないでしょ、ハーマン。アンタの息子ってば何とも頼り無さげだしさあ? アレじゃあそんな小者連中に舐められてばっかでしょ」
「息子のハッサンの気の弱いとこは儂に似たんだのう。儂とて単に三十年も昔に任期でリオンライラに滞在しておったベレス家からの入り婿なのだし。……否っ!そもそもがシンベル殿っ!いや――
突如として子爵が壁際のシンベルに向って叫ぶ。いや、もしかして泣いてる?
「何をおっしゃる、子爵様。スーズーイーの血を引く
あーそっか。シンベルの爺さんって実は子爵家の出だったか。そりゃあ領主を押し付けられて恨む気持ちも解る気がするな。
というか、世の中狭いなあ。三領の仲が良過ぎる証拠か?
「その…それで俺が冒険者になる理由にその請求に関係があると?」
俺の当然の疑問を受けたカトゥラス様が辺境伯に視線を送る。
「そのとーりよ。アタシの立場上、ギルドと――特に冒険者ギルドに伝手が色々とあってね? 王都のギルマスがね…クラウス。アンタを五百万ギルダで買ってくれるそうよ」
い、いや値段の問題ではなくてですね? 人権とか…あ。この世界あんまり人権の概念なかったかも(絶望)
「クラウスを売っちゃダメだよう!?」
辺境伯の言葉に目を剥いたリュカが俺を抱きかかえる。
「オッホホホ! 心配しないで別にクラウスを本当に王都に売り払うわけじゃないわよ? だって安すぎるものぉ~。というか思ったよりもクラウスは噂の的なのよん。あの“鉄剣”グラディウスの息子って触れ込みはそれだけで大きい。しかも聞いたわよぉ~? どんなトンデモ加護だか知らないけど魔石無しで魔法を使えるんですってね。基礎なら下位の魔法属性の殆ど…更に上位の氷属性まで使えるなんて常軌を逸した人材だもの。期待値なら正直父親以上だわ」
そう言ってニヤリとカトゥラス様の机の上にあるゴブレットを手に取って軽く揺らして見せる。カランと小気味良い音が聞こえる……その正体は氷だ。俺が魔法で定期的に作り出した氷が領主館の地下に貯蔵されているからな。
「俺がその五百万ギルダと引き換えに王都の冒険者になれと…?」
「そうよ。因みに、期間は最短で十年。斡旋後のノルマの詳細は、向こうで正式にギルドに登録してから説明されると思うけど――ハッキリ言うわね? 王都に向えば少なくとも
「半年…」
リュカが俺の手をギュっと握ったまま俯く。
「先ず、此度のことは不甲斐ない領主として詫びるばかりだ。だが、これ以上侯爵家と
スッっとカトゥラス様が俺に向って頭を下げた――いや、隣のリュカにだろうか。
リュカはずっと俯いたままだが…目端はジワジワと濡れて、必死に溢れそうになるのを耐えていた…。
俺はリュカの手を握り返しつつ、すっかり尻の跡がついてしまったソファーから繋いだ手を引いてリュカと一緒に立ち上がった。
「……一晩だけ。今日一晩だけ、考えさせて頂けませんか」
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