Level 0.93 男爵と子爵と辺境伯と その3
不意に訪れてしまった静寂に呑まれ、異様な空間と化した一室。
ドアから姿を見せた人物の登場によってこのサンドロック男爵領当主のカトゥラスの執務室を兼ねた自室は一種のトワイライトゾーンにすら思えてしまう。
いや、どうすんだよコレ…?
現にドアの傍に控えていたダナですらフルアーマー鎧武者を見て硬直してやがる。
が、そのフリーズしてしまった時間を動かした者が俺の隣に居た。
「あ…ブーマー
精神と肉体が分離し掛かって身動きできない俺より先にリュカが動いただとうっ!?
というか飛び掛かってそのまま甲冑着込んだヤツ相手にまさかの鯖折り!?
いや、普通にハグしてんだけど?
って…オジサマ? ●リオストロかな? サンドロックに城ないけど。
「…………え? …嘘。まさかリュカちゃん? あらァ~すっかり美人さんになっちゃってもぉ~!? ゾラから聞いたわよっ!今もう妊娠六ヶ月なんですって? もぉん!アタシもビックリしちゃったわよぉ~!!」
そして抱きつかれた鬼面武者もまた野太い歓声と共にリュカを抱き返してグネグネと気持ち悪く身を捩る。
アレ? もしかしてコレは夢か? 俺、寝てる?
「も~叔父様ってば~。鎧が当たって痛いです」
「あらアタシったら! 久し振りに逢えた姪っ子に興奮し過ぎちゃったみたいだわあ。もうやあねぇ~」
鬼面武者はリュカをやっとむくつけき抱擁から解放するとズポンと面付き兜を外す。そこには俺の前世では半ば伝説となった某ロックバンドのボーカリストに酷似した黒い丸狩り頭と特徴的な口髭を持つ壮年の顔があった。
あ。顔見たら思い出した。俺が顔を見るのは二度目だ。一度見たら忘れられなくなるほど濃い人だったからな。確か、初めて顔を見たのは親父を自領にスカウトしに来た時だったかな…。
この男こそが、ブーマー辺境伯領当主のフレッド・ハスタ・ブーマーだ。
オークブラッド王国の剣にして、“信愛は血よりも濃く、血縁知らず”を信条としてあらゆる種族が結束し、エルフが友と誇り、十傑の“鬼面のブーマー”の意志を引き継ぐ血よりも濃い絆で結ばれた義兄弟姉妹、武辺集団ブーマー家の長だ。
そして、二百年来のサンドロックの旧友であり戦友。
残念と言うのは憚れるが、何故か当代のブーマー辺境伯はオネエだ。流石にコレだけは踏襲されてはいないだろう。多分。いや、外に居たニジェロはキザっぽかったがオネエじゃなかったしな…。
「アラアラ…で、このお腹の子の父親があの“鉄剣”の息子とはねえ? 因果なモンねぇ…なら、無理に
辺境伯はリュカにそう言って微笑み掛けた後にチラリと机に向かう者を見やった。その流し目を送られたカトゥラス様がわざとらしく咳払いをした後、立ち上がろうとする。
…? 何か意味有り気な事を言ったのか? それとも単にあの気色悪い視線に我らが領主様が耐えられなかったのかもしれんが。
「ちょっと…無理に立ち上がらなくてもいいわよ? サンドロックとブーマー。それと旧ドルツに限っては昔からそれぞれの立場や身分なんて無しでやろうって決まりでしょう? それにブーマーを名乗る者が
「……お心遣い、痛み入る」
そう言ってカトゥラス様は頭を下げて椅子に再度身を預けた。
まあ、無理も無いか――片足じゃあな。と言っても棒義足は嵌っているが移動には杖が要るくらいだし。
カトゥラス様は親父より歳は一回り上くらいの御歳だろう。二十の時にサンドロック家の男の務めとされるブーマーとの共同討伐に赴いた際に大怪我を負って片足を失くされたらしいと聞いている。それから戦働きが出来ない分、必死に財政関連に精を出したとも…。
「「…………」」
「あら。リュカちゃんったら、そんな顔しないでちょうだい…。別にあなたのパパを虐めに来たんじゃないんだからあ」
また辺境伯がグネグネし出したタイミングでドアの方から遠慮がちな声が聞こえて来た。
「あのう…何やら儂は入り辛い雰囲気なのだが。入ってもよいものだろうか?」
「なにやってんのよ。気にせず早く入って来なさいよ? アンタだって立派な身内みたいなもんでしょーが!」
あ。そういや、旧ドルツからも来客があったんだったな。辺境伯が強過ぎてすっかり忘れてたわ。
そうしてドアからオドオドとした様子でまた一人見知らぬ人物が入室する。
見た目からして気が弱そうだな? まあ、この王国の剣相手では誰だって気後れするには納得だけども…。
「ふむ。そちらのリュカナータ嬢と……
…なんと旧ドルツの領主家だったか。
見た目は手足が短い白髪で毛先も髭もカールした……まあ愚直なイメージで表せばトランプの絵柄っぽい見た目の御老体だった。
「お待ちなさいよっ。アンタ、隠居の身って何よ? そんな話聞いてないんだけどぉ~?」
「昨日の夜更け頃、勝手にそなたが儂の話もろくに聞かずに拉致同然で
「何よ人を人攫いみたいにぃ~。…旧ドルツまでなんてアタシの可愛いグリフォンならひとっ飛びよ? 今回の話合いが終わったら夕餉には間に合うように送ってってあげるわ」
「い、嫌じゃぞ!? また儂を荷のようにそなたのグリフォンの腹の下に吊るす気だろう!」
う~む。グリフォンの背に乗って飛ぶ事は叶わないようだが、荷として空の旅行は楽しめるのか?
だが、子爵のかようなガチな怯え振りを見ると……やや慎重に安全性を考慮する必要性を感じてしまうな。
「フレッド…? 余り子爵様を困らせないで欲しいのだけど?」
「何よゾラまで……仕方ないじゃないの。
「いや、辺境伯…毎度言うが事前にグリフォンで来られるなら伝えて欲しいんだが?」
「儂も同じく」
そらそうだ。単純にモンスターの巣窟から野生のグリフォンが飛来する可能性もゼロじゃあないんだしなあ…。
と、子爵の次に入って来たのは女性だった。
身分を無視して親し気に辺境伯を窘めた後、やたらグネる鎧武者をムンと身体で退かしてリュカを包み込むようにそっと抱きしめる美淑女。
「お帰りなさい…リュカ」
「あ…マ――只今、戻りました。御義母様…」
「……あなたの好きな様にお呼びなさい。ですが、あなたはケセラの娘であると共に私の愛する娘なんですからね? 何か悩みがあればいつでも帰ってらっしゃい。なに、あの唐変木に負い目を感じているのならそっと私にだけ会いに来てもいいですし、私がリバーサイドまで参じても良いんですからね…」
「…………」
無言でギュっと抱き返して応え、そのふくよかな胸に顔を埋めるリュカ。
まあ、当然。妻から唐変木扱いされた俺の義父カトゥラス・ハスタ・サンドロックは場の雰囲気には反比例して不機嫌そうだった。
彼女こそカトゥラス様の正妻。サンドロック男爵夫人のゾラ・サンドロックだ。
見た目こそ若くて美しい上にボイン(に見えるドレス? 名前なんて知らんが、俺は嫌いじゃない)の美魔女だが、相当な武辺者で怖い御方と聞く。
因みにケセラとは亡くなったリュカの実母だな…。領主様はご機嫌斜めだが、家族仲は非常に良いのは知ってる。
ふと、ゾラ夫人の姿を見た時――リュカが辺境伯を叔父様呼びした理由が理解できた。
実はカトゥラス様とゾラ夫人は
ゾラ夫人が入室した後、遠慮がちに身を縮めたブロンソンが入ってきてドアを閉め――ない? 何で?と俺が思えば、最後にしれっとした顔で従士長のシンベルが入室を果たしていた。
そのシンベルをやや恨めしそうな目で子爵が見ているが、当のシンベルはどこ吹く風でダナ、ブロンソンに並んで壁際に立った。
「さて、揃ったな…。クラウス、今回お前を呼んだのは――」
「あ。ちょっと待ってちょうだいな。そんな下らない前置きは後にして……要件だけを先ずズバっと聞いちゃいましょうよ?」
キリっと机の上で顔付きを整えたカトゥラス様と俺の間に件の問題辺境伯がインターセプトしてきやがった。
いや、男爵相手に失礼過ぎ…あ。このオッサンの方が三つも爵位上だったわ、おお、格差社会やねえ。
「い、いや! 流石に理由も告げずに――」
「いいからいいから!」
完全に我らが領主の立つ瀬が無い…。周囲を見やったが、どうやらカトゥラス様の味方もまたいないっぽい。処置無しと子爵と夫人が額に手をやっている。
だが、そんな様子に関係なく辺境伯に「いいこと?」と襟をムンズと掴まれた俺はその口髭親父へと強制的に顔を向かされていた。す、すげえ力だ…!
「――クラウス。アンタ、冒険者やってくれない?」
俺は一瞬思考が停止し――。
「は? 何言ってんの!?」
この場で一番権威ある人物に素のタメ口で噴き出してしまっていた。
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