Level 0.4 予定変更



「スゥ……スゥ……」


 一点を支えただけの窓――いや、単なる壁の穴に嵌められた板切れの隙間から漏れる朝日が、薄暗い小屋の中に差し込み…徐々に、徐々にと俺達の顔へと掛かるのがなんとも気怠く煩わしい。


 その理由は――もっと、俺の目の前で寝息を立てているリュカの寝顔を見ていたかったからだ。


 王国民では珍しい茶の強い肌にベルベッドにも似た艶のある黒髪。

 目を開けば、その瞳は金が差す紫色の瞳という美少女。

 どうにもリュカは母親の血を強く引き継いだらしい。

 だが、その母親は産後の肥立ちが悪かったらしく…彼女を遺して早々に逝去してしまったと身内で父親である御館様本人や、馬車の御者をしていたシンベルの爺様から俺は聞かされた。

 いや、よくよく思い出してみれば――数年前の幼い子供時代にリュカと二人で夕陽をボーっと眺めていた時に既に本人の口から聞かされていたかもしれんなあ。


 ……そんな淡い記憶の中の出来事で傑作なのが、俺はリュカのことを出会った当初はだと思っていた事か。


 髪も短いし、ズボンだったし、それにスリム・・・だったからな。

 二年ほど一緒につるんで、大人たちに黙ってガキだけで川で水浴びしようとした時にリュカの態度が何か変な事に気付いて――やっと女の子・・・だったと気付いたほど俺は鈍感だったというオチだ。


 それが今や、俺の目の前にいる美人は誰だ?

 まあ、男と女の関係になった頃からか…明らかにリュカが女に見えるようになってきたのは。

 妊娠の影響もあるかもだが身体つきも丸くなってきたし、髪も伸びて……ふうむ。


 ――また立派になったかもしれん。

 なんせ、ガキの頃は男と勘違いするほどペッタンコ…おっと、迂闊に口にすると怖いからこの辺にしとこうか。


「んっ…ちょっとぉ~?」


 …しまった。

 ついつい手が伸びて悪戯してたらリュカを起こしちまった。


「オハヨゴザイマス」


「…フフっ。おはよぉ~」


 藁と麻布だけのベッドの上で同じ毛皮に包まって寝ていた彼女が微笑む。


 正直、俺はいま――死ぬほど幸せだということを自覚していたっ!

 もう今日のことなんてどうでも良いから、彼女に抱き付いてこのままイチャイチャダラダラと過ごしていたいっ!


 …仮にこの状態が俺の生前の世界の安アパートの部屋であればそれも可能だったかもしれない。


 だが、違う。

 石を積んで泥で接着しただけの石壁に藁板の屋根という趣あるマイホームから出た外は――弱肉強食の異世界なんだ。

 とても厳しい環境に俺は生きている。

 だから、元ヒキニートだった俺でも行動せねばならん!

 …いや、俺はこれからも生きなくてはならない。


 最愛のリュカと、いずれ産まれるであろうお腹の子供の為にも。


   *


 水瓶で顔を洗った俺は軽く昨晩の実家からの御裾分けである麦粥を腹に入れる。

 身支度を整え…といっても革のサンダル穿いて、茶けた麻のチュニックを着ただけの普段着。

 ただ、今日は一応は狩りに出るからな…モンスターとの戦闘の可能性は否応にも有るから、その上に肩当のない革鎧を着込んで矢筒と弓を背負い、腰にナイフ代わりの小さな鈍鉈を挿す。

 最後に俺の対モンスター用の得物でもある棍棒と木の丸楯を持って家を出た。


「まあ、クラウスが強いってのは知ってるけど…怪我しないで帰ってきてね?」


「当たり前だろ。デカイの獲ってくるから楽しみにしてろって」


 出発の挨拶っていうほどでもないが、そんなやり取りを交わした後にリュカが俺の両手がほぼ塞がっていることをいいことに――正面から抱き付いてキスしてきた。


 程なくして名残り惜しそうにリュカが離れ、その甘美なる衝撃に思わず呆けていた俺は意識を覚醒させる。

 すると、周りにはいつの間にか村の女達が居て、ニヤニヤと俺達のバカップル振りを野次馬していやがった。


 頭の熱が徐々に冷めた俺は気恥ずかしくなって足早にその場を去ることにした。


 チラリと後ろを振り向けば、愛するリュカが俺に向って手を振っていた。

 そして、いつの間にやら顔を赤らめるリュカの隣に並び始めた女達が実に嫌らしい顔で俺に向って別の意味で(※早く行けの意味合いで)手を振っていた。


  *


「さて、村には女達しか残ってないから俺が一番の後発かい。親父達はもう森の前辺りかねぇ」


 俺はスタスタと大して広くもない村の中を見回しながら南へと歩く。

 このリバーサイドはサンドロック男爵領を北西からややカーブを描いて東南へと流れる川で東西に分かれていて、領内では最も北西端に位置する。

 サンドロックは他領隣国の境目として南に接する王国と南海人亜連合国との国境線と同等に扱われる“ドライアドの森”と呼ばれる樹海がほぼ真横に長く続いている。

 東は東で、王国とは友好国であるエルフランドとの国境線かつ強いモンスターの巣窟ともなっており、世界三大難所・・に数えられる“ツェ山脈”が鎮座しているサンドロックはまさに魔境であろう。


 基本的に俺達が言う狩り・・とは前者のドライアドの森の獣の狩猟を指す。

 この世界にはモンスター以外にも普通の生き物…と言ってしまうと複雑だが、犬・猫・鶏・豚・牛・山羊・馬などの前世の俺の世界でも馴染み深い動物や家畜がちゃんと存在している。

 ただし、貴重でとんでもねえ高級品らしいけどな。

 なので大抵の金持ち商人か羽振りの良い貴族でもない王国民・・・の俺達は食用になるモンスターの肉を食べている。

 だが安心して欲しい…俺達が懇意にしている森にはちゃんと鹿らしき・・・動物とか・・が居る。

 恐らく、親父達が今回狙う獲物はその辺りだろうぜ。

 森は村を出て、川に沿って南に進めば二時間ほどで着ける場所だ。


「おう、坊主」


 呼び止められて向きを変えた視線の先に、弓を背負った背の低い老人が居た。


「オメー、お嬢を泣かせてねえだろうなあ?」


「はあ? そんなことしたら一番先にジジイに背中から射られちまうだろ」


「フン。違げぇねえな」


 リバーサイドのベテラン狩人のプウ老人だ。

 元は御館様の下で従者兼猟兵をやっていた七十超えても現役バリバリの爺様だ。

 そのせいか、リュカの事を実の孫の様に溺愛しているんだろう。

 そんなんで顔を合せれば俺にこうして突っかかってくるのは困るんだが?

 リバーサイドじゃあ東村の呪い師の婆様の次に年寄りだが…常に狩人としてサンドロックのアチコチで狩りをしてるだけあってか、その細い身体は年齢に見合わぬマッチョなスーパーシルバーマンだ。

 因みに村の戦える男は皆してプウに弓を習うことになってる。

 勿論、俺もその一人だ。

 ま。俺は弓はあんまり得意じゃあないけどな?


「あん? 待てよ。何でプウの爺様がこんなとこに居るんだよ。いつもは親父達よりも先に森に入ってるじゃんか」


「ほー。暫く見ん内に少しは賢くなりやがったな。まあ、相変わらず顔つきはグラスの剣馬鹿そっくりで気に喰わんが」


「ほっとけ」


「悪ぃが、森での狩りは後回しだ。…男共は東に向った。それを伝えに俺は坊主を待ってたわけよ。……小屋に直接俺が行くのもお嬢に悪ぃんでな」


 東…?

 東に向かったってことは――問題トラブルか。


 しかも、南の森から稀に森からあぶれた獣が村の近くにまで迷い込んでくることはあっても…東の山脈からはモンスター・・・・・しかやって来ないからな。

 だが、プウ老人の落ち着きぶりから察するに、そこまでとんでもないモンスターが村に近付いて来てるってわけでもなそうだが?


「モンスターか。何が出たか判る?」 


「俺も詳しい数まではな…だが、ツェの麓にまで降りてきてんのは恐らく――コボルドだ」


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