第2話 昔取った杵柄

 朝起きたら、誰かを抱き枕にしていたが、どこか様子がおかしい。温泉旅館に泊まっていることを思い出した。

 睦月達のうちの誰かなら、もう少し体が引き締まっているし、現在、俺が握りしめているであろう乳房はこんなに大きくて柔らかくはない。彼女たちの体なら、毎日のように風呂で体を洗ってやって触れているし、下着姿も毎日見ている。彼女たちの間での取り決めで寝る場所を交代して毎日別の誰かを抱き枕にしているから、彼女たちのうちの誰かなら忘れるわけもない。それに昨夜の彼女たちはノーブラでタンクトップのシャツをスポーツブラ代わりに着ていたはずだ。抱きしめている相手はブラジャーをしているし、触った感じでは洗濯担当の俺が知らないデザインのブラジャーだ。彼女たちの体格や体形はほぼ同じだから、俺が抱き枕にして抱き着いているのは、明らかに別人だ。でも、誰か知っている人物であろうことは、なんとなく想像がついた。

 後の対処が怖くなってきて、起き上がろうとしたら、後ろから誰かに抱き締められた。

「雅人、行かないで。」

「ギャー!俺は親父じゃねえ。」

「あっ、起きたんだ。志保さんを抱きしめて、母親が恋しくなったのかしら。母さんに抱きしめられて、いい身分ね。」

 睦月が、上から俺の顔を覗き込んでいた。

「え、これ母さんで、後ろにいるの舞さんなの。睦月、揶揄う前に助けてよ。」

「今日は、私が当番だったのに……お母さん、それはあなたの恋人じゃなくて、私のだから、いい加減、離しなさい。」

「睦月、せっかくいい夢を見ていたのに……恨むよ。」

 舞さんから解放されると、抱きしめている母の体温が急激に上がってきたのを感じた。母が起きたらしい。母を抱きしめたままだった俺の腕が母にがっしりと掴まれた。

「母さん、ごめん。」

「……」

「……」

 しばし黙っていた後に、母は「抱きしめる相手を間違えないようにしなさい。」と着替えを探して、舞さんとともに風呂に行ってくると出かけた。

 その一方で、睦月は他の娘とその母親を起こすと、俺を家族風呂に連行して、体を洗わせた。睦月をを洗い終わる頃に遅れてやってきた如月たちを順に洗ってやった。

「睦月から話を聞いた。正人、あなた、女なら誰でもいいとか言わないわよね?」

「如月、言わないよ。髪を洗うから目を閉じろ。」

「本当かしら。睦月が本命なのに、他の娘にまで手を出しておいて、どこの口がそれを言う。」

「7人も素敵な女の子に囲まれて幸せ者だなあ。さすがにこれ以上は扱いきれないから安心しろ。」

「もう少し下……そこを、もっと丁寧にやって。睦月をはじめ、他の娘を不幸にしたら殺すからね。」

「殺されるなら睦月に刺されるのが先だと思うがな。睦月の許容範囲がこの8人の組み合わせだからな。」

「そうよ。正人、私たちは正人を独占しようとして不毛な喧嘩をするのを止めただけなの。私たちはお互いの気持ちを理解しているからね。」

 湯船に浸かっている睦月が駄目押しをしてきた。俺たち8人の関係をうまく誘導している睦月には頭が上がらない。


 旅館からの帰りに移動のためのバスの中で、母から質問を受けた。

「私達は有給消化推奨日で明日も休みなのだけれど、あなた達は部活と言っていたわね。」

「そうだよ。」

「見学というか、練習に参加させてもらえないかな。ちょっと体を動かしたいのよ。」

「母さんだけ?」

「いいえ、8人全員。去年まではママさんバレーで体を動かす機会もあったのだけれど、あなたたちが高校に進学したら、それもないからね。」

「保護者の後援会が応援に来るのは問題なかったはずだから、大丈夫でしょう。弥生部長、問題ないよね。」

「いいけれど、体を動かしたいって、試合形式の相手にでもなってくれるの?」

 バレー部の部長をしている弥生が楽しげに母に答えた。

「差し入れを持っていくし期待してね。」

「でも、運動不足で、怪我をしないでよ。」

「これでも高校時代は県大会で2回準優勝したチームよ。あなた達の小中学校の9年間はママさんバレーをやってきたし、市の大会で優勝したことも何度もある。」

 心配する弥生の疑念に対して、弥生の母である彩さんが論破してきた。

 明日は賑やかなことになりそうである。


 翌朝、神谷システムの駐車場で準備運動をした俺たち8名は、ジョギングで学校を目指した。家から俺たちが通う県立岳南高校までは、直線距離で西へおよそ3km離れている。交通量の多い道を避けるために遠回りして学校に向かった。農道を南におよそ2km走った後に、海岸の堤防の上を西へ3km走り、そこから2kmちょっと北上して学校に着いた。もっとも、帰りはいつもの通学路で最短距離を走って帰る予定である。

 学校に着くと、車で先回りしたジャージ姿の母達が校門で待っており、顧問の佐野先生と挨拶をしていた。母が肩にかけている大きなクーラーボックスが差し入れなのだろう。俺は、母から荷物を受け取って、体育館に運んだ。用具室からボールを出すと、コートの準備を始めた。睦月達は弥生の掛け声の下、ルーティンワークとなっている基礎練習を始めた。母達はストレッチをしながら佐野先生と話をしていた。

 入学式などで一度は来ているはずだが、「17年ぶり」とか、「ご無沙汰しています」なんて話が聞こえてきた。母達は県立岳南高校の卒業生で、在校時に俺の父が所属していた男子バレーボール部の顧問をしていたのが佐野先生であったようだ。佐野先生は、母達の卒業後にしばらくして別の高校に転勤になって、16年ぶりに県立岳南高校に戻ってきたら、一時期は県内でも上位の強豪校だったバレーボール部が男女ともに廃部になって無くなっていたのに驚いたそうだ。

 俺たちが高校入学した時に、生徒会による部活紹介で今年からバレーボール部が男女とも無くなったことを知った。弥生が高校でもバレーボールをしたいと言い出して身内の7名で女子バレー部を再立ち上げることにした。もっとも、その再立ち上げの手続きで生徒会と交渉したり、先生方と交渉したりしたのは、俺である。男子バレー部も復活させたかったが、同じ中学の出身者は身内の8名だけだったこともあって、メンバーが集まらず、結局、女子バレー部だけが復活して、俺が女子バレー部の男子マネージャーをしている。

 俺が2面目のコートの準備を終えると、母達がジャージを脱いでママさんバレーのユニフォーム姿になって、アップを始めた。「6人制は久しぶりねえ」なんて明るい声がする。母達は昨日から楽しみにしていたのだろう。

 練習を開始して1時間ほどで、母達を相手に試合をすることになった。俺たちは俺を入れても8名しかいない関係で日頃の練習では、ビーチバレー形式の2on2に始まり、3on3、前衛3後衛1の変則的な4on4や、対抗側をビーチバレー形式にした6on2の練習までしかできなかったから、6人制のフル構成は高校進学後は初めてである。

 第1セットは、お互いにバレーボールができることが嬉しくて和気藹々とした試合となった。ラリーの末に頻差で母達が第1セットを取った。第2セットになると母達のアタックが一方的に決まるケースが多くなり、母達……特に彩さんの機嫌が悪くなり出した。耳を澄ますと「もったいない」とか「宝の持ち腐れ」とかぶつぶつ言って怒っていた。第2セットを母達がとった頃には、母達の機嫌が完全に悪くなっていて、お説教コースかと俺たちは顔を見合せた。第3セットになると母達のアタックが綺麗に決まるようになって圧倒され、結局、3セットをストレートで負けた。

 試合後に彩さんが俺たちを呼んでコートに正座させた。

「あなた達、何なの。もったいなくて泣けてくるわ。体格的にも、ブロックやアタックが好きなのはわかる。あなた達、身長が181cmで、全員、最高到達点が300cmを超えているでしょう?睦月なんか、315cmぐらい跳んでいるわよね。でも、レシーブが安定しなくて、セッターの精度も緩いから、攻撃力がつながらなくて生かせていない。まるで、サイドアタッカーとセンターブロッカーしかいないチームに見える。中学の時もこのメンバーだったのでしょう。何か対策を打たなかったの?」

「それなんですけれど、中途半端になっているのは認めます。人数合わせで一番レシーブが上手な文がリベロをしていますけれど、本職ではないのです。セッターもメイン担当がいません。通常の練習のメインが2on2や、3on3なので、7人とも同じ程度にセッターやレシーブもできるというのが実態です。強いて言えば睦月がセッターが得意ですが、あの最高到達点の高さもあって、強制できなかったのです。来年の新入生でリベロやセッターを補充できればと思っていたという状況です。」

 俺がそう説明すると、母達はそろってため息を吐いた。

「少人数の弊害で、サイドアタッカーとセンターブロッカーしかいないチーム……それでよくコンビネーションや速攻ができたわねえ。」

「お母さん、そこは、2on2や、3on3で鍛えています。」

「似た者同士の団栗の背比べのチームです。」

「能力差はほとんどないのです。」

「逆に言うと同じところまで行くまでの努力はすごいですけれど、同じぐらいになったところで安心して仕舞うところがあるのです。」

「そうじゃなかったら、10年以上も一人の男を取り合った末に共有なんかしていないわよねえ。」

「そっちは私が正妻で、あとは平等になれるように努力しましょうって言ったじゃない。」

「睦月らしい言い方ね。私たちって、7人で半人前、正人を入れた8人で一人前みたいなところがあるからね。」

「8人で一緒に幸せになれればいいってところがあるよね。微温湯で気持ちがいいのよ。」

「一人だけ負け犬にならないようには、あんなに努力できるのにねえ。」

「それだって正人がサポートしてくれるからだよね。」

「だから正人のことを諦めきれないのだよ。」

「一番になれなくても、一緒にいるだけなら一緒に居られるものね。それなりの努力は必要だけどさ。」

「結局今の状態がお互いに一番楽しいのよね。」

「「……ふぅ」」

 7人の視線が俺に集まって、溜息を吐いた。

「ジャンプなら睦月が一番高いじゃないか。」

「ブロックの精度なら如月が一番じゃないか。」

「サイドアタックの精度なら弥生が一番だ。」

「バックアタックなら右は卯月が左は水無が強いじゃないか。」

「レシーブだけなら皐月がいい。」

「レシーブだけなら皐月に劣るが戦略眼があるから文をリベロにしている」

「俺に言わせれば、7人とも個性的なんだがなあ。」

「正人!」

「はい。睦月さん。」

「その微妙な差を見つけてサポートできるのが、あなただけだから問題になっているのだろうが!」

「そんなこと言われても……睦月を筆頭にそれぞれに素敵な娘じゃないか。気が付いたら好きな娘が7人いたというだけだよ。7人が皆特別なんだよ。」

 周囲を見渡すと、母達に生暖かい視線で見られた。

「若いっていいわねえ。正人のことしか見えていないのねえ。」

「他人のこと言えないでしょう。雅人さんが亡くなるまで、私たちだって雅人さんのことしか見えていなかったのだから。」

「挙句の果てに、自分の娘を志保さんに押し付けたりしてね。」

「それはもう言わない約束でしょう? 押し付けられたなんて思っていないわよ。娘たちだって母親に捨てられたなんて思ってはいないでしょう? 私が正妻で、一番子供好きだっただけ。沢山の孫に囲まれて、孫の面倒を見るのが今から楽しみだけれど、頼むから世間体的に妊娠するのは高校を卒業してからにしてね。」

「この娘たちが似ているのは異母姉妹だからだし、従兄の正人との相性がいいのも幼馴染だからだしね。」

「もう関係を公認してあげたわけだし、さすがに娘たちにも大人の対応をしてもらう必要があるでしょう?正人君、分かっているわよね?」

「まあ、我が家だけの特殊事情だからね。ほら、佐野先生も反応に困って固まっておられる。」


 その後、心機一転でもう一試合をしたら、今度は睦月達が勝った。睦月達の体力が母達に優っていたことと、母達の運動不足が祟った形である。翌日、筋肉痛に顔を顰める母達の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ある家族の話 舞夢宜人 @MyTime1969

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ