第10話
「……なんだ……この譜面……」
漣星は絶句した。
放課後部室に呼び出されたかと思えば、朝から変わらぬ死んだ魚のような目をした康太郎が待っており、おもむろに譜面を手渡された。
思わず譜面を手から離す。
イントロから終わりまで何一つ理解出来ない譜面を見て、恐怖すら感じてしまう。
何か分かることと言えば、この譜面を弾く事が出来ればめっちゃカッコいいだろうなという事だけ。
つまり何一つという訳でもないのだが、何より怖いのは。
康太郎の顔である。
目の下にはクマを作り、何も言わず立っている康太郎のその顔。
とても物申せるような雰囲気ではない。
「ちょっと……! 風華も何か言ってやってよ!」
こんな難しい曲なんて出来ない、と。
自分で言えば良いものの、漣星は堪らず風華に助け舟を要求する。
昨日までの雰囲気と全く違う康太郎を前にして漣星は何も言えなくなった。
漣星にそう言われて譜面を見ている風華を前に、康太郎は言った。
「一晩で作った。まだ雑な部分もある。あと、深夜に作り始めたから……その、少なくとも冷静には作れてはいないと思う」
「……私の動画見てから作ったってこと?」
「あぁ、うん……そういうことだな」
「…………」
風華は譜面を見続け、康太郎は彼女を見続ける。
互いにどこか探り合うような沈黙が生まれる。
いや、探っているのは康太郎だけかもしれない。
平然を装っているように見えて、ただ疲労困憊な状態というだけ。
心臓は信じられないほどの鼓動を続けていることを、彼自身は分かっている。
ただ、この沈黙は気まずいものではない。
奇妙に思っているのは漣星だけで、彼はそれを理解していない。
この譜面がどんな意味を持っているのかを。
風華は譜面を一通り読み終わる。
譜面を持っている腕を下ろし、前に立つ康太郎に目を向ける。
そしてただ一言、少し微笑んで彼女は呟いた。
「ありがとう、道永くん」
そう言うと風華は踵を返す。
譜面を譜面台に置き、部室の後ろに置いてあった自身のギターを構える。
不釣り合いに見えなくもなかった25インチのギターも、いつの間にかこれ以上ないほどに板についている。
それは紛れもなく彼女の成長である。
「ありがとう」と、ただその一言だけ。
普段の彼女を鑑みれば、言葉少なにそう語るのは違和感を覚えるだろう。
しかし彼はそう思わなかった。
彼女は昨日、動画を通してメッセージを伝えた。
それから分かる、本当の彼女を知ることが出来たから。
自分の意思を汲み取って『道永康太郎』としての曲を作ってくれた康太郎に対して。
本当は気持ちを伝えるのに不器用になってしまう自分を理解してくれた康太郎に対して。
「ありがとう」には、その全てが詰まっているメッセージ。
この譜面は間違いなく、彼女の人生を変えた音楽そのものであった。
風華は二人に指を差し、いつもの彼女に戻ってこう言った。
「二人とも! 夏休みの宿題は終わらないと思ったほうが良いかもね!」
「マジかよ……。この曲、一ヶ月で……?」
「……そうだな。頑張ろうぜ、漣星」
「おまっ、コータロー……。どうなっても知らないからな……」
「宿題くらいなら教えてやるって」
「そっちじゃねえよ!?」
とぼける康太郎。
ツッコミを入れる漣星。
そんな彼らを見て笑う風華。
まだ形だけだった彼らが、初めて共に歩み始めた瞬間だった。
三人が目指す目標へと、一瞬の憂いも無く。
◆◇◆◇◆
康太郎が種を蒔き、風華が水を与え、三人で花を咲かせる。
花を咲かせる――ライブを成功させるまでにはまだ辿り着いていない。
それはこれからの努力次第でどうとでも転がってしまう。
しかし今、一つ言えることがある。
乾き切った大地に咲く、枯れた花。
そんな花に水を与える者は奇妙に思われるだろう。
その枯れた花自身も、なぜ自分なんかに水を与えるのだろうかと思うはず。
異質で、奇妙で、運命的な出会いをした彼らは互いに互いを思い合った。
彼らが奇跡を起こし、夢を叶える。
そのステージはもう、彼らの目の前まで来ている。
もう一度その華を、咲かせるために。
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