第9話

 時計の針は一時に差し掛かってきた頃。

 頭はとっくにショートし、曲を作るような状態でなくなっていた。

 また明日、また明日と持ち越す自分らしくない癖が出かかる。

 処理落ち寸前の、その時。


 彼女は不意に現れた。


 康太郎は通知が映るスマホを手に取る。

 覚束ない操作でアプリを開く。

 

 『夜遅くにごめん。まだ起きてる?』


 眠気と困惑によってあまり状況が把握できない。

 とにかく、何であろうが返信をしなければならない事くらいは康太郎も分かっているのだが、如何せん文章が思いつかない。

 

 液晶を睨み続け必死に言葉を捻り出そうとする。

 『起きてるよ』――気持ち悪い。

 『早く寝た方が良いんじゃない』――気持ち悪い。

 『曲作ってるから邪魔すんな』――論外。


 どの文章もしっくり来ない上に思ってもいないことが出てきてしまう。

 それに、中途半端に親しくなったせいで普段ではタメ口で話し始めたが、文面でもタメ口で話す勇気は湧いてこない。

 

 しかし何か送らないといけないという衝動に駆られる。

 とりあえず、とりあえず何か送らねば――



 『ごめんなさい』



 謝った。

 いや、誤った。

 何故この状況で謝罪をしているのか。


 しかし、考えても動かなかった指はこの一言を打ち込む時だけは一切の躊躇がなかった。

 言うべき事は他にあるだろうに、康太郎はこの文章に納得してしまった。

 

 克服した気になっていただけで、根本は未だ何も変わっていない。

 彼女の思いと頼みを天秤にかけて、最善の決断を下す事が出来ない。

 それに対しての謝罪の意だと、理解できてしまった。

 

 『あ、起きてるね。ちょっと動画送ったから見て欲しいなって』


 風華は触れなかった。

 というか、気づいていない。


 康太郎は肩透かしを食らったように感じる。

 勝手に謝罪しておいてなのだがスルーされるとは思っていなかった。

 目は冴え切らないまま、添付された動画を開く――

 

 「……え?」


 その動画は一瞬にして康太郎を覚醒させた。

 何故だろうか、それは明白である。


 その動画にはギターを持ち、マイクスタンドを前に立っている風華が映っている。

 背後に見える掛け時計は六時を指している。

 つまりそれは、撮影されたのが康太郎と漣星が部室を出た後だということを意味する。


 部室に一人、内カメラは彼女を捉えて。


 彼女は歌い始めた。



 『聴いてください、NoneTypeでギビング』



◇◆◇◆◇◆



 『ねえ、聴いてみた? 私なりには結構できたと思うんだけど、どうかな』


 演奏を聴き終わった頃に、彼女はそう送ってきた。

 『どう』というのは、演奏のクオリティや完成度を批評してほしいという事だろう。

 しかし康太郎は何も言えない。

 言わないわけではなく、言えなかった。


 彼女は生徒会に所属しており、部活に顔を出せない日が多かった。

 三人揃っての練習は未だ叶っていない。

 思い返すと、ギターを弾いているところを見たのは二、三回程度しかない。

 しかし彼女の性格や熱意からして、限られた時間を割いて家練に励んでいるだろうとは思っていた。

 ある程度は、仕上げてくるだろうと。



 舐めていた。



 技量だとか、練習時間だとか、気持ちだとか、柄にもないことを心配していた康太郎をよそ目に風華は何も言わず黙々を成長を続けていた。

 その成果を今ただ発揮しただけである。

 

 ギターの腕も歌も面構えも、一朝一夕ではない彼女の実力。

 他の誰とも重なることのない、唯一無二だと。


 これ以上は康太郎個人の予想でしかない。

 しかし彼はこの動画には彼女なりのメッセージが隠れていると直感的に思った。

 今の自分を突き動かす、そんな風華の思いが。

 

 康太郎の手は自然とパソコンへと向く。

 この興奮が冷めやまぬうちにと、返信の存在すら頭から抜け落ちる。

 それだけじゃない。

 康太郎の頭の中から様々なものが抜け落ちる。

 音楽に対する杞憂のループから今、脱出するために。


 康太郎はただ一言、こう呟いた。 



 「……やってやろうじゃねえかよ」



 康太郎は思い出した。

 何のために音楽をやっていたのか。

 ――人を突き動かす曲を作るため。


 それは彼女が思い出せてくれた。

 しかしそれを実現するために自分が何をするべきなのかをまだ忘れていた。

 忘れていたかった、でも今なら、今しかない。



 道永康太郎は、手段を選ばなかった。

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